ヒトは「いじめ」をやめられない の商品レビュー
【「運動会」の存在意義が揺らぐ】 「団結力が高まるほど、排他的な行為も起こりやすい」というのが印象的だった。 この本の例にも上がっていたが、私はこの本を読んで、運動会などの学校イベントの存在意義が、自分の中で揺らいだ。 私は小、中学生の頃の運動会は(運動ができないながらも)...
【「運動会」の存在意義が揺らぐ】 「団結力が高まるほど、排他的な行為も起こりやすい」というのが印象的だった。 この本の例にも上がっていたが、私はこの本を読んで、運動会などの学校イベントの存在意義が、自分の中で揺らいだ。 私は小、中学生の頃の運動会は(運動ができないながらも)かなり楽しんでいたタイプだ。 運動会の何か月も前から、行進や組体操、応援ダンスなどの練習に取り組んでいた。そして運動会当日は丸一日かけて行われ、チームで対決する。 それを通して、クラスメイトや友達とより仲が良くなったり一体感を感じられ、楽しくてしょうがなかった。 しかしこの本の「団結するほど、その邪魔になってしまう人を排除する行為が起こる」という主旨の内容を読んで、運動会のデメリットを思い起こした。 自分が気付いていなかっただけで、運動会が辛かったクラスメイトもいたのかもしれない。 自分も運動はできないタイプなので、そういう人を責めてはいなかったつもりだが、もしかしたらその場の空気に負けて辛くあたってしまっていたこともあったのかもしれない。 ところで、うまく言葉にできないし自分のカン違いかもしれないが、近年の世の中は「楽しいことをしよう」よりも「つらいことをなるべく避けよう」という空気になっていると感じる。 近年はコロナ禍以降、学校の行事(運動会や文化祭など)は縮小ぎみだそうだ。 私はそれを聞いて、学校側はコロナをきっかけに、運営の苦痛を避けるために縮小したと思っていた。もちろんそれもあるだろう。子供たちは、イベントが小規模になって楽しみが半減し、気の毒だと思っていた。 しかしこの本を読んで、学校イベントの縮小は、「イベントを通じて起こりがちな学内の人間関係のトラブルをさけるため」なのかもしれないと思い始めた。 先生方も、こういうイベントが、生徒同士のトラブルを生むと薄々わかっていたのではないか。 いじめという辛い出来事を避けるというのはもっとも重要なことだ。この本でも、いじめを避けるためには、あえて絆が深まりにくい人間関係を促すことが効果的ではないかと述べられていた。 しかしそれでは、かつて自分が楽しんだ運動会のような、団結し、絆が深まるようなイベントはもうやらないほうがいいのかとか、やっても縮小版になるのかとかと考えると、物悲しいものではある。 参加する誰もが全員、団結して楽しめるものというのは、存在しないのだろうか。
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タイトルのとおり、人がいじめを辞められない理由と原因、脳神経物質(ホルモン)といじめの構造がよく理解できた。しかし、学校現場での回避や対策については、やはり現場を知らない人だからか、あまり参考になるような具体的な内容は書かれていなかった。
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教育者だけでなく、保護者も読むべし。いじめは脳に組み込まれた理由があるものと理解できれば、その対処法も検討できるとおもわれる。生理学的に組み込まれた排他的行為について理解できる。
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いじめは快楽を伴うからやめられないことには納得感があった。小学校の時にいじめほどではないが揶揄われた経験と揶揄ってしまった自分の実体験と、本書の科学的な視点からいじめを紐解いた理論が重なった。 いじめは確かにやめられない構造なのかもしれないが、辞められないからといって立ち向かって...
いじめは快楽を伴うからやめられないことには納得感があった。小学校の時にいじめほどではないが揶揄われた経験と揶揄ってしまった自分の実体験と、本書の科学的な視点からいじめを紐解いた理論が重なった。 いじめは確かにやめられない構造なのかもしれないが、辞められないからといって立ち向かっていくのを諦めるのは違う。科学的な視点も踏まえて、さまざまな場面で起こるいじめにどう対処していくかこれからも考えていきたいと思った。
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訳あって手にしたが、ハラスメントをする側の認識にある正当性にはただなるほどと、体験、ケースと照らし合わせても、書かれていることの差異が無い。 単なる組織での教育は、信号をしめすがハラスメントは正しさを纏った暴力にしかならないかと。 このあたりの思考は監獄にいるか社会に放たれた存在...
