小説の神様 あなたを読む物語(上) の商品レビュー
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「凄い・・・。物語って、読むだけじゃなくて、書くものでもあるんだ・・・」 「物語が与える影響なんて、そもそも微々たるものなのかもしれない。けれど、中にはその優れた感性で、かけがえのないものを掴み取る読み手もいる。それは物語の力というより、作家から読み手に委ねられた力なのかもしれない」 「物語じゃなくて・・・、読み手の力、ですか・・・」 「なんか小説って、兼業?売れない芸人みたいに、普段は本職の仕事をしてて、空いた時間で小説を書いてる人が多いんだってさ。それで、よくよく考えてみると、芸能人とかが小説を書いて、それがすごい話題作になっちゃってるとかよく聞くでしょう。要するに、みんな片手間にやってるわけだよね。でもさ、漫画は違うの。大勢の人が、ものすごい時間と労力を注ぎ込んで作ってるわけで、片手間にできることじゃないと思う。ほら、小説と違って、芸能人が漫画家デビューしましたって話とか、全然聞かないじゃん」 作家デビューする芸能人はいても漫画家デビューする芸能人いないという話も、確かになるほどと思えてしまって面白い。 僕は知らなかったんだ。夢を叶えるまでの道より、夢を叶えたあとの道の方が、ずっと過酷だということを。 「努力や才能は、運には勝てない」 「あなたは、お父様の背中が、格好悪くて情けないものだと、そう言ったわね」僕は頷き、そのまま視線を落とした。悩み苦しんで、藻掻いていた一人の男の背中。情けなく、みっともなく、憧れを感じられない人間の姿。しかし小余綾は、闘うことは格好の悪いことなのだという。悩み苦しむことは闘うことの証なのだと。
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間違えてこの続編から読んでしまったが、さほど困らずに読めた。でも、ちゃんと続編として読んだ方が色々楽しめたんだろうな。 自分に自信がもてずにうじうじした性格の人が語り手の割には読むのが辛くない。日常感じてることの表現が透明感があって、登場人物の年齢と合ってて良かった。
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作家と読者側の両方の視点から書かれていて色んな考え方が有って信じたいような話が薄っぺらく感じて残酷な真実が頭に残るのが印象に残った。登場人物がどんな結論に辿り着くのか気になる。
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シリーズ2作目で、後輩の秋乃の話が多い。1作目と共通しているのはネガティブな考え方。いい加減鬱陶しくなってきた。私にとっては読書は娯楽で、読んでる時に、そして読み終わった時に楽しければそれでいいのだが、この作品は後半は読まない方がいいのかしらとも思ってしまうわ・・・ でも、読むだ...
シリーズ2作目で、後輩の秋乃の話が多い。1作目と共通しているのはネガティブな考え方。いい加減鬱陶しくなってきた。私にとっては読書は娯楽で、読んでる時に、そして読み終わった時に楽しければそれでいいのだが、この作品は後半は読まない方がいいのかしらとも思ってしまうわ・・・ でも、読むだろうなあ~
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2020/07/23*読了 え?あなたが主人公?って思いました。 期待していたのとは違う!って思ったのですが、 前作同様の語り手がちゃんと居たので安心できました。 でも困惑したまま下巻に続きます。 ストーリーが長くなった分楽しめる部分が増えました。
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※思いの外長く語っており…※ 表情を険しくして読んでいたことが多かった。 小説が好きだと思う自分は何なのか、強く突きつけられる作品だったからだ。 小さい頃から読書が好きで、また学生時分の10年以上に渡って趣味で執筆もしていた。 書き手側としても、読み手側としても、抉ってくる内容だった。 自分は物語は娯楽だと思っている。 教養書と違って、楽しむ、ということが大前提だ。(もちろん学ぶことが楽しいと思うこともある) でもそれは、何かを学ばないというわけでは決してない。 学びを得るのか得ないのか、それはまさしく読者側の問題だ。 逆に小説の中で、作者が「これは絶対に正しい、こう考えて感じて下さい」と意見を押し付けようものなら、一気に興醒めしてしまうだろう。 考える余地、感じる空白、これが能動的読書に必要なものだと個人的に思っている。 でもここしばらくの自分は読者として、一冊一冊と向き合い、自分なりの気づきや学び、感動を得られていただろうか… 心動かされて泣いたり怒ったり笑ったり、そういった反応をすることはある。 けれど大人になってから、沢山の物語を消費できるようになってから、ストーリーの細部が深く記憶に残らなくなってしまったという実感が強くある。 同じ小説を読み返すことも全くない。 次々と消費していくばかり。 自分は、物語を読んでいると言えるんだろうか… 買いすぎてしまうのも問題ではあるんだろう。 やはり社会人となると時間が取れなくてどんどん積まれてしまう本を、とにかく一冊でも早く消費しようとする。 こうやってブクログで感想を残すことも、忙しくて最近はやっていなかった。 するとやはり、内容がすぐに消えていってしまう。 なんて浮かばれない本たち…心を過ぎ去っていくばかり。 確かに楽しんではいるはずなのに。その本に何が返せているんだろうか… ** けれど自分は秋乃のように、自分が読んでる物語を他人に見られて恥ずかしいと思ったことは一度もない。(そしたらブクログもつけていないし) 絵本、児童文学を経て主にラノベの方へ進んだクチではあるけど、布教こそが読者の使命と信じて、面白かったものは何でも周りに勧めて貸していった。 もちろん作中では性格や幼少期の体験もあってのことなのは読み取れるけれど。 