なぜ人と人は支え合うのか の商品レビュー
「税金を重くしてまで、障害者を助けなければいけないのか」という書き込みネットでみられるとのこと。徴税は社会の支え合いの仕組みの一つ。ただ、誰かの払った税金を誰かに恵んでいるという単純なものではない。ここでもお金に対する無知が誤解を招いている。最早お金の仕組みを考えないのは罪である...
「税金を重くしてまで、障害者を助けなければいけないのか」という書き込みネットでみられるとのこと。徴税は社会の支え合いの仕組みの一つ。ただ、誰かの払った税金を誰かに恵んでいるという単純なものではない。ここでもお金に対する無知が誤解を招いている。最早お金の仕組みを考えないのは罪である。 第5章に登場する海老原さんの言葉。「困ってる人がいなければ役に立つこともできない。」障害者という存在がなければこの本も書かれなかった。一時の読書、そして考えるという有意義な時間も持てなかったろう。 国の借金がなければ、我々の預金もない。徴税は国の借金を返すためにするものでもない。その答えがわかれば、最初の疑問も解けるはず。
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購入後に、こんな夜更けにバナナかよ、の著者の著書ということに気づいた。ケアがわかる本として映画を勧められて観たが、さらに理解が深まった。 障がい者のために税金を負担することの考え方など、ライター経験の長い方だからこそ書ける親近感を持てる内容と思う。 長い人生のなか、一度は読ん...
購入後に、こんな夜更けにバナナかよ、の著者の著書ということに気づいた。ケアがわかる本として映画を勧められて観たが、さらに理解が深まった。 障がい者のために税金を負担することの考え方など、ライター経験の長い方だからこそ書ける親近感を持てる内容と思う。 長い人生のなか、一度は読んでおきたいと思えた。子どもよりも、むしろ大人に読んで欲しい。
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人と人が支え合うこと。それによって人は変わりうるのだということの不思議さに、人が生きていくことの本日もまた凝縮しているのだと。
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福祉が芽生える瞬間とは、思わず誰かを支えたいと思って行動してしまう時のことだ。 つまり福祉の定義は「誰かを支えようとした行動」と言い換えることができる。 1章には2020年3月末に死刑判決を受けたやまゆり園事件の植松死刑囚の話が出てくる。 意思疎通のできない人間は「人間」ではな...
福祉が芽生える瞬間とは、思わず誰かを支えたいと思って行動してしまう時のことだ。 つまり福祉の定義は「誰かを支えようとした行動」と言い換えることができる。 1章には2020年3月末に死刑判決を受けたやまゆり園事件の植松死刑囚の話が出てくる。 意思疎通のできない人間は「人間」ではない。だから殺した、という植松死刑囚の主張はメディアでも連日取り上げられた。 高い生産性を発揮する人間にこそ価値があるという近代資本主義の考え方に染まっていると、この主張にすぐさま反論することは難しいと思う。自分もそうだった。 だが、この本を通じて、 ・障碍者の存在理由は? ・なぜ障碍者に手を差し伸べるべきなのか? ・障碍者の存在が社会をよりよくした事実 ・障害を通じて考える本当の「自立」とは ・他者を支えることで感じる生きがい ・サービスを仕組化(サービス提供者と対価を支払う人の関係)することによる当事者同士の思いやりや本音でのぶつかり合いの欠落 ・多様性を認め、気が付かなかった価値を発見しようとする姿勢 などと今まで考えてこなかったことを考えさせられた。 良い本だった。
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「こんな夜更けにバナナかよ」の作者だとは知らずに手に取りました。そもそも前述の作品読んでいないのですが。 「こんな夜更けにバナナかよ」のモデルになった男性は既にお亡くなりになっていますが、言いたいことを言い、したいことをするという強烈な人物であったそうです。 介助される側が一方的...
「こんな夜更けにバナナかよ」の作者だとは知らずに手に取りました。そもそも前述の作品読んでいないのですが。 「こんな夜更けにバナナかよ」のモデルになった男性は既にお亡くなりになっていますが、言いたいことを言い、したいことをするという強烈な人物であったそうです。 介助される側が一方的に恐縮するのではない関係性というのは想像もしなかったし、想像できなかった自分はやはり介助される側は恐縮するべきと思っていたのかもしれません。 読んでいると後ろめたい気持ちになってくる本でもあります。 障害者の皆さんが戦って得た、介護、介助、バリアフリーを我々が高齢者になったときにもその恩恵を享受出来るという話には、まさにその通りだなあと思いました。 わずか10数年前には駅で車いすを何人もの有志で運んでいましたね。危険だし、運ばれる方の精神的苦痛もありますし。今は小さな駅にもエレベータが必ずありますから、僕らも旅行に行くときには当然のように使います。本当にありがたいです。 この本の中で「障害者は必要無いのか」という事を何度も何度も問いかけています。記憶に新しい、相模原のやまゆり園での大量殺人が日本中に投げかけた、障害者への意識というものを忘れないように自分の中に問いかけていく事が必要だと思います。 僕の祖母もまた殆ど動けない障害者として長い年月を過ごしていました。しかし、友人も多く、進んで手助けしてくれる人も非常に多かったので、実り豊かな人生だったと思います。人に色々な事を分け与えていて、一方的に介護されるだけの人生ではなかったことは確かです。
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この星に生を受けたモノの1つとして、同じようにこの星に生きているたくさんのいろいろなモノ達と、どんな時もニュートラルな関係でつながりたいと思いました.......。
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著者の障害者と向き合った、体験記をまとめた本。 障害者は本当に不要なのだろか。 人はひとであり、存在しているだけで価値があるのではないだろうか。 障害者がいることで、私たちも恩恵を受けているし、知らないことを教えてくれる。 障害者との関係を考える良いきっかけとなる本だった。
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あわれみの福祉感、まさに、自分の中にあった障がい者への気持ちを言い当てられた具合の悪さがあった。 確かに、かわいそう、気の毒、頑張ってる、24時間テレビ的な、きれいごとが私の中の障がい者に体する意識としてあった。 後半の海老原さんの人サーフィンして生きる姿はたくましい。 ものを...
