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21世紀の楕円幻想論 の商品レビュー

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9件のお客様レビュー

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2021/06/07

大六天のTSUTAYAで「小商いのすすめ」という本を見かけたのが最初だった。今のところまだその本は読んでないのだけれど、そのタイトルだったり、またこの本の帯にある文無し生活とか見かけていたから、あまりパッとしない話なのかなとあまり期待しておらず、結局新刊では買わずに、池袋のブック...

大六天のTSUTAYAで「小商いのすすめ」という本を見かけたのが最初だった。今のところまだその本は読んでないのだけれど、そのタイトルだったり、またこの本の帯にある文無し生活とか見かけていたから、あまりパッとしない話なのかなとあまり期待しておらず、結局新刊では買わずに、池袋のブックオフで見かけて買ったのだった。 前置き長すぎたが、読み終わりたくなかった本の一つだった。この本では有縁と無縁と言い表されているが、つまりは一種の全体主義と対する資本主義の、それぞれはどういうもので、でも対立させて良いわけではなく、裏返しの関係にあるそれぞれをどこで見ているのが今の自分なのか。そして誰もが迎える死に向かって、何を見ることができるのか、ねえ皆さん、楽しみじゃないですか?と著者の平川さんは言いたかったように思えた。

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2020/01/21

白黒つけず、緩やかなつながりの中で生きていこう。少なくともそういう風に生きて行ける選択肢の世の中になるといい。飄々と世間話のように展開される持論はまとまりがなく、流れ流れて結論らしきものはありません。でもそれがいいんだな。先達がつらつらと語っている事を拝聴しているような気持。 縁...

白黒つけず、緩やかなつながりの中で生きていこう。少なくともそういう風に生きて行ける選択肢の世の中になるといい。飄々と世間話のように展開される持論はまとまりがなく、流れ流れて結論らしきものはありません。でもそれがいいんだな。先達がつらつらと語っている事を拝聴しているような気持。 縁を断ち切って強いものだけが生きて行けるように調整された社会の中では、皆が幸せを感じて生きていく為の寛容さが少ないので、お互いの心の余裕を分け与えながら緩やかに生きていきたいものであります。 論というほど大上段に構えたものではありません。楕円形に歪んだ心地よい世間話です。 誰もが産まれた時に返済しようのない負債があり、親にそれを帰すのではなく、さらに先の世代を世話する事によって結果的に返している。そうやって長期的に見た時に損得を超えた何かをお互いに受け取っているのではないでしょうか。

Posted byブクログ

2019/08/17

☆☆☆2019年8月レビュー☆☆☆ 相互扶助の社会か、反対給付の社会か。 有縁か無縁か。 対照的な社会の姿を論じながら、現代の日本、世界に警鐘を鳴らす書。特に印象に残ったのは、「自己責任論」を批判する部分。ここでいう自己責任とは、「困っている人、弱っている人がそうなっている...

☆☆☆2019年8月レビュー☆☆☆ 相互扶助の社会か、反対給付の社会か。 有縁か無縁か。 対照的な社会の姿を論じながら、現代の日本、世界に警鐘を鳴らす書。特に印象に残ったのは、「自己責任論」を批判する部分。ここでいう自己責任とは、「困っている人、弱っている人がそうなっているのは、自分が努力をしなかった結果である。だから助ける必要はない」といった意味での「自己責任論」。 このような考えは責任という言葉ではなく「俺には関係ない」という意味での無責任論だと筆者は指摘する。 もっともだ。 本当の責任とは「自分には本来は責任のないこと」にも真摯に取り組むことだという。『小商いのすすめ』にも似たようなことを書いていた。 「貨幣は腐らない」という面を指摘した貨幣論も面白いと思った。それが富の一極集中につながるんだと。 『エンデの遺言』にも似たようなことが書いてあったな。 僕がこの本を読んで思ったのは、大切なのは「思いやりと優しさ」なのでは?ということ。

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2018/10/17

資本主義が成熟した社会でただ自己の利益を追求するのではなくて、一人一人がお金や他者に対する関係性を見直し、モラルを更新していかなければならないと感じた。 物事を考える時は二者択一ではなく、その程よい距離感を考えるということは今の世の中に必要だと思った。

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2021/08/08

水野敬也氏の一押し。確かに面白かった。著者は内田樹の友人らしい。それだけで面白そう。    ところが、イヌイットにとっては、負債は人間であれば当たり前のことなのです。むしろ、分け与えることは義務であり、それを受け取ることも義務なのです。現代的解釈における権利と義務という意味で...