読んでる本を隠してしまう行為は、やはり作品と作者に申し訳が立たない。 大切な宝として刊行された本なのだ。 (趣味としてえっちな本を自分で読むことはないので、それが加わったらまた違うかも知れないけど) ** 作中では、近年出版業界で問題などになってることにも触れられている。 海賊版サイトの問題や、流行に乗る作者と読者のことなど。 漫画と小説の価値観や、商業としての執筆など、確かになぁ!と思える部分も多くあった。 近年自分も書店でラノベ売り場を、どれも同じようなタイトル、イラスト、ストーリーばかりで 全く興味を惹かれないなぁと思って見ていた。 そのためか少しラノベ離れも進んでいる気がする。 そうやって離れていく読者がいる一方で、なんかいっぱい積んであるから読んでみようかなと手に取る読者もいて、そしてそれが大多数なんだとした意見に思わず呻る。 内容が面白いかどうかはこの際どうでもいい。 とにかく目について実際に買われるかどうかが大事だからだ。 でも、昔小説を書いていた自分は思ってしまう。 没個性な物語を書くことに作家としての意味はあるのかと。 自分がしたような、泣いたり笑ったり学んだりといった読書体験の出来るような物語を、読者に味わってもらいたい。実際自分ではそれが書けないとわかって自分は創作をやめてしまったけど、でもやはり物語というのはそうあって欲しいと未だに思ってしまう。 けどそうした全霊を込めた物語は、今の人たちにはウケない… もちろん量産されている流行りの作品に価値はないとは思わないし、その中から得られる体験もあると思う。ただ流行が去った後に、その物語は読者の中にどういった残り方をするんだろうか… 売りたいのか、信念や個性を貫きたいのか きっと、唯一無二の物語を作りたいと思って作家を目指した人たちは、本当に苦しんでしまうと思う…。 まとまりや主旨がなくなってきたのでとりあえずこの辺りで。 なんだか全部読み切ったあとみたいな熱量で書いてしまったけど 後日下巻を買ってこよう… ちなみに自分はこれを続刊だとは知らないで買ったけど 現時点で十分面白いので 続刊を書く意義はあると思うよコユルギさん!(そういう意味ではない)
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もう続きは書かないかもしれない。合作小説の続編に挑んでいた売れない高校生作家の一也は、共作相手の小余綾が漏らした言葉の真意を測りかねていた。彼女が求める続刊の意義とは……。その頃、文芸部の後輩成瀬は、物語を綴るきっかけとなった友人と苦い再会を果たす。二人を結びつけた本の力は失われ...
もう続きは書かないかもしれない。合作小説の続編に挑んでいた売れない高校生作家の一也は、共作相手の小余綾が漏らした言葉の真意を測りかねていた。彼女が求める続刊の意義とは……。その頃、文芸部の後輩成瀬は、物語を綴るきっかけとなった友人と苦い再会を果たす。二人を結びつけた本の力は失われたのか。物語に価値はあるのか? 本を愛するあなたのための青春小説。
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映画化すると聞いたので手にとって見たが こちらはシリーズの続刊のようだ。 上巻を読んだ限りでは、九ノ里がやや良い印象だが そこまで活躍を見せておらず 共感できるキャラクターがいない為、 淡々と読んでいる。 そんなにも『最近の高校』は未だに漫画を嫌い、 図書委員は漫画や雑誌、ラノベを読むことも許されないのだろうか。 漫画村をモデルにした件にしても、 こんなに最近の高校生はモラルがなく頭が悪いのか? と疑問に感じた。 好む物語の話でも、同族嫌悪で失敗し成長する主人公を 好きにならないというのも同じく疑問だ。 本当にそんなものなのだろうか。 ただ、確かに もう物語じゃ人の心は動かせなのかもしれない というのは自分の時折感じなくもない。 そもそも文章を読めない人が多くなっており、 200文字もあれば『長文』と言い出す。 『世界の行間を読む』という真中の言い方は好きだった。 地の文で同じ言葉の繰り返しが多いのが気になった。 たとえば、『訥々と』。何度も同じように使われるし 話し手が同じなら口癖設定なのかなとも思うが 違う人に変わっても同様だった。 天月彼方の持論は中々興味深い。 ・売れている作品は運がいいだけ ・読者は売れている本しか買わない ・運の悪い本は存在すら知られない ・読書好きじゃない普通の人たちは自分で本を探さない ・本気を出さないでうまく手を抜いて書くべき ・届かない相手にはいくら頑張っても届かない ・物語が人を動かすかどうかなんて、読者の力量次第だ。読み解く力がないやつには、何を言っても無駄だ ・真摯に書くのは売れてからでいい 小余綾などは反感を覚えているようだが 間違いとは言い切れない。 彼女が言うように実際天月が売れているから、というだけではなく。 漫画しか読まない人が増え、 読書をする人が少なくなり、 自分で好きな本を選んで行間もきちんと読める人ではなく テレビで紹介され平台に積んである本だけ気まぐれに手に取るのが 『普通の人たち』。 そんなのは間違っている、と思いたくても 手にとってもらえないなら話が始まらない。 どんなに良い本でも気づかれなければ読まれないし、 読解力の無い人が読んでもつまらない、わけわからないで終わってしまう。 それなら、真剣に書くとしても流行に迎合した 漫画化や実写化しやすい軽くて頭が悪くてもわかる内容を 量産して名前を売ってからでもいい。 これは、そのとおりだ。 物語が本当に好きで、真摯に向き合って 向き合いすぎて書けなくなろうが、血反吐を吐きながらやっとの思いで書こうが そんなの読者には関係無い。 多分、真摯に物語に向き合うことが正解だと 持っていきたいのではないかと想像するが ここまで現代日本の読書力低下や 本が売れないという『真実』を書いた後で どう正解まで持っていってくれるのか下巻を読むのが楽しみだ。
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