記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実 の商品レビュー
かつて「朝日ジャーナル」という雑誌があって、霊感商法や原理研問題などを強く批判する記事を書き続けて統一協会と厳しい緊張関係にあった。所属記者やその家族までもが、何者かによって様々な脅迫や嫌がらせを受けるという状況の中、筑紫哲也に代わって編集長になった伊藤正孝が就任直後に書いた名檄...
かつて「朝日ジャーナル」という雑誌があって、霊感商法や原理研問題などを強く批判する記事を書き続けて統一協会と厳しい緊張関係にあった。所属記者やその家族までもが、何者かによって様々な脅迫や嫌がらせを受けるという状況の中、筑紫哲也に代わって編集長になった伊藤正孝が就任直後に書いた名檄文「野戦服宣言」を思い出した。 野戦服宣言が書かれたのが1987年4月。阪神支局襲撃事件が1987年5月。 事件当時は右翼による襲撃としか言われていなかったので気づかなかったが、朝日新聞と統一協会が極めて激しい緊張関係にあった時期の事件だったんだな =====(野戦服宣言)===== 砂漠の薄い皮膚に現れる風紋は、砂嵐の前兆である。風のメッセージを敏感に読みとらなければ、人も車ものまれてしまう。そんな危うい時代に「朝日ジャーナル」はどうあるべきか。かつて本誌は「背広を着た知性」として端麗に登場した。背広がくたびれたころ、筑紫哲也前編集長がカジュアルなジャケットを着せた。そしていま「野戦服を着た知性」が必要なときかもしれない。「戦う雑誌」として、さあ、前へ。 =====
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面白いのに文字が滑りなかなか頭に入らない 時期的に忙しかったからなのだろうか? 読むタイミングだけが上手くハマらなかった
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赤報隊による襲撃・脅迫事件は、報道機関の根底を揺さぶるテロ行為である。その事件にまつわる疑惑や賛否の声に思想の違いを認めても、これほどの暴挙は理解できないし人道上許すべきではない。真相は藪の中だが、この未解決事件を追及する筆者と仲間や協力者が抱く覚悟と矜持に賛辞を送りたい。
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富山市立図書館070.1||ヒツ||2018 167p 末尾から2行目 誤)1966年7月7日付 正)1967年7月7日付
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この古い未解決事件にも今話題の教団が影を落としているとは驚く。だが実際に誰がどんな背景で起こした事件なのかは本書でも明らかにはならないし、これからもなることはないだろう。 しかし本書を読むと何故かもう一歩のところで捜査の手が緩められている気がしてならない。公安警察と右翼や宗教関係...
この古い未解決事件にも今話題の教団が影を落としているとは驚く。だが実際に誰がどんな背景で起こした事件なのかは本書でも明らかにはならないし、これからもなることはないだろう。 しかし本書を読むと何故かもう一歩のところで捜査の手が緩められている気がしてならない。公安警察と右翼や宗教関係とのつながりの深さを感じてしまう。(特に世界日報関係の殺人未遂事件は明らかには捜査の手抜きとしか思えない) 今回の件で、闇に埋もれた過去の事件にも再び光が当たることを望む。
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朝日新聞の元記者が赤報隊と称する者に、襲われ、殺された事件を追ったものをまとめた本。 取材は関係すると思われる右翼及び某宗教関係者にあうことによって行われており、相当の労力がかかっているであろう。 が、本書を読むと朝日新聞が退潮気味になったのはなぜなのかもわかる。 犯人と疑わしい...
朝日新聞の元記者が赤報隊と称する者に、襲われ、殺された事件を追ったものをまとめた本。 取材は関係すると思われる右翼及び某宗教関係者にあうことによって行われており、相当の労力がかかっているであろう。 が、本書を読むと朝日新聞が退潮気味になったのはなぜなのかもわかる。 犯人と疑わしい人物に対して「総合的に見てシロ」とかという記述が頻出する。すくなくとも、この点とこの点からシロと判定したという論拠を書くべきだろう。 また、P.146で民族派の某氏が、α連合(本書内では、現在元首相暗殺で夕目になった 某宗教をα教、その政治団体をα連合と書いているが、このようにして名前をぼかす意図もよくわからない)に出した原稿を「いやな予感」がしたので取り戻したという文書がある。この文書何を言いたいのかわからない。一個人の主観的な感覚をわざわざ書くことに何の意味があるのだろうか。α連合に対するイメージを悪化するためだけに、一個人の主観を記述しているのだろうか? 以上のように朝日(の記者)は、曖昧かつ主観的な記述を書き連ねるから(朝日新聞は)退潮気味になったと自分は考える。
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うかつにも旬な本であることに気づかずに読み始めた。 赤報隊として、韓国発祥で霊感商法などにより「朝日ジャーナル」誌から批判されていたα教団、その政治団体であるα連合など(αは本書の中の表記)が疑われていたことは私の頭の中からは消え去っていた。 いや、当時おこちゃまだった私には最初...
