環状島=トラウマの地政学 新装版 の商品レビュー
本来、トラウマというのは言葉にできないものである。しかし、それを言葉にしなければ治癒も寛解も変化も運動も起こらない。 環状島というのは、トラウマを語る位相を視覚的、物理的に表す著者のメタファーである。本書内では原爆を例にしていて、これがわかりやすいか。 原爆が炸裂する中心部、グ...
本来、トラウマというのは言葉にできないものである。しかし、それを言葉にしなければ治癒も寛解も変化も運動も起こらない。 環状島というのは、トラウマを語る位相を視覚的、物理的に表す著者のメタファーである。本書内では原爆を例にしていて、これがわかりやすいか。 原爆が炸裂する中心部、グラウンドゼロで被爆した人間は最も当事者性が高いが、トラウマを語り得ない。死んでいるからだ。では、語るのは誰かといえば、その周縁の人間たちとなる。被害は受けており当事者ではあるのだが、中心部よりも当事者性は低い。繰り返すが、これはトラウマの語りを構造化するための著者による隠喩であり、本書内では図で細かく解説している。 本書内で、イシュー化ということが再三書かれている。なんらかの問題がある現実に対し、それを具体的な言葉で表すこと。著者は環状島に限らず、オリジナルの言葉を使ってトラウマの語りを説明する。どこまで有効なのかはよくわからないが、私としてはよくわかる話ではあった。 ちなみに環状島のメタファーを現実に即して説明する際に使用されるのは、日本における最初のセクハラ裁判である晴野まゆみの一連の流れである。
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最初は、無理やり作ったメタファー(島)なんて持ち出さなくても…と思ったが、トラウマになる出来事に対する理解に役立った
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トラウマを語ることのできない者に、どのように手を差し伸べるか。当事者と支援者の立場はどのように立ち現れるのか。語る者と語ることのできない者にはどのような差があるのか。かといって、語る者のトラウマの大きさと語らない者のそれは比較できるものなのか。 本書は、トラウマを抱えた当...
トラウマを語ることのできない者に、どのように手を差し伸べるか。当事者と支援者の立場はどのように立ち現れるのか。語る者と語ることのできない者にはどのような差があるのか。かといって、語る者のトラウマの大きさと語らない者のそれは比較できるものなのか。 本書は、トラウマを抱えた当事者をはじめその家族や遺族、支援者、弁護士や医師などの専門職、研究者やジャーナリスト、そして一般の人々がどの位置に立ち、どの立場から意見を発しているのかを、中心が内海となって空いた「環状島」をモデルに論じている。内海と外海、内斜面と外斜面からなる「環状島」のメタファーは、驚くほど多くの示唆を与えてくれる。 これらの示唆は、トラウマの直接的な回復法や支援法を述べているわけではないが、自身や身の回りの人々の現状を的確に把握し、次の行動へ繋げられる点でエッセイ調でありながら実践的なものである。さらに言えば、これはトラウマに限った話ではなく、人と人との関係性や社会の中に置かれた立場を考える上で、誰もが直面する問題でもある。自身の世界を俯瞰したいときに、周りとの関係に行き詰まったときに、身近な人のことを想うときに、遠くの語りえぬ人々のことをも認識し続けるために、本書を手に取って欲しいと思う。 また、同著者のエッセイ集『傷を愛せるか』(ちくま文庫)では、より日常的な目線から著者の思索の旅を追うことができる。併せてお薦めしたい。 (ラーニング・アドバイザー/人文 MASU) ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/opac/volume/4132384
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自分が人生の底とも言える場所にいた時期に読んだ本。被害者とその事件をドラマティックに感情的に捉え表現するのではなく、こんなにも客観的に構造的に表現することができるのかと驚いた。このような表現が一番被害者に優しいと思うし、何らかの傷を負った人と触れる機会がある人にはぜひ読んでほしい...
自分が人生の底とも言える場所にいた時期に読んだ本。被害者とその事件をドラマティックに感情的に捉え表現するのではなく、こんなにも客観的に構造的に表現することができるのかと驚いた。このような表現が一番被害者に優しいと思うし、何らかの傷を負った人と触れる機会がある人にはぜひ読んでほしい一冊。
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環状島モデルで支援者と当事者、内海についてイメージできたことは、ケアする側される側と置き換えて、自分の位置を俯瞰することができて目からうろこだった。 尾根に近づくほど暴風雨が吹き荒れるとか、内海の水位がいろんな状況下で上下していたと思えば、どうしていきなりケアされる側は落ちるのか...
環状島モデルで支援者と当事者、内海についてイメージできたことは、ケアする側される側と置き換えて、自分の位置を俯瞰することができて目からうろこだった。 尾根に近づくほど暴風雨が吹き荒れるとか、内海の水位がいろんな状況下で上下していたと思えば、どうしていきなりケアされる側は落ちるのかとういのもイメージできた。 ケアする側がまき込まれた時、尾根の内側に引き込まれたのかなとか。 なかなか難しかったけれど、自分の立ち位置をイメージできるというのはとてもありがたい。 ポジショナリティについても勉強になった。
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トラウマを語る。社会に向けて声を上げること、セラピストに打ち明ける。本書では前者の意味合いが濃いと感じたが、後者にも共通する地図と確信。 複数の環状島を描けば、誰もが内海や内斜面。あるいは誰もが外海の遠い沖合となる。 ゼロ地点(内海)では声を出すことすらできない。自分が外斜面に立...
トラウマを語る。社会に向けて声を上げること、セラピストに打ち明ける。本書では前者の意味合いが濃いと感じたが、後者にも共通する地図と確信。 複数の環状島を描けば、誰もが内海や内斜面。あるいは誰もが外海の遠い沖合となる。 ゼロ地点(内海)では声を出すことすらできない。自分が外斜面に立つ時、内斜面でもがく誰かの力になれるだろうか。 水位を下げること、健全な部分的同一化を行いつつ、斜面に居続けるために何ができるか。自問自答。
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この本は図書館で借りて読んだ。以前同著者の「トラウマ」を読んだことがあって、そこに登場するトラウマを環状島(ドーナツ状の島)をモデルにして捉える方法が興味深かったから、さらに詳しく書いてありそうな本を探した。「トラウマ」では環状島のたとえしか登場しなかったと思うけれど、この本で...
この本は図書館で借りて読んだ。以前同著者の「トラウマ」を読んだことがあって、そこに登場するトラウマを環状島(ドーナツ状の島)をモデルにして捉える方法が興味深かったから、さらに詳しく書いてありそうな本を探した。「トラウマ」では環状島のたとえしか登場しなかったと思うけれど、この本ではさらに〈風〉〈水位〉〈重力〉というたとえを加えて書いていた。 現在卒業論文に取り組んでいるのだが、『バナナフィッシュ』というマンガを中心に論じるつもりだ。主人公アッシュ・リンクスほどトラウマを抱えた主人公は珍しいだろうし、この本は研究を進める上でも参考にしたい。
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