ラダックの星 の商品レビュー
子供の頃はすべてが新鮮だった。 父親と一緒に捕まえたカブトムシの光沢や ここからどこまでいけるのかと 自転車を漕ぎまくったときの足の痛み。 パチパチと喉で弾けるコーラの味。 そして初めて握った女の子の手の柔らかさ。 すべての物事を自分の中に刻み込み 新しい明日、新しい刺激に心...
子供の頃はすべてが新鮮だった。 父親と一緒に捕まえたカブトムシの光沢や ここからどこまでいけるのかと 自転車を漕ぎまくったときの足の痛み。 パチパチと喉で弾けるコーラの味。 そして初めて握った女の子の手の柔らかさ。 すべての物事を自分の中に刻み込み 新しい明日、新しい刺激に心を震わせる。 しかしどうにもならないことだが 人は年を重ねるたびに心の震えを失っていく。 代わりに心のうえに積み重なっていくのは いろいろなものを失っていく喪失感だ。 主人公であり書き手のアキは 友人のミヅキを死というかたちで失う。 ぽっかりと空いてしまった心の穴を埋めるため アキは世界一綺麗といわれる ラダックの星を見に行こうと思い立つのだ。 とにかく我慢ならないくらい 澄んでいて輝いている綺麗な星を。 アキはラダックへ行く道中で考え続ける。 なぜミヅキは死んだのか 死ななければならなかったのか。 けれど誰も何も答えてくれない。 それでもアキは考える ミヅキの死だけでなく 私たちの心に降り積もっていく喪失感を じっくりとひっそりと黙々と。 そしてアキは気づくのだ。 大切なのは喪失から目を背けることではなく いつかの子供のときのように その喪失をしっかりと受け止め 自分の中に刻み込むこと。 子供の頃のようにもう心は震えることはない しかし刻み込んだ喪失を抱えて また新しい明日を生きなければならないのだ。 アキの目の前に突然現れた こぼれるようなラダックの星の光。 それは立ち向かったものしか 見ることのできない救いという名の光。
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インパラの朝が衝撃的で 面白くて、あっという間に読み終えただけに 旅の話と友達との昔の話が交互に行き交って 個人的には少し入ってきにくい内容だった。 なぜ別々に書かずに 旅の話の所々にミヅキの話を入れたのかな。 もしかして旅の途中途中で思い出した場面のかなぁ とか考えたりした。 中村さんの書く言葉は 詩的で儚げで美しさもあるのに わかりやすく、その時の情景が目に浮かぶ。 人は悲しみや悔しさややりきれない想い、 期待、希望、夢、いろんなものを抱えて旅に出る。 そして癒されたり、忘れることができたり、 希望に変わったり、新たな目標ができたりして いくものなのだろう。
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とてもよかった。 手元に置いておきたい本。 著者の個人的な過去の体験を結びつけて、旅をする物語。 星を追い求めにいったが、本当に出逢いたかったものは、その後の美しく輝く黄金色の世界だったのかもしれない。 過去の棚卸し。ザックの中身を全て抜き取るようにして、本当に必要なものだ...
とてもよかった。 手元に置いておきたい本。 著者の個人的な過去の体験を結びつけて、旅をする物語。 星を追い求めにいったが、本当に出逢いたかったものは、その後の美しく輝く黄金色の世界だったのかもしれない。 過去の棚卸し。ザックの中身を全て抜き取るようにして、本当に必要なものだけに絞る作業。 さながら登山のように前に進む事で、今までの自分が想定していた道ではない、それを超えたものに出逢えることもある。 振り返ることで前を向ける。 最後の登頂シーンは、山の美しさと厳しさが荘厳に描かれており、とても美しかった。
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「インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日」で開高健ノンフィクション賞を受賞した中村安希さんが、とある理由からインドのラダックに星を見に行くことになった紀行文。 紀行の描写もさることながら、その心理描写が大変に素晴らしい。 動作ひとつ、視線ひとつ、心の葛藤ひとつが、締め...
「インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸 684日」で開高健ノンフィクション賞を受賞した中村安希さんが、とある理由からインドのラダックに星を見に行くことになった紀行文。 紀行の描写もさることながら、その心理描写が大変に素晴らしい。 動作ひとつ、視線ひとつ、心の葛藤ひとつが、締め付けられるような苦しさや、虚無感を感じさせる。 一人の女性を巡って現在と過去が交錯していく表現がなんとも儚く、過去の美しさを知っているからこそ、それがなくなってしまった現在の虚無感が響いてくる。 一歩づつ歩き続けたくなる一冊。 ちなみに僕の2018年第2位にランクした本です。
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筆者は2014年の9月7日から10月1日にかけて、北インドのラダック地方に一人旅をする。 目的は星を見ること。 「黙々と、山の中を歩きたかった。社会の喧騒から遠く離れて闇の中で眠りたかった。誰もいない孤独の中に身も心も委ねてしまいたかった。その旅には目的と呼べるものがひとつだけあ...
筆者は2014年の9月7日から10月1日にかけて、北インドのラダック地方に一人旅をする。 目的は星を見ること。 「黙々と、山の中を歩きたかった。社会の喧騒から遠く離れて闇の中で眠りたかった。誰もいない孤独の中に身も心も委ねてしまいたかった。その旅には目的と呼べるものがひとつだけあった。人生観をその根底からひっくり返してしまうような、ものすごい星空に出会うこと。私は、ヒマラヤ山脈の中を二五日間かけて歩き回り、そこに完璧な星空を見つけ出すつもりだった。」 そして、それが「人生観をその根底からひっくり返してしまうような、ものすごい星空」だったかどうかは別として、筆者はラダック地方で心を動かされるような星空に出会うことに成功する。 これだけであれば、星空を見るための旅行記・紀行文であるが、本書には、もう一つのテーマがあったようである。それは、幼馴染のミズキへの想い。 筆者とミズキは、小学校・中学校・高校で同窓生となる。筆者はライターの道へ進み、ミズキは(おそらく)翻訳家の道を進む。33歳あるいは34歳の頃、筆者はミズキのご家族からのメールにより、ミズキが亡くなったことを知る。いつ、どのように亡くなったのかは、ご家族は知らせておらず、筆者にも分からない。旅の途中で、筆者はミズキのことを考え続ける。 上に「もう一つのテーマがあったようである」という曖昧な書き方をしたが、それは、私が最後まで、星を見に行く旅行とミズキへの想いの独白という形態を本作品がとる意味が分からなかったからである。 読むときに少し集中力を欠いていて、何か大事なことを読み逃していたのかもしれないが、「ミズキのことを書く必然性、あるいは、逆に、ラダックへの旅を書く必然性」「ミズキについて何を書きたかったのか」について、最後までよく分からなかった。思わせぶりな書きぶりをしている部分もあり、何か最後まですっきりとしない読後感であった。
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