うかつにも旬な本であることに気づかずに読み始めた。 赤報隊として、韓国発祥で霊感商法などにより「朝日ジャーナル」誌から批判されていたα教団、その政治団体であるα連合など(αは本書の中の表記)が疑われていたことは私の頭の中からは消え去っていた。 いや、当時おこちゃまだった私には最初からインプットされなかったのかもしれない。その犯行声明もあって、一般的には右翼団体が疑われていたわけだし。 事件当初から朝日新聞社の取材班はα教団に注目していたというし、右翼の有力者もα教団を疑っていたというが、おこちゃまレベルにまで広まってはいなかった気がする。 本書は、朝日新聞社の取材班時代から30年にわたって事件を追い続け定年退職を迎えた元記者によるもの。 結局、真犯人を名指しするところには至っていないのだが、なぜこの事件が未解決に終わったかの理由については、その「真実」が垣間見えるようになっている(私が読み取った行間が正しいのであれば)。
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どうも首相狙撃事件との関連性があるかもしれない…ということを知って読んでみた。 それにしても約35年前は、直接的な行動が多かったんだなということを実感。当時に比べてこういう事件が少なくなったのは、ある意味ネットができて、思いを吐き出せる場所が行動の抑制になってるんじゃないか?な...
どうも首相狙撃事件との関連性があるかもしれない…ということを知って読んでみた。 それにしても約35年前は、直接的な行動が多かったんだなということを実感。当時に比べてこういう事件が少なくなったのは、ある意味ネットができて、思いを吐き出せる場所が行動の抑制になってるんじゃないか?などと妙に感心してしまった。(勿論その分匿名となって攻撃してくる陰湿な事案も増えたので感心してる場合ではないのだが…) そしてこの記者さんたちによる徹底した取材ぶりに陳腐な言葉だが本当に頭が下がる。野次馬的で恐縮だが、いつの日か真相が明るみになることを祈る… 色んな報道で見聞きする「政治の力」という言葉が実感できる章があるので、そこだけでも読むべきでは?なんて…
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赤報隊事件ってなんだっけと思いながら手に取った。 朝日新聞阪神支局の記者が散弾銃で襲われた事件。 1987年の憲法記念日のことだった。 報道に関わる人たちやその仕事のことを知ることができた。 右翼や宗教団体のことも。
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1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件を中心とする一連の広域テロ、いわゆる「赤報隊」事件を30年以上にわたって取材し続けた元朝日新聞記者によるノンフィクション。結局、未解決のまま公訴時効となった事件だが、本書では従来からの主流説である「新右翼(反米右翼)」説に加え、一部で囁かれて...
1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件を中心とする一連の広域テロ、いわゆる「赤報隊」事件を30年以上にわたって取材し続けた元朝日新聞記者によるノンフィクション。結局、未解決のまま公訴時効となった事件だが、本書では従来からの主流説である「新右翼(反米右翼)」説に加え、一部で囁かれていた旧「統一教会」・「勝共連合」説にも多くの紙幅を割き、改めて再取材を繰り返した成果が示されている。特に後者の非公然軍事組織に迫ったことは、「赤報隊」事件の枠組を超えた「スクープ」としての価値があろう。いずれの犯人「候補」も決め手を欠き、本書でも「真犯人」は明らかになっていないが、「赤報隊」事件を起こしたある種の政治的・運動的なメカニズムにはかなり肉薄していると思われる。 退社後の著作であるため、朝日新聞社の社史部局が歴代社長の非公開「回想録」を秘蔵しているとか、朝日経営陣と統一教会系の世界日報との「裏取引」疑惑や某記者(名前は伏せているがわかる人にはすぐわかる)の金銭授受の証言など、朝日新聞にとって不都合な事案も示しており、野村秋介事件前後の社の対応も厳しく批判している。事件当事者にして報道機関という立場にあって、警察との距離の取り方、特に取材情報と捜査情報の共有はどこまで許されるのか、大組織にあって社内の合意のないままに、なし崩し的に取材ノートや社内報告書が警察に流れていった経緯を批判的に検証してもいる。戦前の戦争協力から近年の朝日新聞バッシングに至る歴史意識も明確で、事件当時は圧倒的に少数派であった極右言説が今や日本社会の主流にすらなっている現状への確かな危機感は胸に迫るものがある。 なお問題点としては、まず仮名・仮称が多すぎることで、特に統一教会関係は団体名すら伏せられている。仮名であっても叙述内容から誰であるかは明白な場合が多く、匿名化の意味を感じなかった。おそらく岩波側の判断だろうが、あまりにも弱腰すぎる。また、「ミイラとりがミイラになる」というか右翼人脈との取材を繰り返す中で、右翼の「論理」に取り込まれている点も見受けられ、例えば南京事件否定説に一部評価を与えていることを窺わせるなど極めて疑問である。総じてジャーナリズムにおける取材対象(それも取材者に敵意を示している)との関係のあり方はどうあるべきか、難しさを改めて考えさせられた。
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