脳科学者の母が、認知症になる の商品レビュー
認知症(多分、高次脳機能障害も)の人の脳で起こっていることと表出されている現象の関係が科学的にわかって、自分の関わり方の間違いや、何故あの場面でうまくいき、この場面ではダメなのかがわかった。結構、認知症や高次脳機能障害についての本は読んでいるつもりだったが、初めて知ることも多い。...
認知症(多分、高次脳機能障害も)の人の脳で起こっていることと表出されている現象の関係が科学的にわかって、自分の関わり方の間違いや、何故あの場面でうまくいき、この場面ではダメなのかがわかった。結構、認知症や高次脳機能障害についての本は読んでいるつもりだったが、初めて知ることも多い。「攻撃性」はその人の自尊心を保てなくなるから起こる場合が多い、「非宣言的記憶(体で覚える記憶)」は言葉で先走って声かけしてしまうと思い出せなくなってしまう、等気をつけなければいけないと感じることが多々あった
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とっても良い本でした。お母さまへの愛情が感じられて…とても良い親子関係なのだなあと。わたしはこんなふうに良い関係にないので、うらやましくもあり。 認知症検査を受けてもらうためには、かかりつけ医に根回しをしたらしい。そうか、そういう手があったか。「インフルエンザの予防接種に行くフリ...
とっても良い本でした。お母さまへの愛情が感じられて…とても良い親子関係なのだなあと。わたしはこんなふうに良い関係にないので、うらやましくもあり。 認知症検査を受けてもらうためには、かかりつけ医に根回しをしたらしい。そうか、そういう手があったか。「インフルエンザの予防接種に行くフリをして、かかりつけ医に『最近他に困ったことはないですか? 記憶とか』と話題を振ってもらうように」したそう。「少しだけ忘れっぽくなっているかもしれません」→「では一度検査してみましょう」。で、大きな病院に紹介状を書いてもらったとのこと。 (p152) 何かを忘れてしまっても、何かはできなくなっても、その人を崇めることは可能であり、周りの尊敬によって、その人の在り方が変わることは確かにあるのだ。 (略) それを示す例が、臨床心理学者であった河合隼雄の『「老いる」とはどういうことか』に出ている。この本によれば、一昔前、北海道のアイヌ民族は、村の老人が「呆け」て、言葉が通じなくなったとき、「神用語を話すようになった」と考えて、つまり、自分とは心を通わせることができない神さまのような存在になったと考えることによって、仲良く暮らしたらしい。 最後のほうで述べられる、感情も知性だという論はおもしろい。 そして、アルツハイマー病では「感情」は残る。この意味をポジティブにとらえていくことが必要だという。 (p202) 脳に刺激を与えることが大事だと言われるが、その「刺激」というのは、単に目にチカチカする激しい刺激を与えるとか、猛烈に怒って強い感情を起こさせることを言うのではない。 新しいこと、知らないことを、安全性を保った上で経験する、ということが、一番良い「刺激の与え方」で、それは結局、新しい感情を経験させるから、大脳皮質もそれに説明を与えようとして育つ、ということなのだ。 周りがあたたかく見守って、アルツハイマー病の人が新しいことに挑戦できるようにする。その人が全然知らなかったようなこと、今までやったことがないことを、安全に体験させる。今まで見たことのないものを見て、味わったことのない感情を感じれば、まだ残っている大脳皮質が必死になってそれを分析しようとする。そういうことで進行が遅れるということは、まだ検証されていないが、十分にあり得るのではないかと私は思う。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
はからずも、泣いてしまった。。別に著者はそんなつもりはないだろうが。 事実を脳科学者の視点から、記載しているだけだと思うんだが。 さて、この本で解ることは 認知症が一番近い家族から見てどう進行していくか 家族としてどう対応したか、その結果 認知症のしくみと投薬の種類、効能 の3つです。 一般的に言われてる認知症の言動のバックグラウンドには、こういう心理があるのでは、という推測がとても意を得てます。これを知ると、相手を理解出来る。 また、出来なくなる事が、ある一方、出来ることはまだまだ多いので、出来ることをやりながら、その人の幸せな瞬間を増やしていきます。 具体的に、「お料理は一人じゃできないけど、お片付けと皿洗いは必ずやる」とか。これがその人の居場所になり、幸福に繋がる。 また、脳のデフォルトモードネットワークにアクセスするために夫婦で散歩。何気ないことに気付いていくなど。 自分自身ヨガやピラティスを教えているので、 「気付き」の重要性はよくわかります。 誰しも親が居て、そして自分自身も老いていくもの。 とても心に沁みました。
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タイトル通り、母が認知症になった脳科学者の著書。難しい表現はほとんどなく、エッセイのように読めるけど、さすがに学者さんだけあって、母親と自分自身を冷静に観察・分析している。 認知症の本を読んだのは初めてで、一番印象に残ったのは、記憶や認知能力を失っても、感情や自尊心は失われない...