水野敬也氏の一押し。確かに面白かった。著者は内田樹の友人らしい。それだけで面白そう。    ところが、イヌイットにとっては、負債は人間であれば当たり前のことなのです。むしろ、分け与えることは義務であり、それを受け取ることも義務なのです。現代的解釈における権利と義務という意味での義務ではありませんよ。    そのときに、わたしが考えたこと。それこそ、贈与の秘密だったのではないかと思ったのです。つまり、人は自分で思うほど自分のためにいきているわけではないということです。家に自分が作る料理を待ってくれるひとがいれば、ひとは何があってもそれをやろうとするだろうし、そこに喜びも見い出せるのですが、自分のためだけに味や栄養を考えて料理を作ろうという気にはなれないのです。  このたびのわたしの借金返済は、目に見えた負債を消したということなのですが、借金を消した瞬間に本当にエネルギーもなくなってしまったのです。  それでいまないのですよ。やる気が。  …  だからいま、この瞬間「わたしが借金のために生きてたんだな」とつくづくそう思っているのです。驚いたことに、負債は生きるエネルギーの源泉でもあるということです。  お金=・交換を促進する道具     ・関係を断ち切る道具  贈与関係=・交換を禁止すること       ・関係を継続させること  なぜ、貧乏人を助けるのは貧乏人と相場が決まっているのか。  …  貧乏人は、助け合わなければ生きていけないからというのが、わたしの答えです。  …  借金を返済できないままでいたり、親や親類から友人から助けられた経験を持っていることが、他社に対する想像力を鍛えているともいえる。  負債が、他者に対する想像力を鍛えるのだとすれば、負債はそのまま想像力という資産になっている。  カリブーの肉を分け合うイヌイットがそうであるように、困っているひとがいれば助ける。それが、共同体全体を存続させていくことにつながる。そして、そこからモラルが生まれ、行動規範が導き出されてくる。  このシステムは、私たちが普通考えるよりもうまくできている。個人が自己利益の追求だけで生きているかのような価値観に歯止めがかかる。  …  そういうことが、歳をとってくるとだんだんとわかってくる。若いうちはわからないかもしれない。でも経験を積んでいくうちに、そういうことなのかという場面に遭遇するようになるんです。自分の肉体が劣化して、はじめて、肉体の機能というものを意識するように、老いていくプロセスを実感するようになってはじめて、ひとりでは生きていけない、ひとりで生きてきたわけではないということが見えてくるものかもしれません。  共同体のメンバー全体の口数よりも、食糧の全体量が少なかったり供給が不安定だった場合、競争原理を採用すれば、食糧の争奪は熾烈なものになり、脱落者は死んでしまいます。それを繰り返せばやがて、共同体全体が滅んでしまう。だから、人類は全体給付というシステムを考え、そのシステムを説明するモラルをつくってきた。  現代という時代は、その逆で、共同体のメンバー全体の口数よりも、食糧リソースの量が圧倒的に多い。その場合には、競争原理が有効に働きます。ただし、もし、富の一極集中が起きてしまえば、この関係は維持できなくなります。いま、わたしたちは、そのような時代に生きているということです。

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2018/07/29

いろいろ考えさせられた。 解決できない問題を抱えた時、どちらか一つを選び、どちらかを捨てるというのではなく両方引き受ける覚悟、責任。 あ〜難しい。自分の問題としてもう少し考えたいと思った。

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2018/05/26

今日的な出来事に照らし合わせても、問題解決のヒントになる考え方がたくさんあるように思いました。とりあえず問題を引き受ける覚悟、弱者に寄り添う解決策、複数の問いを立てて考えるも結果、答えにバリエーションはない。こんなプロセスで問題は収束していくのかなと思いました。

