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グッバイ、レニングラード の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2024/03/01

2024.2.3市立図書館 同じ著者の「カティンの森のヤニナ」がとてもよかったので、それより前に出ていた本も読んでみることにした。著者は10歳のときに崩壊直前のソ連に子ども記者として滞在したことがあり、それを原体験としてノンフィクション作家の今があるということで、その原体験の地を...

2024.2.3市立図書館 同じ著者の「カティンの森のヤニナ」がとてもよかったので、それより前に出ていた本も読んでみることにした。著者は10歳のときに崩壊直前のソ連に子ども記者として滞在したことがあり、それを原体験としてノンフィクション作家の今があるということで、その原体験の地を再訪した話。 テーマとしてはショスタコヴィッチの交響曲第七番「レニングラード」の誕生からレニングラード初演までの長い道のりをたどる旅で、裏テーマとして映画「グッバイ、レーニン!」へのオマージュを隠した作品。前者は1年ほど前に神奈川フィルの定期公演で聴いた記憶も新しく、もうちょっとはやくこの本に出会っていたかった気もする(またいつか聞けるといいけれど、そうちょくちょく演奏できるものでもなさそうだし…)。映画の方は未見だけど、いつかみてみたい。 そしてまた、この本はソ連という国に重ねて彼女の家族の来し方をふりかえり前を向くための作品でもあった。たしかに、自分ではどうしようもないバックグラウンド、父母から背負わされたもの(でも捨てるに捨てられないもの)を自分なりにどう背負い直して歩んでいくか、というところが人生にはある。両親の宿命や家族の歴史からはのがれられず、それは自分の半身であるのだなあということは私自身歳を重ねるごとに実感が増しており、できることなら、こういうふうに父や母の葛藤や無念を成仏させたいものだと思ってしまった。 レニングラード包囲戦は史実としては知っていたが(飢えて革でも靴クリームでもなんでも食べたというようなエピソードも)、くわしい当時の話を知るとあまりに凄惨だし、でもこれが他人事じゃないのがいまのガザであるし、天災や戦争で自分たちにいずれこういうことが降りかからない保証はない世界を生きていると改めて思う。 そして、欧米でもアジアでも(もちろんイスラムでもアフリカでもない)、まぎれもなく「ロシア」と呼ぶ他ない地域と人々の存在感の大きさをあらためてかみしめた。

Posted byブクログ

2022/10/29

あれほど美しい音楽や芸術を生み出す国民が、同じ手で獣の所業を犯すとは一体どういうことなのだろうか。 神と悪魔、その両方が彼らに内在しているのだろうか ヒステリアシベリアカ ただひたすら夕陽に向かって歩き出し、野垂れ死ぬ農夫。 抗いがたい死の誘惑、孤独と恍惚。

Posted byブクログ

2018/06/21

10歳の時に子供特派員でソ連を訪れた著者が25年の時を経てロシア・サンクトペテルブルクを再訪する。 再訪の主な目的はショスタコーヴィッチの交響曲第7番の軌跡を探るため。 私は、彼女がソ連を訪れるよりはるか以前の1977年に彼の地を訪れたことがあるが、レニングラードに、そしてショス...

10歳の時に子供特派員でソ連を訪れた著者が25年の時を経てロシア・サンクトペテルブルクを再訪する。 再訪の主な目的はショスタコーヴィッチの交響曲第7番の軌跡を探るため。 私は、彼女がソ連を訪れるよりはるか以前の1977年に彼の地を訪れたことがあるが、レニングラードに、そしてショスタコーヴィッチの作品に、このような背景があることを全然知らなかった。恥ずかしい…。 機会があればもう一度行って、自分の目でも確かめたいと思った。

Posted byブクログ

2018/04/25
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

【散って,崩れて,追いかけて】ナチス・ドイツによるレニングラード包囲の中で生まれたショスタコーヴィッチの交響曲第7番。ソ連の崩壊直前に子ども特派員として同国を訪れた著者は,その成立に迫る番組の取材でロシアを再度訪れるのであるが......。今はなきソ連と今日のロシアをつなぐ線を紡いだエッセイです。著者は,ライター兼出版プロデューサーとして活躍する小林文乃。 事実の羅列としてのソ連・ロシアの歴史ではなく,物語としての歴史を透徹することに成功している作品。なかなか外部からは覗き知り得ない国民的記憶の底を浚ったエッセイとして見事な一冊だと思います。過去と現在が見えないところでつながっている感覚を味わいたい方にぜひオススメです。 〜あのとき,ソ連崩壊の足音は確かに聞こえていた。そして,国民全員がそれを知っていたが,誰もその流れを止められなかったのだ。〜 表紙買いでしたが正解でした☆5つ