タイトル通り、母が認知症になった脳科学者の著書。難しい表現はほとんどなく、エッセイのように読めるけど、さすがに学者さんだけあって、母親と自分自身を冷静に観察・分析している。 認知症の本を読んだのは初めてで、一番印象に残ったのは、記憶や認知能力を失っても、感情や自尊心は失われないということ。 例えば、著者の母がスーパーのトイレに入った際、鍵の開け方が分からなくなって閉じ込められ、大騒動になった。助け出された母は、礼も言わずに手を洗って出ていってしまった。 一見礼儀知らずにも思えるけど、その日一日、お母さんは顔面蒼白だったそう。一番ショックだったのは本人で、自分が鍵も開けられないという現実を認められなくて、自分の心を守るため、「何もなかった」と思おうとしたのではないか。 そんな分析がされていた。 他にも、楽しい食卓の場で、すでに結婚して家を出た兄がどこへ行ったのかたずねるのは、家族4人が揃って食卓を囲んでいた時がその人にとって幸せな時だったからだと。感情が鍵になって、過去の記憶を蘇らせる。 認知症になっても、できないことを責められるのは辛いし、自分自身なぜできないのか不安になる。その結果、自分の居場所がなくなり状態が悪化していく。 小さいことでも、一人でできることを任せる。 あり得ないことを言っても、本人にとってはそれが現実なのだから、否定しない。 それが、認知症患者の心を守り、家族も守ることにつながる。 とはいえ、よくある「ご飯を食べていない」と食後に言うような場合はどうするのか? 「食べた」というと否定することになるし、「食べてない」というとまた食べさせなきゃいけないの? と思って他の本も見てみたら、「今準備している」と言ってそのまま流すのがいいと書いてあって目から鱗。 嘘にはなるけど、本人は納得するし、しばらくすると忘れるので大丈夫らしい。
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近いうちに訪れるだろう、両親の介護。 以前にも介護の本を読んだのだが、脳科学者という脳の専門家が、ご自身のお母様について書かれているということを、新聞の書評で知り、読んでみたいと思っていた。 アルツハイマー病というものを家族の視点と科学者の視点から捉え、分かりやすく、また愛情深...
