おるもすと の商品レビュー
墓地を見下ろす崖っぷちの家を祖父から相続して、石炭を選り分ける仕事をしながら暮らす「僕」。吉田篤弘さんの他の小説に飛び入りしても、きっと何の違和感もないでしょう。心許ないけれど、悪くない暮らし振りと私には思われます。 特別付録「夜がいちばん静かになるとき」の、「その役割を終えた」...
墓地を見下ろす崖っぷちの家を祖父から相続して、石炭を選り分ける仕事をしながら暮らす「僕」。吉田篤弘さんの他の小説に飛び入りしても、きっと何の違和感もないでしょう。心許ないけれど、悪くない暮らし振りと私には思われます。 特別付録「夜がいちばん静かになるとき」の、「その役割を終えた」灯台と余生を共にする「わたし」の暮らしと考え方が、また何とも素敵です。
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almostおるもすと だいぶん暗い作品です。 感じるのは、作家さんって、本当にスゴいと言うこと。新しい表現を作り出す。画家が新しい色、世界を生み出すように、新しい表現、新しい世界(感)を生み出す。 うーん… でも、だいぶん暗い作品です。 本作は、まず「おるもすと」本編の短...
almostおるもすと だいぶん暗い作品です。 感じるのは、作家さんって、本当にスゴいと言うこと。新しい表現を作り出す。画家が新しい色、世界を生み出すように、新しい表現、新しい世界(感)を生み出す。 うーん… でも、だいぶん暗い作品です。 本作は、まず「おるもすと」本編の短編小説があり。 その後に制作された背景を作者自身で解説するエッセイパートがあり。 さらに、本書ができる前に、活版印刷で作成された版の「おるもすと」ができるまでの作成秘話的なの3つのお話でできている。 本編ももちろん、様々な想像性を感じさせてくれますが。 活版印刷版ができ上がるまでのお話がとても良かったです。特に101ページから104ページが心に残りました。 ちょっと長いですが、そのままその 引用 巷はいつからか、すべてを均一に整えるデジタル機器の技に任せきりになっている。デジタルによってつくられたものの多くは、どれも同じようなものとなり、人と機械が力を合わせて物をつくる面白さを欠いているように思う。この「面白さ」とは、その言葉とは裏腹に「そう簡単にはうまくいかない」という意味で、うまくいかないからこそ、あたらしい知恵や方法が生まれてくる。そもそも、どんなものにもほつれや総びはあり、じつのところ、個性や「その人らしさ」といったものは、ほつれと綻びのことにほかならない。ほつれはときにユーモアとなり、また、ときにはチャーミングな魅力にもなる。 どうして活版印刷で本をつくったかといえばそういうことである。幸か不幸か、われわれはもう、そうしたチャーミングな物づくりを継続していくことができない。が、完全に終わってしまったわけではない。もうほとんど終わってしまっているとしても、そうした「終わり」にもまた、ほつれと綻びがあるのだ。 * 最初の数週間は、通販では買えず、世田谷文学館だけで売り出されていたようで 引用2 ぜひ、買いにきてほしかった。本は選ぶことも買うことも体の動きをともなうことで記憶にのこる。そのときの自分の体感を本が記憶してくれるのかもしれない。たとえば、長いあいだ読まずにいた本を棚の奥からひさしぶりに引き出したとき、その本を買ったときの、雨あがりの街の匂いや人の声までもがよみがえる。本にはきっとそうした力がある。 * その場所で買う…とか 古本屋さんとかで、何気なく出会う楽しみって…そう言えば…今はないなぁ… 何でもネットで揃う… 図書館ですら、ネットで予約できる時代… 引用3 街に駄菓子屋があって、足繁く通っていた子供のころ、金曜日の放課後だけは駄菓子屋ではなく図書館に寄り道をして、読みたい本をひとりで選んでひとりで抱えて帰った。「寄り道をする」ということと、「ひとりで選ぶ」ということと、「ひとりで抱えて帰る」ということが大事な儀式だった。書店や図書館は言葉でつくられた森のようなもので、その森の中から一冊の本を選び出すことは、どんなゲームやスポーツよりも刺激的でスリリングだった。そして、そうして選ばれた本は、そのときどきで愉快であったり哀しかったりしたが、抱えて帰るときは、どれも焼きたての今川焼きのように温かく感じられた。 ところが、読者の側から本をつくる側になり、ふと気づくと、自分はあの「言葉の森」の愉しみから遠いところへ来てしまったように感じていた。こんなに悲しいことはない。悲しいけれど、いまいちどよく考えてみれば、あの愉しみがこの世から消えてしまったわけではない。自分たちがそこから離れてしまっただけなのだ。にもかかわらず、紙の本や書店の話をするときに、「終わり」という言葉を不用意に使っている。 本当は終わってなどいないのに、あたらしい拠り所が欲しいあまり、それまでつづけてきたものを「終わり」の方へ追いやろうとしている。 たとえ遠く離れていたとしても、忘れてはならないことを忘れないための目印が必要だった。目印になる本が必要だった。思えば、この活版印刷の試みは、楜々に囲まれた境内にある駄菓子屋に立ち寄り、ひととき、子供のころの本の愉しみを復習する帰省に等しい時間だった。 * 目印って大切だと思う 「言葉の森」の愉しみ… なんてステキな響きなんだろう
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「お墓の灯台」と呼ばれる崖の上の家で暮らす僕はもうほとんど何もかも終えてしまったような気分の中でときおり石炭を選り分ける仕事をしつつ「でぶのパン屋」のパンを食べ生きている。 なるべく、何にも属したくないし、契約と呼ばれるものも交わしたくない。(p.16) 鼻だけが時間をさかの...
