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飛族 の商品レビュー

3.9

27件のお客様レビュー

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2019/07/07

石牟礼道子さんの作品を思い出した。 自然の恵みを生きる糧とし、時に優しく、時に荒れ狂う自然に翻弄されながらも、その一部であることをいつも深く感じている人々。 近代農業は機械と農薬、肥料の開発があり、漁業も会社経営的な部分も大きくなり、がっぷりと自然と一体化している感じは薄くなって...

石牟礼道子さんの作品を思い出した。 自然の恵みを生きる糧とし、時に優しく、時に荒れ狂う自然に翻弄されながらも、その一部であることをいつも深く感じている人々。 近代農業は機械と農薬、肥料の開発があり、漁業も会社経営的な部分も大きくなり、がっぷりと自然と一体化している感じは薄くなってきた。しかしこの物語の老女たちは素潜りの海女で、亡くなった夫たちも自然とともに生きてきた漁師だった。 仏壇に祀られた海で死んだ者たちに「海の底はこの頃は涼しくてよかじゃろう。」(P42)と話しかけたり、家の近くに飛んできたミサゴに「それそれ、鳥のお客さんは庭の方からはいるがええ」(P48)と声をかけたりするのがごく当たり前の毎日。あるいは老人が亡くなった日にカラスがこう言っていたと語る。「カラスは人間に連れ添うて生きるもので、人間の年寄りにはカラスの一生の内にいろいろ受けた恩がある。それを返せぬ内に死なれて悲しい。おれだちのカラス鳴きは鳥の読経じゃ」(P120) 石牟礼さんの「狐女、狸女」みたいに、動物とも死者とも垣根を感じていない。 日本人だけでなく、自然とともに生きている人々はこのような感覚をもっているのだろう。だから、神話や昔話が生まれた。先進国の都会に住んでると、死んだらそれで終わり、動物は保護するものだと思っているが、そんな風に考え出したのは人間の長い歴史の中でもつい最近のことで、人間はずっとこうだったのだろうと思う。 だから死は悲しくはあるが、完全な別れではなく、魂が虫や動物に移るだけのことだと思える。私の祖母なども法事の時に虫や動物が出てくると、「ほら、〇〇さんが戻ってきた」と言っていたものだ。子ども心に、ただ虫が飛んできただけじゃん、と思っていたが、そう思えないことは不幸なことかもしれない。 ここに出てくる老女のような生き方はできないけれど、時おり思い出したい気持ちになった。 村田さんは、見事な文章を書く人で、読んでいて、本当に楽しい。物語以前に文章に惹き込まれる。 「切り立った岩の断崖が上昇気流を生んで、空に何本もの鳥柱が立っていた。くるくる、くるくると、数百羽の鳥たちが上へ上へと、まるで天空に透き通った螺旋階段でもあるように空中を昇っていく。」(P34) 「一羽のミサゴが急降下して波間を滑ったとみるや、一瞬の内に魚を脚で掠め取った。 大きな魚だ。ミサゴの胴体ほどもある。魚はビシビシとミサゴの脚を打つが、猛禽の太い瘤のような脚は魚の腹をガッシと掴んで放さない。魚は狂ったように尾を打ち振りながら、みるまにミサゴと共に空へ吸い込まれて行った。」(P39) この簡潔にして鮮やかな描写、頑張って書けるものではない。文章を読む喜びが味わえる数少ない作家の一人だと思う。幸せな時間を過ごせた。

Posted byブクログ

2019/06/19

ひとのいなくなった離島に住む老女ふたり。92歳のイオと88歳のソメ子。イオの60代の娘ウミ子が島に帰ってくる来る所から始まります。かわった儀式のような祭り、キリシタンのような念仏、時々老婆たちがみせる羽を羽ばたかせるような様子、漁で死んだ者の話し、島の美しさと、厳しい現実と、吸い...

