大坂堂島米市場 の商品レビュー
江戸時代の大阪でのコメ取引の話。天下の台所である大阪では全国のコメが蔵屋敷に集まってそれを商人が売り買いして……という程度の知識はあったものの、読んでみるとそこでやっているのは債券市場というか商品先物取引というか、かなりハイレベルな取引でした。 それに対する武士の側も一方的に力と...
江戸時代の大阪でのコメ取引の話。天下の台所である大阪では全国のコメが蔵屋敷に集まってそれを商人が売り買いして……という程度の知識はあったものの、読んでみるとそこでやっているのは債券市場というか商品先物取引というか、かなりハイレベルな取引でした。 それに対する武士の側も一方的に力と儒学で押さえつけるのでは無く、物価の安定と大名財政の安定を目標に硬軟織り交ぜて対応しているのが印象的でした。 江戸幕府も(質素倹約などという上っ面ではない)経済政策をちゃんとやっていたんだな。
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2024/3/13 読み終わった 江戸時代に指数連動先物取引があったと聞いて。 たいへん洗練された先物取引一番が、江戸期に存在したことが分かった。そして、それに対して江戸幕府がどのように関わっていたのかも。 金融のかなり複雑な内容も含んでいたので、半分くらいしか分からなかった。...
2024/3/13 読み終わった 江戸時代に指数連動先物取引があったと聞いて。 たいへん洗練された先物取引一番が、江戸期に存在したことが分かった。そして、それに対して江戸幕府がどのように関わっていたのかも。 金融のかなり複雑な内容も含んでいたので、半分くらいしか分からなかった。とりあえず幕府は、トラブル起こすなよ!米価安定しろ!の2点で堂島に介入したりしなかったり。 実際の米量を超えて手形を発行していたところまでは分かる。期間の末日に実際の米価と手形の価格の帳尻が合っていた?点がよく分からなかった。幕末期にはその帳尻が合わなくなったので、引き換え必須となり、現在の先物取引と同じ状態になったという点も。これからの自分の勉強に期待。 あとは、西洋の先物取引はリスクヘッジからスタートしたのに対して、堂島では完全に投機目的でスタートしたという対比も興味深かった。
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読んだきっかけは「江戸時代に先物取引があった」という内容に興味をもったためでした。江戸時代の米と言えば農民が年貢を納めているイメージですが、では納められた米俵はそのあとどうなった?本書にはそこが描かれています。米は各地から大坂の藩屋敷に集められ、市場で売買されます。しかも一部は米...
読んだきっかけは「江戸時代に先物取引があった」という内容に興味をもったためでした。江戸時代の米と言えば農民が年貢を納めているイメージですが、では納められた米俵はそのあとどうなった?本書にはそこが描かれています。米は各地から大坂の藩屋敷に集められ、市場で売買されます。しかも一部は米切手という証券に化体し、現代のような激しいデリバティブ取引の渦中に巻き込まれていきます。実際の米がまだないのに空切手を売ってしまう藩。市場を管理し米価を安定させようとする幕府。管理されまいとする三井家、鴻池家などの豪商…。 江戸時代の人は現代人よりも原始的だったか。とんでもない。西洋文化が流入するはるか以前から日本には高度な市場経済があったのでした。
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堂島米市場が先物市場誕生の場というのは知っていたけれど、その誕生の理由がわかった。いわゆる商品先物のニーズからかと思ったけど、意外と違った。物事は、これ作ろう、と意図的に作り出されるんじゃなくて、不便を便利にするところから生まれてくるんだなとつくづく。 それ以外にも驚いたのが、米価が市場経済の肝となっていた江戸時代、米切手をめぐって、システミックリスクを起こさないよう規制が張られたこと、そして、米価を安定させるためにまさに日銀の金融政策の発送で江戸幕府がさまざまな政策を苦慮させていたこと。ちょっと乱暴だなと思ったけど、、原理としては似てるのかなと、面白かった。
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江戸時代の大阪米市場には、現代の先物取引にほぼ匹敵するようなデリバティブ市場が形成されていた。江戸幕府もそれを不実の取引としながらも、米価対策の観点で利用していた。
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江戸時代の市場経済の実証的研究 名著。P138の立用米は立物米、P164の損毛は損耗の間違ひ。 徳川時代の経済史としておもしろかった。先物取引については井上ひさしの『黄金の騎士団』での知識しかなかったのだが、この本でどういふものかよくわかった。少くとも17世紀までには米市場が...