「お墓の灯台」と呼ばれる崖の上の家で暮らす僕はもうほとんど何もかも終えてしまったような気分の中でときおり石炭を選り分ける仕事をしつつ「でぶのパン屋」のパンを食べ生きている。 なるべく、何にも属したくないし、契約と呼ばれるものも交わしたくない。(p.16) 鼻だけが時間をさかのぼって、鼻の奥で何かを探ろうとしている。(p.18) 自分のなすべきことはひととおり終えてしまった。いつからかそう思っている。(p.19) いったん終えてしまうと、それは自分から剥がれ落ちて遠ざかり(p.32) 立ち止まることなく同じ速さで歩いた。そこで立ち止まると、「立ち止まった自分」と「歩いてゆく自分」のふたつに自分が分かれてしまう。(p.36) ここまで執拗に食べつづけていると、自分の体の中に、でぶのパンがはっきり感じとれる。(p.39) 尻尾ばかり見ていると、そのうち犬の気持ちが判ってくる。ついでに飼い主の気持ちも判ってくる。(p.41) 突然、何かに突き当たったように声がやんで、そのひとはひとりて納得するように何度か頷いた。そして、妙にはっきりした云い方で、「おるもすと」と、ひと言付け足した。(p.47) 「ただ、浮き袋があります。稀にあるんです。何万人かにひとり。ごく小さなもので、あってもなくても問題はありません。ほくろみたいなものです」(p.58) でも、どちらでもないものには決まりごとがない。だから僕はそうした石炭に魅かれる。(p.61) 本とつきあうときは一人でいることが重要なのだと子供ながらに気づいていた。(p.79) どんなものにもほつれや綻びはあり、じつのところ、個性や「その人らしさ」といったものは、ほむれと綻びのことにほかならない。(p.101)
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dbのパン屋さん良いよなぁ 一度食べてみたい。 almost 終わりだけど終わりじゃない 本編よりあとがきが私は好きでした。
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ストーリーにおける終わりを考える話だった。 終わったけれど、終わっていない。 終わってないけど、終わり。 私達はその先のストーリーを想像したり、 期待してしまうからこそ、 作者がどこで終止符を打つのかも 本の面白さの1つだと思っている。 本編もとても好きだったけど、 私はその...
ストーリーにおける終わりを考える話だった。 終わったけれど、終わっていない。 終わってないけど、終わり。 私達はその先のストーリーを想像したり、 期待してしまうからこそ、 作者がどこで終止符を打つのかも 本の面白さの1つだと思っている。 本編もとても好きだったけど、 私はその続きの話が1番印象的でした。
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ANYTHING GOESエニシング・ゴーズ。 たしかに。 大胆にいこう。 萎縮してしまっている絵を描いている自分がいたから付録の文章が響いた。 でぶのパン屋の固いパンも食べてみたい。
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はじめてのかんかく。。 お墓の灯台に住む、コウモリ。 墓のひとつひとつを「しるし」と思う。ここに生きた、そして死んだ。終わり。覚えておこう。 祖父が死ぬまで大事にしていた腕時計をひそかに埋めた。 埋めたときはまだ動いていた。 _うめたときはまだうごいていた_ 「おるもす...
はじめてのかんかく。。 お墓の灯台に住む、コウモリ。 墓のひとつひとつを「しるし」と思う。ここに生きた、そして死んだ。終わり。覚えておこう。 祖父が死ぬまで大事にしていた腕時計をひそかに埋めた。 埋めたときはまだ動いていた。 _うめたときはまだうごいていた_ 「おるもすと」の話のつづき に、キース・ジャレットの「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ」のことが書かれていた。 この曲そのものみたいな本でした。
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吉田篤弘の真骨頂とも言うべき、何処かの片隅で何も起こらない日常の話。でも自分は凄く共感できる。図書館帰りの孤独と愉しみがひとつになった思い。自分もそういうものが積み重なっていると感じた。活版印刷バージョン、見てみたかった、、、
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世田谷文学館版も合わせながら。 終わらない物語の楽しさ。読み手側でもそういうのはあるよなぁ。。 書き出しの文章がありながら、「終わらない」というのもよい。 あと。パン食べたい。。。
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結びがない物語は置いてけぼりにされたような気がして不安になる。 しかし吉田篤弘の作品は何も知らないのにその先を知っているかのような安心感に包まれたままに終わる。 そこがすごく好きだ。 『おるもすと』はいつも以上にそのことを強く感じた。
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