シンパサイザー の商品レビュー
北ベトナムのスパイをしている語り手の告白という形式で進む、ベトナム戦争の悲惨さを小説にした作品。サイゴン陥落など史実を元に語り手がどのように戦争を乗り越えていくのか描かれており、なかなか凄惨である。1ページに占める文字量が多く、文字の洪水のように語り手の告白を読むことになる。私が...
北ベトナムのスパイをしている語り手の告白という形式で進む、ベトナム戦争の悲惨さを小説にした作品。サイゴン陥落など史実を元に語り手がどのように戦争を乗り越えていくのか描かれており、なかなか凄惨である。1ページに占める文字量が多く、文字の洪水のように語り手の告白を読むことになる。私が知っているベトナム戦争はアメリカからの視点だったことに気づかされた。本書はベトナム側の視点でのベトナム戦争であり、新しい気づきがある。また、日本人よりはベトナム戦争当事者であるアメリカ人に刺さる作品になるだろう。
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参った。面白さがちっとも理解できなかった。一人称での語りを最初に目にした時点で悪い予感。更には登場人物が少ないのに誰がどんな人かよく理解できず。トドメは場面が変わって追想したりするがしまいには読んでて現在の話かどうかわからなくなった。普通の刑事物で口直しの必要あり。
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representされない人々。マルクスの記した言葉が、引用される度に異なる意味を響かせる。ヴィエト・タン・ウェンの「シンパサイザー」は微妙な立場に置かれた一人の「同調者」の告白文という形を取りながら個人を表現しない。かと言って集団を、組織を、国を表現するものでもない。人々を「代...
representされない人々。マルクスの記した言葉が、引用される度に異なる意味を響かせる。ヴィエト・タン・ウェンの「シンパサイザー」は微妙な立場に置かれた一人の「同調者」の告白文という形を取りながら個人を表現しない。かと言って集団を、組織を、国を表現するものでもない。人々を「代表する」とはいったいどういうことなのかをひたすら描いている。例えば「血液と石鹸」のリン・ディンの描いたものが歴史の中で翻弄される家族や個人を描いたものだとすると、ヴィエト・タン・ウェンの描いているのは文脈である筈の歴史そのものだ。その過程で、我々の認識不足のヴィエトナムの歴史が、彼ら自身によってrepresentされていなかったということをまざまざと知る。しかし文脈は移ろい易く、相対的なものでもある。その寄る辺なさが全編を通底する。 representされない人々がいること。北によって解放され統一された後でも、尚その実態は変わらない。1975年から1978年頃までの短い歴史の窓を通して、西洋と東洋を一つの身体に押し込め、北と南の両方の世界に通じる一人の男の目を通して、その事が訥訥と語られていく。 作者があとがきで語るように、物語の中で語られることのほとんどは実際に起きたことであり、比喩的に描き直されていたとしても現実にあったこと。謝辞の中で言及される夥しい参考書の数はすなわち史実を通して何かをrepresentしなければならないという作家の決意の表れでもあるのだろう。この小説は、単なるフィクションではなく、一次体験者による記録でもないが、主人公のように両側から物事を見ようとする作者が選び取った稀有な形態の小説だ。 歴史的な意味合いばかりを強調してしまいがちだが、全体はミステリー仕立ての構成となっていて、読むものは主人公が語りかけている相手、その更に上に立つものの存在、そしてそもそも何故主人公がこの境遇に留め置かれているのかを常に意識しながら読み進めることになる。主人公が留め置かれている場所がいわゆる「再教育キャンプ」であることは直ぐに認識出来る。北から南へ潜入させられていたスパイである主人公ならばその状況に陥ることも充分あり得る、とも理解できる。しかし主人公の告白する物語は彼自身を容易に祖国には連れ戻さない。何時、どうやって。投げ掛けられる疑問。それはじわじわと明らかになるのだが、本書は、そんなミステリーとしても練りに練られた小説、と言えると思う。 だが、だからこそ、この小説はどこか身体をすり抜けて行ってしまうところがある。正しくニュートラルであることは、間違って極端に主張することよりも、何かが弱い。リン・ディンの小説が訴え「人」の営みが、ここには感じられない。同調者というタイトルとは裏腹に個人的な共感や共鳴は起こらない。ひょっとすると、幼少の頃に祖国を離れた作者の思いがそこに滲むのかと構えていたが、そんな執着はほとんど無いようにみえる。それが物足りないように感じることは否めない。 にも関わらず、この物語の続きが描かれると聞けば読んでみたいと思ってしまう。それは自分自身の十年を捧げた国に対するシンパシーから来る心情ではないとは言い切れないが、小説としての魅力にやはり抗い難い。物語のセッティングには、解決されていない細々とした問いが幾つも残されたままであり、読むものはそれを説明するのが作者の務めであると思わざるを得ないのだ。ベトナムの、アメリカの、カンボジアの、ラオスの、風景と共に描かれる本音と建前のせめぎ合いの構図。そこに宿る狂気と切実。何もないことの重要性。そんなものが知らず知らずの内に深く胸に沁み入る。言葉の無力さを最後に見せつけながら。 しかし現代人である自分たちはこの展開が虚構であり、かつ真実であることを知っている。どう読もうともその事実から逃れることは出来ない。文脈に固定的な意味を与えることが決してできないように。
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正直、文体は読みやすくないし、状況描写も不親切で、登場人物の関係もわかりづらい。 読み始めはページを繰る手も鈍りがちで、最後まで読み切れるとは思えなかった。 ところが、場面が、サイゴン陥落から米国、フィリピン、再び米国、そしてインドシナへとダイナミックに移り、ハードボイルドを超...