江戸時代の市場経済の実証的研究 名著。P138の立用米は立物米、P164の損毛は損耗の間違ひ。 徳川時代の経済史としておもしろかった。先物取引については井上ひさしの『黄金の騎士団』での知識しかなかったのだが、この本でどういふものかよくわかった。少くとも17世紀までには米市場があったとは知らなかったし、幕府が試行錯誤しながら市場を望ましい状態にしようと躍起になってゐた事もわかった。 市場経済について不案内な人も不信的な人も、徳川時代からあったと知ればいい入門になるのではと思ふ。
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大阪堂島にあった米市場について書かれた本。当時の資料を詳細に分析し、まとめ上げられており、学術的で論理的内容である。行われていた米取引は現物のみならず、先物も行われており、世界初の先物市場と言われていることを知った。当時の商人のみならず、監督者である幕府や、訴訟対応に当たった大阪...
大阪堂島にあった米市場について書かれた本。当時の資料を詳細に分析し、まとめ上げられており、学術的で論理的内容である。行われていた米取引は現物のみならず、先物も行われており、世界初の先物市場と言われていることを知った。当時の商人のみならず、監督者である幕府や、訴訟対応に当たった大阪奉行所など、その金融リテラシーの高さは、驚くべき事実だと思う。大きなお金の動く市場を安定的に運営する方法の研究は、素晴らしい着眼だと思うし、とても勉強になった。 「日本の大阪米市場は、世界初の組織的先物取引市場であるとする海外の方も少なくない。なかでも著名な人物としては、CMEグループの名誉会長であり「先物取引の父」とも呼ばれるレオ・メラメド氏が知られている」p5 「堂島米市場は日本よりも、むしろ海外において認知度が高いとすら言える状況である」p5 「大阪の米市は、ごく初期の段階から、米そのものを売買する市場ではなくなり、手形で売買する市場になっていた。それのみならず、米手形は実際に在庫されている米の量以上に発行されていた。大阪の米市は早くから単なる米の販売市場にとどまらず、将来の収入を引き当てにして諸大名が資金調達をする金融市場としても機能していたのである」p31 「商品・現金のやりとりを避け、手形での決済を好むのは、大阪をはじめとする上方商人の特質と言われている。例えば、明治政府が行った商業慣例調査においても、現金の授受による決済が支配的であった江戸とは対照的に、京・大阪では手形での決済が一般的であったことが報告されている」p31 「江戸時代の日本で大規模な凶作が発生した年には、東アジアの夏季平均気温が低位に推移していたことが確認されている。だが、享保期はその逆であったことから、米作にとって中立的か、あるいは望ましい気象条件が持続したと考えれれる」p57 「(堂島米市場)米切手を売買する正米商い(スポット取引)、先物取引である帳合う米商い、そして虎市(売買単位の小さい帳合米商い)の3つに分かれていた」p107 「取引開始時点を寄付、取引終了時点を引片と呼んだ。夕方の終わりを「大引」としている」p111 「(商家秘録)「数千の人、毎日数十万俵うりかい、一俵も違わず日々滞りなく帳面納まる事、またほかにたぐいなき商いなり」」p142 「幕末の堂島米市場では慢性的な鞘開き(現物と先物の価格差)に悩まされ、明治2年には、まさにこの鞘開きを1つの理由として、廃止の憂き目に遭っている。明治4年に再出発することになるが、そこでは、満期日における米現物の受け渡しによる決済が、例外規定としてではなく、ルールとして明記されている。つまり、堂島米市場は、明治4年以降に正真正銘の商品先物市場となったのである」p155 「(藩による品質管理の厳しさ)1870年代から80年代にかけて、廃藩置県と地租改正によって領主制は解体し、物納年貢から金納地租への切り替えが進む中、熊本県を含む全国各地で産米品質が悪化したことが知られている。砂を混ぜたり水をかけたりして目方をごまかす、良米と称しつつ粗悪米を混入する、などの行為が横行したのである」p168 「江戸幕府は市場経済に疎いなどという評価は、少なくとも18世紀以降については、全くあてはならないことがわかる」p271 「(旗振り通信)大阪からの通信時間は、和歌山が3分、京都が4分、神戸が7分、桑名が10分、岡山が15分、広島が40分弱であったとされる。通信の平均速度は720km」p291 「現代に暮らすわれわれがそうであるように、通信速度の希求は不可逆的なものである。飛脚が遅いとして米飛脚が生まれ、並便では遅いとして早便が生まれ、早便でも遅いと旗振り通信が生まれる。江戸幕府が押しとどめようとしても、この流れは決して止まらなかった」p295