Posted byブクログ

2018/04/18
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 著者は言う; 「偶然にも私は、崩壊間際のソ連を体験した、恐らく最後の日本人のひとりとなったのだ。」  それなら、私は、 「偶然にも、崩壊直後のソ連を体験した、恐らく最初の日本人のひとりとなったのだ。」  と言える。  1991年8月のソ連邦崩壊のクーデター。  その時、自分は、いよいよ9月からのレニングラード入りに向けて、荷物の発送も終えスタンバッテいた時だった。なにもかもが懐かしい感じがする。  当時(1991年)、メディアの企画でゴルバチョフ時代のソ連を体験した少女(当時11歳)が、改めて2016年11月にロシアを訪問するレポルタージュだ。現在と過去(25年以上前)の想い出との対比を点景に、第二次世界大戦中のナチによる市街包囲戦の史実と、その時代を生きたショスタコービッチの生き様を、レニングラードという街を舞台に描いている。  著者にとっての2度目のロシア訪問。出発した日はアメリカ大統領選の投票日。誰が当選するかで為替相場の乱高下が予想される。 「私はヒラリーに賭けて、空港の両替所で円をドルに替えた。両替所の記入用紙は、さながら投票用紙である。私のアメリカ大統領選は、成田空港の片隅の両替所で行われたのだ。」  訪問先でも何かが起こりそうな、そこはかとなくドラマチックな書き出しにワクワクさせられる。  ナチによるレニングラード包囲戦がレポのひとつの主題。このエピソードは当時レニングラードに暮らした時には、とんと耳にした覚えがなかった。もちろん自分がまだまだロシアに造詣深くなく、また当時は辛い歴史を振り返っていられぬほど国として混乱し人々の生活が疲弊していた時期だったのだと思う。  ”命の道” (Дорога жизни)。 史実を後世に伝える為に開催されている、その道(の一部)を使ったマラソン大会が開かれていて、2013年1月には実際にその道を走ってみた。そんな自分の想い出とも重なる、この道にまつわるエピソードは、改めてズシリとした重みを以って心に響いてくる。  900日間の包囲、100万人以上とも言われる市民・軍人の死者数。東京大空襲、広島・長崎を足してもまだ及ばない数の犠牲者だという。  そんな時代から、ソ連邦崩壊まで、この街、この国に起こった出来事を、平易な目線と、著者自身が知る当時のソ連と今のロシアを見比べながら描く。  もうひとつの軸が、ドミートリイ・ショスタコーヴィチだ。包囲網の中、レニングラードで作曲に着手した交響曲第7番、『レニングラード交響曲』が生まれる背景と、彼が辿った浮き沈みの人生を俯瞰し、この国の右へ左の揺れ動きの大きさを、読者もかの地で体感できるかのような、肌感覚での描写で綴る。 「ショスタコービッチ記念第235番中学校内 民間博物館」に付随する「女神(ミューズ)は黙らなかった」という言葉の意味、ロシア人なら誰もが知る女流詩人オリガ・ベルゴリッツの言葉「誰一人忘れまい、何1つ忘れまい」、ガガーリンの逸話に禁酒法時代の密造酒の作り方 etc.,etc.・・・。  時代は前後するが、全てのあの国で、あの時代、ソ連時代に起きた様々な出来事が、玉石混交で次々と語られてゆく。  まとまりないと言えばまとまりないのだが、あの街で暮し、あの時代を知る者にとっては、様々な想い出とリンクして、あとからあとからと、当時の風景が思い出されるようで、非常に懐かしいのだ。  著者は、 「たった数日の滞在でなにが分かるかと言われてしまいそうだが、私のなかのソビエト連邦はこれでようやく「成仏」させてあげらた気がしている。」  と、今回の訪問で、ひと区切りつけたようだ。  さて、自分は? ソ連からロシアへの移行も現地で体験し、その後もロシアにところどころで携わる。ソ連とロシア、別ものとして考えたことも、そういえばあまりなかったなと思った。自分のなかでは、地続きなイメージなんだろうか。 いつの日か、振り返って考えてみよう。

Posted byブクログ

2018/03/01

【五木寛之、藤原正彦氏激賞、期待の新鋭!】十歳のときにみた崩壊直前のソ連邦。四半世紀後の再訪、ロシアは変わったのか。その歴史の光と影を綴った渾身のルポルタージュ。

Posted byブクログ