正直、文体は読みやすくないし、状況描写も不親切で、登場人物の関係もわかりづらい。 読み始めはページを繰る手も鈍りがちで、最後まで読み切れるとは思えなかった。 ところが、場面が、サイゴン陥落から米国、フィリピン、再び米国、そしてインドシナへとダイナミックに移り、ハードボイルドを超えて、「常軌を逸した」としか表現できないような展開を見せるにつれて、小説の世界にグイグイと引き込まれていく。 主人公のアイデンティティも、周囲の人間との関係性も、ぐちゃぐちゃに破壊されていく。 それは、引き裂かれ、大国に翻弄され続けた祖国・ベトナムの姿そのもの。 フィリピンでの映画撮影は『地獄の黙示録』をモデルにしているようだが、小説から受ける印象は、向こう側からみた『ディア・ハンター』という感じ。
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ノンフィクジョンではないかと思わせられるリアルさ.北のスパイのはずが,捕まって再教育の一環として告白書を書くという形式で物語は進む.裏切りやスパイが幅を利かす世界で,信じられるのは3人で結んだ義兄弟の契りのみ.主人公の殺した相手の亡霊が付きまとっているところなど,非常に面白かった...
ノンフィクジョンではないかと思わせられるリアルさ.北のスパイのはずが,捕まって再教育の一環として告白書を書くという形式で物語は進む.裏切りやスパイが幅を利かす世界で,信じられるのは3人で結んだ義兄弟の契りのみ.主人公の殺した相手の亡霊が付きまとっているところなど,非常に面白かった.単に戦争だけでなく,人種問題や,性問題など現実的な考察や,哲学的な文章など,非常に読み応えのある読んでも読んでもページの進まない本だった.
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ピュリツァ―賞エドガー賞W受賞。スパイ小説にして格調高い文章でつづられる傑作長編。詳細→http://takeshi3017.chu.jp/file6/naiyou24801.html
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うーん、どう言ったらいいものか。強く心を揺さぶる優れた小説だと思う一方で、これはどうなんだろうと疑問を感じざるを得ない所もいくつかあって、どう感想をまとめたらいいか悩んでしまう。 あとがきでも同じことが書かれていたが、まず痛感させられるのは、ヴェトナム戦争についての自分のイメー...
うーん、どう言ったらいいものか。強く心を揺さぶる優れた小説だと思う一方で、これはどうなんだろうと疑問を感じざるを得ない所もいくつかあって、どう感想をまとめたらいいか悩んでしまう。 あとがきでも同じことが書かれていたが、まず痛感させられるのは、ヴェトナム戦争についての自分のイメージは、その大方がハリウッド映画やアメリカの小説によって作られたものだということだ。どういう立場にしろ、この戦争について論評したり苦悩したりする主体として、アメリカ人を無意識に想定してきた。このことの意味は重い。 ただ、「ヴェトナム人の側から見たヴェトナム戦争」というような言い方では、この作品の本質は伝わらないと思う。そうした言葉にはどうしても、「虐げられた側からの告発」というイメージがまとわりつくが、本書はまったくそのたぐいのものではない。語り手は欧亜混血児というその出生(しかも両親はカトリックの司祭とメイド)をはじめ、アメリカの大学で学んだ後、北ヴェトナムのスパイとして南ヴェトナム軍の情報部で働くという、二重三重に引き裂かれた存在として設定されている。「引き裂かれている」と書いてしまったが、この言い方もまた的を射ていないだろう。 彼は故国の人々を愛する(とりわけ亡き母を)。と同時に、アメリカの文化・風俗も自分のものとして享受する。また、故国の因習を憎み、アメリカ人の差別意識を憎む。それは彼のなかで渾然一体となっている。この人間像が実にリアルだ。人間は複雑な存在であり、特に大きく動く歴史を背負い、翻弄されるとき、単純なカテゴリにおさまるものではない。そのことが活写されている。 一方で、彼の生き方を決定づけるのは、自分に無償の愛を注いでくれた母と、学校での理不尽ないじめに対し身を挺して共に闘ってくれた友人への思いである。この「自己犠牲」というモチーフが全体に見え隠れしていて、これは普遍的な共感を誘うところだ。さらに、戦争の大義であったはずの理想が、いかに異質なものに変貌していくかが、異様な迫力で描かれていて、こういうところがピュリッツァー賞受賞作たる所以なのだろうとも思った。 さてそこで、疑問に思うことなのだが、一番は「決めぜりふ」であるはずの終盤の言葉がピンとこないことだ。これ、原文では何なのだろう。英語文化圏の人ならニュアンスが伝わるのだろうか。全体のテーマにつながる言葉だと思われるのに、ここがよくわからないのはつらい。また、ちょっと鼻につく言い回し(同じ言い方の執拗な繰り返しなど)があるのにもひっかかるのだが、これらは訳のせいなのだろうか。 それから、かなり延々と描かれる拷問シーンは読むのが苦しい。見ていた画面がどんどん歪んでいくような感じがして、話の流れまで見失いそうになった。ここも含めて全体にちょっと長いのでは?もちろん、これは必要な長さであるという意見もあろうし、好みの問題だとは思うが。 続篇も書かれるようだが、読む気になるか、うーん微妙だ。
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言葉に時には相反する二重の意味がこめられ、作品を複雑にも多層にもしている。一筋縄にはいかない。 出てくるナンシー・シナトラの「バン・バン」は、そういえば「キル・ビル」に出てくるあの曲だよね。
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