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世界最初の先物取引市場と呼ばれる(※諸説あり)堂島米市場はどのように運営されていたのか。そして、米市場で展開されていた市場経済に、当時の為政者である江戸幕府はどのように向き合っていたのか、について書かれた本。 現存する資料の数は豊富では無いらしいが、かき集められた資料からは、当時の市場や人々の様子をありありと感じることができてとても面白かった。 経済学という学問体系の確立など遥か先の話である江戸時代において、市場運営側の商人・市場管理側の幕府、両サイドがそれぞれに試行錯誤を重ね、絶妙なバランスを保ちながら市場の維持に成功していたことに感嘆する。 あとがきにもあるように、国民の生活が「宜しくなり候ため」に市場に介入していた江戸幕府の立場から学ぶべきことは多分にあるように思う。現代においても、各種サービスは、全ては我々の生活が「宜しくなり候ため」にあるべきはずだ。どうすれば宜しくなるのか、宜しい生活とは何なのかを考え続け、適切な市場原理を追求することが重要だと感じた。
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江戸時代が米本位制ともいえる経済の中で、現代の金融政策に通ずる政策をやっていたことに対して驚く。経済規模に違いはあれど、政府が相場に介入した結果の末路というものは通ずるものがあるかもしれない。
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江戸時代の大坂、そこには今の資本主義のルールとはちょっと違う市場経済が存在していた…というのが本著です。 市場の成立経緯からして違うというのはありますが、現代の証券取引所の目的は「流動性の向上と安定した価格形成を図る」という前提がありつつ、その参加者が利益を追求していく場になっ...
江戸時代の大坂、そこには今の資本主義のルールとはちょっと違う市場経済が存在していた…というのが本著です。 市場の成立経緯からして違うというのはありますが、現代の証券取引所の目的は「流動性の向上と安定した価格形成を図る」という前提がありつつ、その参加者が利益を追求していく場になっていると思います。江戸時代の大坂堂島米市場は、幕府が「米相場が望ましい状態になるため」のツールとなっていたというのが大きな違いです。 だからこそ、旗振り通信で大坂市場の情報を一足早く入手して別の市場で取引する、今で言うHFTのようなやり方は公平・公正な取引を阻害するものとして禁令が出されていた、というのが面白いところ。 他にも、5-8月は休日も休まず取引が行われ、6,7月に至っては夜通し取引が行われた…というのは、公私の線を引かずに熱中してしまう?のか、他の時間に休んでいたのか?と当時の気質が窺えるようです。 また、「立用(るいよう)」という、火縄に火がついてから消えるまでの間に、1回も取引が成立しないと、その日の取引全てが無効になる!という凄い取り決めがあったそうで、その心は、そんな相場は上げか下げで、「相手がなければ商いが止まって、相場が潰れる」からということ。また、1者が相場操縦を企てても他者が参加しないから成立しなくなる。なるほど、個性的ではあるもののサーキットブレーカーなのか…と関心しました。 これだけ諸制度が整った市場が、江戸時代の日本に存在したんだなぁと思うと、少し誇らしいような気持ちになります。 ニューヨークのウォール街、ロンドンのシティと並び称された(はずの)大坂堂島が、明治維新で消えてしまったというのが残念です。「米」を基軸とした経済というのは西欧の精神を取り入れるという中ではあり得なかったのかもしれませんが…。 ちなみに、本著の立て付けとしては入門書なのかなぁと思うのですが、新書としては少し分厚めのボリューム。中盤の事例紹介のくだりは個人的には少し読んでいてしんどかったかなぁという感じでした。 とは言え、全般的にはキャッチーにまとまっていて、面白く読了できた1冊でした。
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