訳あって手にしたが、ハラスメントをする側の認識にある正当性にはただなるほどと、体験、ケースと照らし合わせても、書かれていることの差異が無い。 単なる組織での教育は、信号をしめすがハラスメントは正しさを纏った暴力にしかならないかと。 このあたりの思考は監獄にいるか社会に放たれた存在という違いだけで、旧時代からのDNAに入っているものと、幼少期から育成された正しさの基準を壊すには、個で社会に入る(群れから離した)状態が望ましくもと
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排除、制裁、ヘイトはなくならない 必要で、快感で、やめられないほど楽しい いじめは悪だーやめましょーとかだるいから 賢く攻撃した者勝ち 社会正義 日本人の遺伝子 淘汰されるのは自然当然必然
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以前からずっと気になっていた本。脳科学者の中野信子さんが科学的にいじめを分析している。いじめはいけないということは誰しも分かっていること。しかし、ホルモンの関係や集団の中で異質なものと判断されないように周りに同調しようとする傾向にある人間社会では無意識のうちにいじめに発展していく...
以前からずっと気になっていた本。脳科学者の中野信子さんが科学的にいじめを分析している。いじめはいけないということは誰しも分かっていること。しかし、ホルモンの関係や集団の中で異質なものと判断されないように周りに同調しようとする傾向にある人間社会では無意識のうちにいじめに発展していくことも分かった。学校においては第三者が介入すること、いじめにあった人がその場所から距離を置くことを許し、自宅学習をしても進学していけるような環境を作っていくことも必要なのかなと思った。
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いじめをなくそうというスローガンを立ち上げても当たり前だがいじめはなくならない。 人間に備わった機能である事を充分理解し、誰だって加害者にも被害者にもなりうる危険を認識する。 小学校へ入学するわが子。学校生活は楽しい事もあるけど、もしかすると悲しく、つらい経験をする事だってある。...
いじめをなくそうというスローガンを立ち上げても当たり前だがいじめはなくならない。 人間に備わった機能である事を充分理解し、誰だって加害者にも被害者にもなりうる危険を認識する。 小学校へ入学するわが子。学校生活は楽しい事もあるけど、もしかすると悲しく、つらい経験をする事だってある。田舎のほぼ固定された人間関係、周りがみんな顔見知りというメリットとデメリット(村八分)。 学校や教育委員会の対応には申し訳ないけど期待できそうもないので、もし子供が標的になったら親としてどう動くべきか、考えておかないといけないなと思う。 コミュニケーション能力は今後を生き抜く大事な力。しかしその力を身につける場は学校生活だけではない。いじめからコミュニケーションを学ぶなんて、過酷すぎる。そんな環境にいるなら離れていい。胸に刻んでおく。
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いじめからは逃げるしかない 気付き ・日本人はいじめが起こりやすい 集団意識が強い、同調圧力、ホルモン(オキシトシン)の分泌が海外の人に比べて特殊 ・いじめの原因 フリーライダー、集団に不利益になりそうな人、羨ましがられる人、集団か外れた人等 ・いじめは快感 いじめることはフリ...
いじめからは逃げるしかない 気付き ・日本人はいじめが起こりやすい 集団意識が強い、同調圧力、ホルモン(オキシトシン)の分泌が海外の人に比べて特殊 ・いじめの原因 フリーライダー、集団に不利益になりそうな人、羨ましがられる人、集団か外れた人等 ・いじめは快感 いじめることはフリーライダー、集団に不利益になりそうな人を排除しようとするため、自己の正義に酔う。さらにいじめは本能的に備わっているものだ。 ・いじめゼロ、パワハラゼロはむしろいじめやパワハラを助長する いじめやパワハラを無くすことを目標にしているため、事が起こった際に隠蔽体質や、いじめをイジりに変換してしまう ・結果、いじめはなくすことはできないため逃げるしかない 時間的、物理的に距離をとる 学校ならオンラインスクールや転校、職場なら転職 職場ならしっかりとした理論のもと反論するのも手である。 いじめを科学的に考えると避けられないことがわかった。 自分の子供をいじめられないようにするのではなく、いじめられた際にはすぐに親である我々に報告できるような関係性もしくは親が気づいてあげられるような関係性の構築が一番だと感じた。 そして、解決策としては休学や転校することで時間的、物理的に距離を取っていきたい。 自分が職場でパワハラやいじめを受けた際には、自分の考えをしっかりと持ち続け、理論武装した上で意見をぶつけていきたい。
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いじめをなくそうとするのがそもそも間違い。いじめはなくならない前提でいないと。 だって、村八分は快楽なんだから。
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