野の春 の商品レビュー
宮本さんのライフワークともいうべき流転の海シリーズがとうとう終わってしまった。 あとがきによると第一巻は宮本さんが34歳の時で、今71歳だそうなのでなんと37年かけての大仕事を成し遂げられたということだ。 時々、前回はどこまで話が進んだのやらと思うほど間が空くこともあったけれど、...
宮本さんのライフワークともいうべき流転の海シリーズがとうとう終わってしまった。 あとがきによると第一巻は宮本さんが34歳の時で、今71歳だそうなのでなんと37年かけての大仕事を成し遂げられたということだ。 時々、前回はどこまで話が進んだのやらと思うほど間が空くこともあったけれど、病気も抱えながらほかの執筆もありながらよくぞ完成させてくださった、という思いである。 とにかくこれだけ長い話なので、登場人物の数も大変な数で、その人たちが最後だというのでオンパレードのように登場してきて思い出すのに難儀した。 そしてみんなそれぞれ年を取ってきているので、たくさんの人たちが亡くなった。 最後には熊吾まで亡くなって・・・ 妻や子供に対しては決して褒められた男ではなかったけれど、それほどの大勢の人たちから慕われるというのは、人間としては合格だったのだろう。 最後には房江も伸仁も全部許したなぁ。 それにしても房江のたくましさには目を見張るものがある、持って生まれたものが境遇によって引き出されたというのか、頼もしい限り。 みなさん、お疲れさまでした。
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著者のワイフワーク、大長編の流転の海が”野の春”をもって完結。 何年かに一冊出版されるこのシリーズを楽しみにそして心して読んだ小説。多少の感慨をもって読了。 熊吾の末路を知ってるだけに糖尿病が悪化していくのが切なかった。 倒れてからそう長患いせずに逝ったのが救い。 倒れる間際まで博美の行末のこと、木俣のチョコレート製造を軌道に乗せることを考え、根っからの才長けたプロデューサーだったんだろうな。人情にも厚く。 そんな父親がなんで精神病院で最期を迎えなければならなかったのか、ずっと気になっていたと、その病室に一歩足を踏み入れた瞬間、いつか自分はこのことを書かなくてはいけないと何かのインタビューで言っていた。 この父親なくして作家”宮本輝”は誕生しなかっただろう。 熊吾が二十歳の息子に”お前は他の誰にもない秀でたものがあると思ってきたが、それは俺の思いすごしだった”と放つシーン。 これを言われた著者はショックだったろうな。 でも熊吾が見立てたとおり、息子には格別な才能があったことを天国で見届けているだろうか。 著者の奥さんとなるべき女性も(冴子さん)登場。 熊吾編は完結したけど、冴子さんとの恋愛、結婚、 パニック障害を経て作家になるまでのノブ編(自叙伝)が読みたい。
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内容(「BOOK」データベースより) 自らの父をモデルにした松坂熊吾の波瀾の人生を、戦後日本を背景に描く自伝的大河小説「流転の海」。昭和四十二年、熊吾が五十歳で授かった息子・伸仁は二十歳の誕生日を迎える。「俺はこの子が二十歳になるまでは絶対に死なん」そう誓った熊吾の、大願成就の日...
内容(「BOOK」データベースより) 自らの父をモデルにした松坂熊吾の波瀾の人生を、戦後日本を背景に描く自伝的大河小説「流転の海」。昭和四十二年、熊吾が五十歳で授かった息子・伸仁は二十歳の誕生日を迎える。「俺はこの子が二十歳になるまでは絶対に死なん」そう誓った熊吾の、大願成就の日を家族三人で祝うが…。熊吾の人生の最期には、何が待ち受けていたのか。妻の房江は、伸仁はどう生きていくのか。そして、幸せとは、宿命とは何だろうか。時代を超えて読み継がれる大河巨篇、完結。 平成30年12月20日~25日
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作者が言うように「壮大な松坂熊吾の生老病死の劇」 全九巻の中で、立志伝でもなく普通よりも少し波瀾万丈の人生を送った熊吾の一生、栄枯盛衰の中にも満足感と寂しさを感じさせる作品でした。
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37年間本当にお疲れ様でした。ライブで読ませて頂いたこと。松坂熊吾さんの息遣いを身近に感ずる時間を過ごせたことに感謝しています。ありがとうございました。
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熊吾は70歳、事業の縮小を余儀なくされる。息子の伸仁は20歳、大学生になった。房江はホテルの従業員の賄いの仕事に生きがいを見出した・・・ 「流転の海」シリーズ、第9巻、ついに完結した。パチパチパチパチ。 面白かった、という言葉では軽すぎるし、楽しんだでもズレてる。ズズズズっと...
