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日本人の質問 の商品レビュー

3.2

9件のお客様レビュー

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2023/07/02

1970年代から80年代にかけて、日本人がキーンさんにする質問ときたら。。。当時外国の人をひっくるめて『外人』と呼んでいて、しかも『外人』 と言えばいわゆる欧米人、もっと言えば白人だったように思う。今思えば私も似た様な印象からくる疑問や質問を持っていた事は否めず、さぞかし不愉快な...

1970年代から80年代にかけて、日本人がキーンさんにする質問ときたら。。。当時外国の人をひっくるめて『外人』と呼んでいて、しかも『外人』 と言えばいわゆる欧米人、もっと言えば白人だったように思う。今思えば私も似た様な印象からくる疑問や質問を持っていた事は否めず、さぞかし不愉快な思いもされてきた事でしょう、と恥ずかしい気持ちにもなりました。 後半はキーン先生が研究されてきた様々な日本感が綴られておりとても勉強になります。 谷崎潤一郎氏との思い出も語られていて、谷崎源氏を読んでみたくなる。とても分かりやすい現代語訳から入った方がいいかしら?なんて考えるきっかけも与えてくれる良き一冊でした。

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2021/09/23

前半は、アメリカ人の著者が日本人からよく受ける質問に対して、思うところを述べるエッセイ。 後半は、日本文学研究者として、日本文学や宗教観について述べている。 前半パートで共感した部分は、国際語としての日本語を考えるべきである、という点。 日本人の国民性についても所々で述べており...

前半は、アメリカ人の著者が日本人からよく受ける質問に対して、思うところを述べるエッセイ。 後半は、日本文学研究者として、日本文学や宗教観について述べている。 前半パートで共感した部分は、国際語としての日本語を考えるべきである、という点。 日本人の国民性についても所々で述べており、日本人は文化の輸出を考えるべきという指摘は尤もだと感じました。

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2021/06/07

一昨年亡くなった日本文学研究者のエッセイや古典文学の研究などを集めた本。タイトルは主に、キーン氏本人に日本人が大抵してくるという質問に、ややへそまがりに感じたり答えたりしたことを表している。 本書のエッセイなどは1980年前後に書かれたもの。日本人が「アメリカ人」に持ちがちなス...

一昨年亡くなった日本文学研究者のエッセイや古典文学の研究などを集めた本。タイトルは主に、キーン氏本人に日本人が大抵してくるという質問に、ややへそまがりに感じたり答えたりしたことを表している。 本書のエッセイなどは1980年前後に書かれたもの。日本人が「アメリカ人」に持ちがちなステレオタイプな質問(刺身は食べられますか?ニューヨークは犯罪都市ですか?など)に多少辟易し、あえて相手の期待を裏切って突飛な回答をしてやろう、といったことがユーモアを交えて語られる。 前半のエッセイは日本人が書いた文章のように読みやすかったが、後半急に読みにくくなる文章が出てきた。これは英文で著者が書いた物を日本人が訳したものだった。やはり翻訳物は読みづらいことを再認識してしまう。それだけに、日本文学を英訳して英語圏へ発信し、普及させた氏の功績は見事だ。

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2021/04/13

外国人が日本人の質問にどんな回答するんかなーという気軽なテンションで借りたんだけど、美術館廻った後みたいな疲労感がすごい。キーン先生が学者さんなこと忘れてた

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2019/03/14

ドナルド・キーンが亡くなった。彼の言葉を知らなければ谷崎潤一郎を読もうなどとは思わなかった。日本文学の大きな山脈である大谷崎。まだまだ登りきれてはいないのですが、いつか登りきりたいと思っております。合掌。

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2018/11/17

日本人より日本人的センスの光る見事な日本語。海外出身者だから感じられる日本の良いところと変なところ。 日本の国内だけにいたら当たり前過ぎて気づくことの出来ない事もわかりやすい日本語で読み易く書かれてます。 『銀行へ行くとハンコのことを印鑑と言っている。区役所では実印で、郵便配達は...

日本人より日本人的センスの光る見事な日本語。海外出身者だから感じられる日本の良いところと変なところ。 日本の国内だけにいたら当たり前過ぎて気づくことの出来ない事もわかりやすい日本語で読み易く書かれてます。 『銀行へ行くとハンコのことを印鑑と言っている。区役所では実印で、郵便配達は認めと言う。同じハンコなのに場所によって呼び方が違う。…、もっと外国人にもわかりやすい、基本的な日本語を発明したらいいと私は思う。』 ごもっとも‼️