Posted byブクログ

2018/04/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 借金とは、自らの意図とは無関係に、赤の他人との関係を取り結んでしまうことなんですね。それも、「支配ー被支配」の関係に近い関係です。(中略)借金とは遅延された等価交換だということなのです。(p.22)  貨幣交換とは、非同期的交換であり、貨幣の出現によって、同じ場所に交換物を持参して、対面で相手の品物を吟味しながら交換するなんていう面倒がなくなったのです。(p.27) ・お金=①交換を促進する道具②関係を断ち切る道具 ・贈与関係=①交換を禁止すること②関係を継続させること(pp.89-90)  消費社会とは、アノニマスな消費者が、経済の主役になっている社会です。  市場とはまさに、網野善彦の言う「無縁」の場であるわけで、そこは旧態依然とした地縁血縁的なつながりや、長幼秩序といったものが意味を持たない自由空間です。市場原理とは、まさに「無縁」の原理であり、「無縁」の原理の下で、唯一、人間関係を取り持つのがお金なのです。(p.96)  地縁や血縁あるいは兄弟盟約的な関係性が無ければ、他者に対して贈与するという気持ちもなくなっていきます。何か問題が起きても、問題の責任を誰も引き受けようとはせず、「それはわたしのせいじゃないよ」と他者に責任を転嫁することになります。(p.97)  宗教が立ち上がるひとつの大きな理由は、取り返しのつかない負債(返済不可能な負債)を、等価交換とは別の仕方で返済する仕組みが、人々に要請されていたということではないでしょうか。そういう場所がなければ、人を殺めてしまった場合には、「じゃあお前も死ね」という報復によるしかなくなってしまいます。等価交換の原理だけではうまくいかないことがある。(p.137)  よく政治というのは現実的でなければならず、きれいごとでは何も解決しないと言いますが、政治家はたとえそれがすぐには実現できないとしても、きれいごとを言い続けて、実現へ向けて努力する責任があると思います。わたしたちは、現実をよりよい方向へと動かしていくための代表者に一票を投じたのですね。(p.149) 「ためらい」だとか「言いよどみ」だとか「恥じらい」だとかそういうことがこの社会の中になければ、社会は実は、平穏な人間の住処ではなくなってしまうということです。確かに、きれいごとの社会は、それが永遠に実現できないかもしれないということで、ごまかしなのかもしれない。  このごまかしをやっているといううしろめたさは、非常にネガティブな、「自分はひょっとしたら間違ってるんじゃないか」とか「これはつくり事じゃないか」という近くですね。でも、この自覚が自らの欲望の歯止めになる、生活に規矩を与える。  よくよく考えてみると「文化」ってそういう事なんだと思うのです。文化の異名は「ためらい」なんです。「うしろめたさ」という事です。(p.154)  何度か呼びかけていると、そこに応答の兆しがあらわれてくる。  「呼びかけ」と「応答」という交換が最初にあったのです。(p.172)  真円的思考は、楕円がもともと持っていたもう一つの焦点を隠蔽し、初めからそんなものは存在していなかったかのように思考の外に追い出してしまいます。  真円的思考とは、すなわち二項対立的な思考であり、それは田舎か都会か、化学科振興課、権威主義か民主主義か、個人主義か全体主義か、理想主義か現実主義か、どちらを選ぶのかと二者択一を迫ることです。(p.208)  わたしは、解決がつかない問題を、安易に解決してはいけないと思います。これまで考えてきたように、解決がつかない複雑な問題を前にしたときに、とりあえずわたしたちがとり得る態度は、「泣く」「ためらう」「逡巡する」です。つまりは、立ち止まって足元を見つめる時間を持つということです。

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2018/03/08

2018.3.4のNHKAM著者からの手紙で語ったのに興味を持ち読んでみた。このラジオ番組、聞き手のアナウンサーも聞くツボを心得ていて、著者の世界を引き出して行く。 副題「その日暮らしの哲学」とあるように、15年続けてきた会社をたたんだ著者の平川氏が考える、金銭、モラルなどにつ...

2018.3.4のNHKAM著者からの手紙で語ったのに興味を持ち読んでみた。このラジオ番組、聞き手のアナウンサーも聞くツボを心得ていて、著者の世界を引き出して行く。 副題「その日暮らしの哲学」とあるように、15年続けてきた会社をたたんだ著者の平川氏が考える、金銭、モラルなどについて語った著。 memo 会社をたたむということは借金を返すということ。借金を返したら済々はしたが日々の生活にやる気が無くなった。お金とは交換を促進する道具であり、関係を断ち切る道具。モノを買えば物を受け取り金を払い、2者の関係は終わる。 ピーター・フロイヘン「エスキモーの本」の中のエスキモーの価値観。「「われわれは人間である」「そして人間だから助け合う、それに対して礼を言われるのは好まない。今日わたしが得るものを、明日あなたが得るかもしれない。この地でわれわれがよくいうのは、贈与は奴隷をつくり、鞭が犬をつくるということだ」 エスキモーから肉をもらいお礼を言ったフロイヘンに対しエスキモーは怒った。部族社会の人々にとっては、自然からの贈与は、自分たちが生きていく条件であり、感謝の気持ちはあっても、等価交換的な返礼の気持ちはない。 政治というのは、きれいごとの論理が通る場でなければならない。政治の役割は国民国家のフルメンバーが衣食足りて平和にくらせるよう、すぐには実現できないとしても、実現に向けて努力する責任がある。 「文化」は「ためらい」と「うしろめたさ」 「楕円」には焦点が二つある。「有縁」と「無縁」、お金と信用、欲得と慈愛という相反する焦点があり、それがいつも綱引きをしている。それらは反発しながら相互に依存している。 ・・・面白かったのが「木綿のハンカチーフ」の考察。現代の楕円思想が現れているという。田舎と都会、情とお金、生産と消費という相矛盾する二つの項を鮮やかに対比させてみせた。そして”この歌は徹頭徹尾、男目線の、ある意味で身勝手極まりない歌なのです”という。日頃思っていたことを1950年生まれの男性の平河氏がきっぱり書いてくれて、こういう男性もいたんだ、と目をみはった。これが上野千鶴子なんかが言ったらたちどころに攻撃の嵐ですね。 解決がつかない問題の前で、逡巡する時間を経たのち、わたしたちがとるべき行動は、「やむを得ず、引き受ける」こと以外にないように思います。解決がつかないままに一身に引き受ける、というんですか。 本よりラジオの方がおもしろかった。

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