熊吾は70歳、事業の縮小を余儀なくされる。息子の伸仁は20歳、大学生になった。房江はホテルの従業員の賄いの仕事に生きがいを見出した・・・ 「流転の海」シリーズ、第9巻、ついに完結した。パチパチパチパチ。 面白かった、という言葉では軽すぎるし、楽しんだでもズレてる。ズズズズっとはらわたに染み入ったというのが近い気がする。 人生の様々な機微を教えてくれる名作だった。ストーリーについて、既読の人にはネタバレになってしまうし、未読の人には最終巻だけの筋を話しても意味がないだろう。のでその辺は省略。 《熊吾は、森井博美が、先々のことを考えられない女だということをよく知っていた。良く言えばお人よしで悪意がなく、悪く言えば愚鈍で機略を巡らせる能力がないのだ。》 《「宿命か。いろんな宿命があるが、どれも手強いのお。貧乏も宿命。病気も宿命。『ビンボーというの棒は重い』と言うた人があるそうじゃが、ほんまの貧乏を長いこと味わった人間でないと、その重さはわからんのじゃ」》 ほんまの貧乏を自分は味わった、と思っているのでその重さは分かってる(と言いたいけれど、本当かどうかよくワカラン) 知り合いが、「流転の海」シリーズは老後の楽しみにとっておくと言っていた。そういう考え方もあるのだろう。私は、本やドラマや映画のようなものは可及的速やかに触れるようにしている。なぜなら、 1.いつまで生きられるか、分からない。明日死ぬかも知れない。 2.老後、本を読めるか分からない。(電車の中で見かけるお年寄りは、ほとんど何もせずぼぉーとしている人ばかりだ。老眼のせいかも知れないし、活字を読むのが面倒くさいのかも知れない。自分がそんな風になるわけがないと思うほどお人よしじゃない) 3.いい本が何か、自分にいい影響を与えてくれるなら、早いに越したことはない。(人生を変えるような本ならなるべく早く出会いたい。死ぬ3日前に読んでもしょうがないだろう)
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たったいま読み終わり、まだ滂沱の涙が止まらない。敬愛すべき作家の37年にも渡る作品の最後の一行が終わってしまった。虚脱感と、別れの涙だ。「流転の海」。最後の巻のタイトルは「野の春」。まだ10代で読み始めた物語は、今では、主人公の熊吾がたった一人の息子、伸仁を得た50歳という年齢さ...
たったいま読み終わり、まだ滂沱の涙が止まらない。敬愛すべき作家の37年にも渡る作品の最後の一行が終わってしまった。虚脱感と、別れの涙だ。「流転の海」。最後の巻のタイトルは「野の春」。まだ10代で読み始めた物語は、今では、主人公の熊吾がたった一人の息子、伸仁を得た50歳という年齢さえ超えてしまった。この子が20歳のなるまでは何としても生きたいと誓った歳だ。そして、願い通り成人した息子に、熊吾はなんと、自分でも後で歯ぎしりする様な酷い言葉をぶつけてしまう。そして、それを償う機会はもうない。あれほど手塩にかけて、生きる目的でさえあった息子なのに。人生とは、いつまでも、そういうものであり続けるのか。この本からもらった言葉の数々は、もう数え切れないけれど、それはいつも、人間の力も弱さも、優しさも酷さも、すべてあった。宿命というもの。抗えないもの。大切なもの。強さと脆さ。もう1度、通して読み直したら、きっとまたたくさんの力を貰えるに違いない。本は力だとあらためて思わせてくれる、まさに珠玉の作品。
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