ひとのいなくなった離島に住む老女ふたり。92歳のイオと88歳のソメ子。イオの60代の娘ウミ子が島に帰ってくる来る所から始まります。かわった儀式のような祭り、キリシタンのような念仏、時々老婆たちがみせる羽を羽ばたかせるような様子、漁で死んだ者の話し、島の美しさと、厳しい現実と、吸い寄せられるような海の中の様子が、なぜか息苦しくて息がつまりそうでした。独特の世界観から出ることを拒む老婆たちのいる島はすでに浄土のようです。そんな島での暮らしがウミ子の視線で描かれ、あの世のようなこの島に住んでみたいという気持ちにもなる不思議な読後感でした。

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2019/06/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

村田喜代子さんの新刊。 少し難しめの作品を書かれる村田さんだが、この本は分かりやすくていい。 漁師だった旦那や弟を海の事故で亡くし、二人とも鳥になったと信じている二人の老婆とその娘、といっても60を超えている、の物語。 二人だけが暮らす孤島の生活は、時に台風に脅かされることがあるけど、時がのんびりと流れていて、素晴らしい。 「わしは生まれて90年がとこ、この島に住んで、今が一番悩みもねえで、安気な暮らしじゃ。おまえは妙な気遣いばせんで、さっさと水曜の朝に去んでしまえ」

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2019/06/06

舞台はかつて遣唐使が東シナ海に乗り出す前の最後の寄港地だった郡島の、今は92歳イオさんと88歳のソメ子さんの二人の老女だけで暮らす島。そこにイオさんの娘ウミ子さんが現れて。。。 今は無人島化しつつある国境の島々。不法侵入の脅威にさらされ、苦心する町役場の戦術。その一方で世俗にまみ...

舞台はかつて遣唐使が東シナ海に乗り出す前の最後の寄港地だった郡島の、今は92歳イオさんと88歳のソメ子さんの二人の老女だけで暮らす島。そこにイオさんの娘ウミ子さんが現れて。。。 今は無人島化しつつある国境の島々。不法侵入の脅威にさらされ、苦心する町役場の戦術。その一方で世俗にまみれてしたたかとも、浮世離れして奔放とも見える二人の老女。振り回されているうちに、それも良いかと受け入れ始める主人公・ウミ子。 ブラタモリの「ヘリ」が面白いでは無いですが「境界」の物語。現実と幻想、死者と生者、海と空、人と鳥。老女二人はそうした境を軽々と行き来する。どこか可笑しくて、同時に祭りの後の寂しさのような色んな感情が交差する。 老女たちが唱えるラテン語交じりの不思議な経文の声と、両手を羽根にして飛びたたんとする幻想的な鳥踊りの稽古の姿が刻み込まれる。 素晴らしい。

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2019/05/16
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

久しぶりの村田さん。やっぱ、いいわあ。 離島でたった二人で暮らすおばあさんたち。63歳の娘が小娘に見えます。 鳥になる練習をするおばあさん達の姿を見てみたい。台風が来てどうなるかハラハラしましたが、よかったよかった。

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2019/05/18

朝鮮との国境近くの島でふたりの老女が暮らす。 母親のイオさんは、九十二歳。 海女友達のソメ子さんも、八十八歳。 「わしは生まれて九十年がとこ、この島に住んで、 今が一番悩みもねえで、安気な暮らしじゃ。 おまえは妙な気遣いばせんで、さっさと水曜の朝に船で去んでしまえ」 さ...

朝鮮との国境近くの島でふたりの老女が暮らす。 母親のイオさんは、九十二歳。 海女友達のソメ子さんも、八十八歳。 「わしは生まれて九十年がとこ、この島に住んで、 今が一番悩みもねえで、安気な暮らしじゃ。 おまえは妙な気遣いばせんで、さっさと水曜の朝に船で去んでしまえ」 さあ、娘六十五歳のウミ子はどうするのだろうか? 村田喜代子さんの小説に登場する気丈な先輩女子が織りなす不思議な世界。ふたりの老女が岩壁で鳥柱に交じって踊るシーンは幻想的だった。 細々と野菜を育て釣りをし自給自足の生活を選ぶ2人の暮らしは、プロパンガスや、肉・卵などの生活物資を運ぶ定期船の維持費に年間2000万円かかるというから、我がままにも見える。しかし、島が無人になると中国の密航者に国境を脅かされるので人に住み続けてもらった方が得策らしい。綿密な取材のもとに書いてあるのだろうから、きっと真実なのだろう。2人の老女は国を護っているとも言える。 一筋縄ではいかない女子(おなご)達に、今回も勇気づけられた。

Posted byブクログ

2019/04/24

現実の諸事情は知らないことばかり。 都会に住んでいても住みなれた街は離れられない。 いつか、鳥になれたら。

Posted byブクログ