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2018/09/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ニューヨーク生まれの日本文学研究者ドナルド・キーン氏のエッセイ。内容は朝日新聞客員編集員時代のものであり、1983年に朝日新聞社から刊行されたものが、35年の時を経て文庫化されたとのこと。 日本文学研究者であるキーン氏が、日本人とはどういう国民なのか、自分の目を通して見えたことを綴っている。 外国人の日本文学の研究者からみて、日本人はどう見えるのか・・・という視点が興味深かったので、購読してみたが、何しろ35年も前に書かれたエッセイなので、少々新鮮味に欠ける。 当時、日本人というのは、「自分たちは世界の中では特殊な存在である」という自意識が強い国民、であるようにキーン氏には見えたようである。 日本語は難しい、漢字は難しい、文化は独特、食べ物(刺身など)も独特という自意識を持っていると。その自意識の裏返しに、外国人への質問は全く紋切り型で、「日本語は難しいですか?」とか、「俳句は理解できますか?」とか、「刺し身は食えますか?」とか、そんな質問ばかりだと著者は言う。 特に、普通の日本人より日本のことを研究している著者にとっては、そういう質問をされることが腹立たしかったらしい。日本語には詳しいし、刺身なんか食いなれているという自負がある。 今ではどうだろう?来日した外国人へは、同じような質問をしてしまうような気もする。 著者のボヤキ以外で少々興味深かったのは、日本文学の中で最も日本的なジャンルは日記文学ではないかという意見。一葉、子規、啄木、独歩、有島は日記を一流文学に仕上げたと。そのように言われると読んでみたくなる。 もうひとつは、日本語が難しすぎて、国際語になりえず、それは日本にとって大きな損失だという意見。外国人が日本語をもっと簡単にマスターできるようなものに変革できれば、相互理解もより深まると。もっと日本語を簡単なものにしろと・・・。難しいのだとは思うが、理屈はそうだと納得した。 日本人以外の視点を持ちながら、純粋に日本を愛する研究者のつぶやきが面白い。

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2018/04/08

ドナルド・キーン氏が主に1980年代に執筆した、日本・日本人に関するエッセイ・論考集。日本への温かなまなざしが伝わる。

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2018/03/12

実は甘く見ていた。軽いエッセイだと思っていた。しかし、そんなものをわざわざ35年ぶりに復刊、初文庫化しないだろう。もちろん第一章の「外国人から見た日本人」のいろいろは、幾つかは現代でも当てはまり、幾つかは国際化した日本では当てはまらない等々の「感想」を喚起する「読み物」になってい...

実は甘く見ていた。軽いエッセイだと思っていた。しかし、そんなものをわざわざ35年ぶりに復刊、初文庫化しないだろう。もちろん第一章の「外国人から見た日本人」のいろいろは、幾つかは現代でも当てはまり、幾つかは国際化した日本では当てはまらない等々の「感想」を喚起する「読み物」になっていて、現代的だろう。 しかし、第ニ章の、特に「日本古典文学の特質」は、久しぶりに接した充実した日本文学論、日本文化論になっていて、唸った。「名著」である。私は既にこれと同じ議論を加藤周一「日本文学史序説」で読んでいて、有る程度それによって、この40年間を過ごして来た。キーン氏の指摘は重なる所もあるが、重ならない、いや他の言い方で言えば、同じ部分をつついていて重点がずれている部分が多かった。それはもしかしたら、あくまでも日本人として世界の文学を見てきた加藤周一か、外国人として日本の文学を見てきたキーン氏か、という違いなのかもしれない。以下、その論文から刺激を受けた部分をメモして、最後に私の感想を書く。 「日本古典文学の特質」(1978.11) (1)日本の詩歌は韻を踏まないので、七五調を基本にするが、内容が「何か電流みたいなものが流れていないなければ」すぐに散文になる。外国文学(西欧も中国も)は、韻によってまたは、ストレスアクセント(平仄など)によって詩歌と散文が分かれる。 (2)日本人は偶数を嫌い奇数を好む。幾何学模様を嫌う。 (3)本歌取りは剽窃ではない。「未踏の地」には興味はない。 (4)余剰の文学。始まりと終わりが大切で、真ん中の箇所には沈黙を守る。 (5)連歌や連句のような座の文学が多く、全体の構造は問題にならない。歌舞伎や浄瑠璃も合作が多い。浄瑠璃『忠臣蔵』の3人の作者を誰もあげることはできないだろう。能は、始まり前から主人公は死んでいる。始まりも真ん中もない終わった話。西洋にそういう芝居はない。また、パラグラフの概念がない。どんな発言も、一つの長い文句(センテンス)になる傾向がある。 (6)散文の特徴は、主観的である、ということ。日本の小説は日記から生まれた。日記が自伝になり、物語になった。西洋・中国は、伝記から小説になった。「源氏物語」に政治や軍事はない。「平家物語」でさえ、勝利ではなく、負け戦を、1番聞き所は「敦盛の最期」等々の最期の話。 (7)西洋ではラテン語では小説を書かなかった。浄瑠璃は、舞台用語で書かれた。また、文学論が早く発達した(源氏物語、無名草子、歌論、評論も文学と思われている)。 (8)世界の文学と大いに違うが、日本文学は難解ではない。なぜならば、そこに「あらゆる人間に共通なテーマや表現がある」から。 加藤周一は(3)(4)(7)については、ほとんど書かなかった。そういう意味で新鮮だった。ここに書いていることは、おそらく「日本文学の歴史」で、全面的に展開されているのだろう。池澤夏樹の日本文学全集読破の暁には紐解きたいと思う。日本文学史を語ることは、即ち日本思想史を語ることである。それは日本の未来を語ることと直結するだろう。私が興味を覚える所以である。 2018年3月読了

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