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1968年 の商品レビュー

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2020/08/17

1968年といえば、学生運動の最盛期として多くの論者たちが議論をおこなっています。しかし、学生運動の参加者たちは、日本国民の全体から見れば圧倒的な少数派であったことも事実であり、彼らの回顧的言説によってこの時代についての物語が尽くされているということはできません。本書は、音楽やマ...

1968年といえば、学生運動の最盛期として多くの論者たちが議論をおこなっています。しかし、学生運動の参加者たちは、日本国民の全体から見れば圧倒的な少数派であったことも事実であり、彼らの回顧的言説によってこの時代についての物語が尽くされているということはできません。本書は、音楽やマンガ、野球、映画など、1968年のサブカルチャーを振り返ることで、いわばこの時代の物語を学生運動の担い手たちによる独占から解放するような意義をもっているのかもしれません。 とりあげられているのは、ザ・タイガースやフォーク・クルセダーズらの活躍、『あしたのジョー』や『巨人の星』などのスポコンマンガ、阪神タイガースの江夏豊によるシーズン401奪三振の記録樹立、三船敏郎と石原裕次郎が共演した映画『黒部の太陽』の制作にまつわる話などです。 本書の方法にもとづいて、「1968年」だけでなく「1967年」の物語も「1969年」の物語も書くことができるのは、著者自身が「あとがき」で認めているとおりです。それではなぜ「1968年」なのかといえば、上に書いたように「1968年」を広範な人びとの手に取り返すという点に意義が認められると、ひとまずはいうことができるように思います。ただその一方で、「1967年」でも「1969年」でもよいものとして「1968年」を論じるというサブカルチャー批評のスタンスそのものが、系譜学的な由来をもっていることへの留意が必要なのではないでしょうか。それは、宮台真司が明快な口調で「終わらない日常」を語り、大塚英志が「終わらない80年代」への苛立ちをぶつけるというサブカルチャー批評の歴史をくぐり抜けてようやく成立したスタンスであるはずです。そうした系譜学的な反省を踏まえることなく、本書のようなしかたで「1968年」の批評をおこなうことに、いったいどのような意味があるのだろうかという疑問がくすぶりつづけています。

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2018/12/02

1968年、世界の若者が旧世代と闘った年。日本の若者も激しく動き、新たな潮流が生まれた。映画、漫画、音楽―。新旧衝突のエネルギーは何を創造し、そして大衆は何を愛したのか?混沌の深層を詳細、濃密に描きだす! かなりの量の引用から成立しているが、元の本を読んでいる身としてはただの...

1968年、世界の若者が旧世代と闘った年。日本の若者も激しく動き、新たな潮流が生まれた。映画、漫画、音楽―。新旧衝突のエネルギーは何を創造し、そして大衆は何を愛したのか?混沌の深層を詳細、濃密に描きだす! かなりの量の引用から成立しているが、元の本を読んでいる身としてはただのおさらいにしかならないのが残念。

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2018/12/15

1968は僕の青春だった。巨人の星、あしたのジョー、マガジン、サンデー、巨人連覇、村山、江夏は胸をワクワクさせた。

Posted byブクログ

2018/11/04

乗り換え駅の小さな本屋さんで書名と著者名を見て、ヤバイ…まだ読まなきゃならない本いっぱいあるのに…と3秒躊躇した後、即購入、即ページを開きました。著者と同世代の自分にとって「1968年」のテレビ、マンガは学校や野原や公園よりもキラキラしていた場所でした。本はある程度、読みたいもの...

乗り換え駅の小さな本屋さんで書名と著者名を見て、ヤバイ…まだ読まなきゃならない本いっぱいあるのに…と3秒躊躇した後、即購入、即ページを開きました。著者と同世代の自分にとって「1968年」のテレビ、マンガは学校や野原や公園よりもキラキラしていた場所でした。本はある程度、読みたいものは買ってもらえたのですが、マンガはなかなかハードルが高かったのですが、毎週、マガジン、サンデー、キングを買ってもらっている同級生の家が近所にあった奇跡があり、ほぼ毎日、彼の家に行って貪るようにページをめくってから外に遊びに行くのが小学低学年の黄金の日々でした。自分の脳みそは手塚治虫と梶原一騎に作られたと思っていますが、それは友人(いや彼のお父さん?)のおかげかもしれません。と、いうことで第二章、第三章はど真ん中にビシッと決まる豪速球ストレート。いや、第一章、第四章も含めて中川右介は俺の心のバットにボールを当ててくる大リーグボール一号の星飛雄馬か!「阿久悠と松本隆」「松本清張と横溝正史」などで事実を並べて行くだけで時代の流れという物語を描いてきた著者の手法が本作でも炸裂しています。ただひとつのカメラではなくマルチアングルでひとまわり追求するタイムスライス型であるのは三島事件についての「昭和45年11月25日」的かも。「あとがき」で著者は『一年ごとに一冊の本を書くことは可能だ。問題は、まさに「面白いかどうか」である。』と述べています。10歳になる前のまだ子供時代という羊水に浸っているタイミングとしての1968年は多分、作者としての中川右介と読者としての自分には「面白い」のでありますが、スイートメモーリーとしての読書だったのか?時代の変換点としての普遍性を感じたのか?読後ももうちょい味わいたく。思い出してみると「昭和45年11月25日」は変換点というより特異点としてのタイムスライスだったような。小熊英二の「1968」のお兄さん世代のような熱さと熱さを、我がグローリーデイズ1968にも見出せるのか?やっぱ、バブルに繋がる消費世代台頭デイズなのか?

Posted byブクログ