あわれみの福祉感、まさに、自分の中にあった障がい者への気持ちを言い当てられた具合の悪さがあった。 確かに、かわいそう、気の毒、頑張ってる、24時間テレビ的な、きれいごとが私の中の障がい者に体する意識としてあった。 後半の海老原さんの人サーフィンして生きる姿はたくましい。 ものを頼むというのは、生きていく中でもっとも神経をすり減らす作業の一つです。という言葉が刺さる。 実際、健常であることは永遠ではない。自分や、身近なひとが障がい者になったとき、 健常でなくなっても、どれだけ同じように他者と関わって行けるか=自分と障がい者の関わり方として考えないと…。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』渡辺一史 先日公開されていた映画『こんな夜更けにバナナかよ』(未見)の原作者であり、ジャーナリストの渡辺一史さんによるビギナー向けの新書。 映画の中で描ききれていなかった障害者の自立生活へ向けた運動の歴史、声を挙げる運動あってこそ駅のバリアフリーが普及し、ベビーカーや高齢者も恩恵を被っていること。「障害者・障がい者・障碍者」の表記の議論について。言葉を選ぶことで「いい人(ちゃんと配慮している人)に見られたい」自分を見破られ、戸惑う。 相模原の施設で起きた殺傷事件から、ネットでは見るに耐えない言動が撒き散らされる中、「その人に価値があるか無しかではなく、価値を感じられる人間がいるかいないかだ」とひとり一人に問いかけてくる。 この本についてはあれこれ書けば書くほど嘘っぽくなるので、読んでほしいとしか言いようがない。いろんな事件の中で「役に立つものしか認めない」風潮が見え隠れする、「今」の空気に、流されないためにも。 もう亡くなって数年経つが、直前まで元気だった義母が脳出血で倒れ、あっという間に人の助けがなければ生活を営めなくなった時、福祉が行き届いた社会を作ることは「明日の家族や自分のためでもある」と痛感した。 ゆる夫は、重度の障害を持つこどもたちのデイケアで勤めている。主体的に仕事をしようとしないまま生きてきた彼が、「俺がおらんと(職場が)回らへんねん」と自分の意志で仕事を続けている。 こどもたちの生活を支えると同時に、彼も支えられている。塾講師時代、何度も中学生に教えた吉野弘の詩『生命は』の1フレーズが浮かんでくる。 「生命はすべて/そのなかに欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」 書き手自身が答えを模索する旅に、同行する気持ちで読んだ本だった。
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なぜ人と人は支え合うのかという大命題を解いていく。といっても答えは載っていない。ちくまプリマー新書だけに示唆的にいくつか障害者との事例を出したり、制度のことや「しょうがい」に当てる漢字についても取り上げている。ちょうど執筆時期(といっても5年かかっているらしいけど)と重なっていた...
なぜ人と人は支え合うのかという大命題を解いていく。といっても答えは載っていない。ちくまプリマー新書だけに示唆的にいくつか障害者との事例を出したり、制度のことや「しょうがい」に当てる漢字についても取り上げている。ちょうど執筆時期(といっても5年かかっているらしいけど)と重なっていたこともあってか、津久井やまゆり園事件についても特に殺害を図った植松聖についても触れている。 私もかつて障害者の家で泊まり込み介助らしきことをやっていたから、渡辺さんと『こんな夜更けにバナナかよ』の鹿野さんとのつき合いの様子などは、当時のことを思い出し、うなずけたり懐かしく思うことが多かった。 「しょうがい」に当てる漢字については、私の今の認識は渡辺さんと似ていて、過剰に意識することなく使えばいいと思っている。何よりも障害者自身が、「障がい」という書き方をそれほど望んでいなかったとは。こういう似非配慮らしきものが世のなかと障害者をよけいに隔絶してしまうのだと思う。 それを思えば、植松さん障害者とかかわっていたわけで、その末の曲解であろうとも、それを障害者にやさしくとか口では言いながら、かかわることなく過ごしている人が非難するのってどうなのって思う。法治国家(?)の日本で人を殺したのだから刑は科されるものだろうけど、彼なりの実体験から導かれた障害者観は、間違った考えと一刀両断にできるものでもないと思う。……この件、この本の感想とは関係ちょっと脱線してしまった。 渡辺さんはたぶん考えはめぐらすけど答えはあえて出さない人のような気がした。答えを出すということは、言い換えれば決めてしまうことであり、その答えにとらわれてしまうと物事を見る目が不自由になってしまうと思う。優柔不断に思われがちだけど、そんなところに勝手にシンパシィを感じ、考えあぐねながら書いたであろう文章にやさしさを感じた。
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