近いうちに訪れるだろう、両親の介護。 以前にも介護の本を読んだのだが、脳科学者という脳の専門家が、ご自身のお母様について書かれているということを、新聞の書評で知り、読んでみたいと思っていた。 アルツハイマー病というものを家族の視点と科学者の視点から捉え、分かりやすく、また愛情深く書かれている。 かつて社交的で世話好きだったお母様では考えられない、引きこもり状態や言動に、脳科学者であっても、その場では受け止めきれないこともある、というような事も書いておられ、我々一般の人間に安堵を与えてくれる。 しかし、そういった行動や言動に、必ず脳科学の見地からどうしてそうなるのか、結論を導き出されていて、それも今まさに悩んでいる介護者にとっては、非常に勇気づけられるものだと思う。 最終章では、アルツハイマー病から関連付けて、理性と感情について、EQという言葉が以前流行ったように、感情の優位性についても書かれている。 予約してからかなり待ったけれど、待った甲斐があった。2020.4.9 以下、自分では上手く内容を書けないため、フレーズをいくつかあげる。 アルツハイマー病では認知能力が衰える。それで本人の領域、家族の領域が守れなくなって、互いに主体性の感覚や、自由が奪われることがある。そして、それはアルツハイマー病の人の問題ではなく、家族側が、その人に、今までと同じことであることを期待してしまうことが問題であったりもする。137p 失敗に気づかないかのような行動と同じく、アルツハイマー病の人が、いままでやっていた仕事や料理をやらなくなったり、人前に出ることを嫌がったりするのも、「認知能力の衰え」のせいだけではなかった。このようになるのは、失敗するかもしれないことを減らし、自尊心が傷つけられ機会を減らして、確実にできることだけをやって、自分なりに満足感を得ようとするからでもあった。彼らは自分がどうしたら満足に生きていけるか、どうしたら他人の迷惑にならないでいられるか、どうしたら他人の役にたてるのか、と自分の症状に対する対策を練っていたのだ。 現実には起こっていない、筋の通らない、妙な作り話が増えるのも、時に、無神経、無感覚のようになるのも、その人が必死で自己を保とうとしている証なのだった。146p 学びというのは通常、より多くを覚えること、正しいことができるようになっていくことを指すのだと思うが、自分の与えられた状態を自分なりに受け入れ、生きる希望を見つけ出すことも学びと言って良いのではなかろうか? それは、どんどん新しいことを覚えていくことと同じくらい大事な、一つの人間の能力ではなかろうか?149p 一昔前、北海道のアイヌ民族は、村の老人が「呆け」て、言葉が通じなくなったとき、「神用語を話すようになった」と考えて、つまり、自分とは心を通わせることができない神様のような存在になったと考えることによって、仲良く暮らしたらしい。自分と他人とを「違う」存在と考えることによって、大切にしていくことができるのだ。152p 失われたものばかりに注目するのではなく、残っているものにこそ注目すべきだということに気が付きが始めた。160p 身体的な反応、そして言葉でなく体に積もっていく学習に、非常に希望があるように感じた。167p 人間が複数集まって一つのグループとして仕事をするときに、そのメンバーのどんな要因がパフォーマンスを高めるか、グループとしての成績を良くするためには何が必要かが調べられた。 グループとして素晴らしい仕事をするためには、グループの中にIQが飛び抜けて高い人がいることが大事なわけでも、グループ内の平均IQが高いことが大事なわけでもなかった。 大事なことは、どれくらいお互いの感情に対して敏感で、お互いを気遣うことができるかであった。たとえば、女性は男性よりも共感能力が高いことが知られている。グループの中に女性が多いほど、グループとしてのパフォーマンスが高かったのである。感情の敏感さはグループを成功に導く極めて重要な能力だったのだ。193p 従来の「知性」については、人間よりも人工知能の方に軍配があがるようになってしまった。現在までのところ、人工知能が獲得できないものが「感情」だと言われている。実際に、感情の役割の見直しが進んでいる。194p
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母に似た症状について脳がどうなっているからという脳科学者ならではの解説があるので参考になった。と同時に脳科学者でさえ日常生活での反応には感情的になってしまうのがおもしろい。これまで感情的にはならず母に対してきたけど、これからはもっと脳がどうなっているからこんなことを言うのか、する...
