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見えないものに、耳をすます の商品レビュー

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2024/01/27

おふたりの空気感が心地良すぎて 読み終えるまでの2時間が一気に過ぎました。 私と誰かの対談が書籍化される世界線は今世ではなさそうですが それでもいいかなと思えてしまう、諦観のようなものも残っています

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2022/02/07

誰も仲間はずれにならないような音楽をつくる、上手な音が出せない人でも参加できるような曲にすればいい、っていうのはシビックと少し似てるかも 西洋医学では疾患を敵とみなして、身体を戦場にする。だからまず疾患の定義が必要となる。対して東洋医学では身体の調和を整えるという発想になる。 ...

誰も仲間はずれにならないような音楽をつくる、上手な音が出せない人でも参加できるような曲にすればいい、っていうのはシビックと少し似てるかも 西洋医学では疾患を敵とみなして、身体を戦場にする。だからまず疾患の定義が必要となる。対して東洋医学では身体の調和を整えるという発想になる。 敵を治して元気になりましょう、ではなく元気になることで回復しましょう、ということになるらしい。もっと言い方は違ったけど。 型が大切。道がつくものには共通して型がある。

Posted byブクログ

2019/09/23

P64 稲葉 姿勢を整えて、体と心の状態を整えて、そこで初めて自分の字が書ける。僕はそれって極めて医療的だなと思ったんですよ。体や心を整える技そのものが。 大友 つまり文字を書くことを通して、まず体の「型」を作るところから整えていくと。 稲葉 そうなんです。「型」さえ作れば、あと...

P64 稲葉 姿勢を整えて、体と心の状態を整えて、そこで初めて自分の字が書ける。僕はそれって極めて医療的だなと思ったんですよ。体や心を整える技そのものが。 大友 つまり文字を書くことを通して、まず体の「型」を作るところから整えていくと。 稲葉 そうなんです。「型」さえ作れば、あとは自ずからその人の文字が表れてくる、という発想なんですよ。弓道にしてもアーチェリーみたいに力や道具に頼るんじゃなくて、体の「型」を整えて、その動きに従ってやると、本当に90歳の人でもパット弾けて真ん中に当たる。それは当てるんじゃなくて、自然とそこへ向かっていく、という発想なんです。「道」というのは、自分の体をいかに使うかということを追求した技術や叡智の集大成なんですよ。 P210 稲葉 まさに民俗学者の折口信夫が言っていた「まれびと」に近い存在ですね。全然違う文化からやってきた人はまれびとで、何かよきものをもたらしてくれる存在だと考えられていました。全然違う文化の人が入ってくると関係性が変わると思うんですよね。それを大切にしましょうね、ということが日本のあちこちに残っている。それを恐れとして捉えてしまうと、排除するしかない。秩序を壊す恐るべき存在になってしまう。 巻末で紹介されていた本・音楽 大友良英 ・殿山泰司『三文役者あなあきい伝 Part1 Part2』(ちくま文庫) ・田中克彦『ことばと国家』(岩波新書) ・ビル・エヴァンス&ジム・ホール『アンダーカレント』 稲葉俊郎 ・井筒俊彦『意識と本質』(岩波書店) ・河合隼雄『昔話の深層』(福音館) ・加藤周一『日本その心とかたち』(徳間書店) ・武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社) ・ねじまき鳥クロニクル ・ジョン・レノン『MIND GAMES』 ・ニーナ・シモン『Nina Simone and Piano』 ・ローランド・カーク『Volunteered Slavery』

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2018/05/09

面白かった。もっといろいろ感じたことがあるはずなんだけど、何だったろう。進路選択の時に、会えてものすごく理屈、論理でつめる方にいった、というのになるほどと思った感。

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2017/11/19

全ての芸術家にとって、その人間性というのは作品の評価とは無関係であるはずであり、極論を言えば、ある芸術家が殺人の罪を犯したとして、その罪が罰せられることと、彼の作品の評価は切り分けて考えなければならない(自らの妻をピストルで撃ち殺したウィリアム・バロウズの罪と、「裸のランチ」に代...

全ての芸術家にとって、その人間性というのは作品の評価とは無関係であるはずであり、極論を言えば、ある芸術家が殺人の罪を犯したとして、その罪が罰せられることと、彼の作品の評価は切り分けて考えなければならない(自らの妻をピストルで撃ち殺したウィリアム・バロウズの罪と、「裸のランチ」に代表される彼の作品の独創性が全く別個に語られるように)。 ただ、そうした前提を置いても、僕にとって、大友さんは優れた音楽家であり、かつその人間性を尊敬できる唯一の芸術家である。生まれ故郷の福島の復興を”祭事”という観点からコミットした「プロジェクト FUKUSHIMA!」や、直近の「札幌国際芸術祭」(この夏に幾つかの会場を訪問したが、どれも非常に素晴らしかった)など、その活躍は枚挙に暇がない。 前置きが長くなったが、本書は大友さんが、東大で心臓内科の専門医として活躍しながら、西洋医学だけに留まらない医療の形を模索する独自の医師である稲葉俊郎氏を迎えて、音楽と医療を主軸に自由な議論をまとめた対話集である。 音楽と医療といっても、音楽療法というような手垢にまみれた古い議論が行われているわけではない。議論のテーマはあるようでないようなものであり、自由な議論の中で読者にとって刺激を与えるような様々なフレーズが出てくる。 例えば、自らの親に対する介護の大変さについて、親と子という1:1の関係性を引きずる形での介護はどうしてもしんどくなってしまう。そこであえて関係性を変えるという観点から、友人の母親の介護を見てみるとか、全く関係のない第三者を入れることで、その大変さが変わってくるのではないかという指摘が稲葉氏から出される。その議論に対して、大友さんからは、それは音楽においてもそうで、80年代後半の即興音楽シーンの中で、ニューヨークからやってきたジョン・ゾーンによって、津軽三味線と現代音楽とロックのミュージシャンを同じステージに上げるというような異種混合が自然とできるようになった、という話題が出される。硬直的な関係性を壊すために、あえて異物を入れてみるという考え方は汎用的なものとして成立し得る気がする。 読み手によって面白いと思うポイントは様々だと思うが、なにか新しい世界に触れてみたい、と思う人にとってはヒントが得られるのではないか、そう思える一冊。

Posted byブクログ