母に似た症状について脳がどうなっているからという脳科学者ならではの解説があるので参考になった。と同時に脳科学者でさえ日常生活での反応には感情的になってしまうのがおもしろい。これまで感情的にはならず母に対してきたけど、これからはもっと脳がどうなっているからこんなことを言うのか、するのか、ということを考えながら観察しよう。父が運転をやめないのはこれか!と思われる部分あり。「偏桃体に異常が起きると身体的反応が起こらないから、危険なことはやめておくという私たちにとっては極めてあたりまえに見える理性的判断ができなくなる」
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認知症について興味ある方は、ゼヒ読むことをおススメします。 とりあえず引用いっぱいにしときましたが、 これ以上に読むべき箇所がたくさんあります。
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主に大きなことは二つ。縮みゆく海馬と後頭頂皮質の中でも、最善の判断をしようとしているのでそれは尊重されるべきこと。 それと副題になっている『記憶を失うと、その人は"その人"でなくなるのか?』については、『私は、認知機能の作る「その人らしさ」と、もっと根本的な...
主に大きなことは二つ。縮みゆく海馬と後頭頂皮質の中でも、最善の判断をしようとしているのでそれは尊重されるべきこと。 それと副題になっている『記憶を失うと、その人は"その人"でなくなるのか?』については、『私は、認知機能の作る「その人らしさ」と、もっと根本的な感情の作る「その人らしさ」と、二つのその人らしさがあるのではないだろうか、と考えた。情報が正しく伝わらなければ、おかしな反応が引き出されることはあるにせよ、情報が正しく伝われば、いままでと同じ感情の反応が引き出される。何が好きで、何が嫌いか、物事に対してどういう反応をするか、という感情は、多少極端になったところはあるものの、母はほとんど変わっていないのではないか、と思われる。』 感情と理性というと理性を重んじるところがあるが、『感情に問題があると、この日に何をするべきか、今何をするべきか、優先順位がつけられず、意思決定できなくなる。』ことが実験で明らかになっている。感情こそがその人らしさの基本である。 『もし我々が八五歳まで生き延びたとしたら、同い年の人たちの二人に一人はアルツハイマー病で、もう一人はアルツハイマー病の介護者である。』 『アルツハイマー病による典型的な人格変化は以下の八つである。①無気力、②それまで楽しんできた活動への興味の喪失③被害妄想④誤った思考をする⑤社会的ひきこもり⑥意思決定ができない⑦自主性の喪失⑧他社への無関心 『脳は、時々刻々、自分のいる空間はどんな場所で、自分はその空間の中の特定のどの位置にいるのか、ということを割り出す計算を行っている。その計算にまず欠かせないのが、海馬にある「場所細胞」である。「場所細胞」は、私たちが「ある空間の中区の特定の場所にいるときだけ発火する」という特殊な性質を持つ細胞だ。海馬は「記憶の中枢」という役割を背負ながら、「今自分はどこにいるのだろう」と、自分の現在地を把握する機能を持っているのだ。アルツハイマー病では、海馬と後頭頂皮質の両方の働きに影響が出るから、空間認識、見当識(「自分がいまどこにいるか」という認識)に問題が起こり、たとえば道に迷いやすくなるのである。』
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まず最初はものすごく積極的に人生を生きてきた人(著者のお母様)でも認知症になることに衝撃を受けました。 でもそのあと考えたことは、その人は認知症になったことで、周りの人たちに、その周りの人に必要な「宿題」を提示する役割を果たしているのではないかということ。
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「記憶を失うと...」の部分は哲学的?な問題になっちゃうのか?と思っていたが、良い意味で杞憂だった。 最低限の専門用語は使われるが、全体に分かりやすく、何よりも「生身の母親」の実話を通して書かれているので理解し易い。 「脳機能と繋げての解釈」は決して科学的冷徹になるのではなく、「...
「記憶を失うと...」の部分は哲学的?な問題になっちゃうのか?と思っていたが、良い意味で杞憂だった。 最低限の専門用語は使われるが、全体に分かりやすく、何よりも「生身の母親」の実話を通して書かれているので理解し易い。 「脳機能と繋げての解釈」は決して科学的冷徹になるのではなく、「人間を人間の目線で」見るという前提を守っている。 脳科学的な面白さもあり、現実的に「アルツハイマー型(に限らないのだろうが)認知症」の捉え方が、自分の中で変わった。 読んで良かった一冊!
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