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銀河鉄道の彼方に の商品レビュー

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2023/08/10

なかなかこの陶酔感は只者ではないと思う。読みながら、自分自身が「常識」としている認識それ自体がぐにゃりとゆがんでしまいそうになる。宮澤賢治へのオマージュというより、ぼくが思い出したのはむしろ藤子・F・不二雄や永井均が突きつけてきたすぐれたアナザーワールドの数々で、過去にそんな思想...

なかなかこの陶酔感は只者ではないと思う。読みながら、自分自身が「常識」としている認識それ自体がぐにゃりとゆがんでしまいそうになる。宮澤賢治へのオマージュというより、ぼくが思い出したのはむしろ藤子・F・不二雄や永井均が突きつけてきたすぐれたアナザーワールドの数々で、過去にそんな思想家のフィクションを読みながら「『ぼく』とは誰だろう」「なぜ世界はこうなのだろう」なんてあれこれまったくの徒手空拳で考え抜いたことを思い出させられる。つまりは過去の高橋源一郎作品が持つ「子ども」の部分がより濃く煮詰められた一大問題作

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2021/08/07
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帯と巻末エッセイで最果タヒが全て代弁してくれているような気もするが 「宇宙の果てには何があるのか?」 「言葉ってなに?」 「自分は本当は存在してないんじゃないか?」 「この世界は全部誰かの見てる夢なのかも」 「パラレルワールドがすぐ近くにある」 「自分と全く同じ記憶を移植された自分のクローンは、自分なのか?」 「小説のキャラクターは、本当に作者が操っているだけなの?」 宇宙から身の周りのことまで、こういう誰もがした覚えのあるような想像が全て詰めこまれている。第二章までの種播き感、小道具のチョイス、文章全てに対して、こんなにワクワクしたの小学校以来では?というくらいワクワクした 「あまのがわのまっくろなあな」という言葉、見ただけで異常にワクワクすると同時に怖いような気もしたのだが、言葉にはこうした 意味以上の何かがあるのかな 

Posted byブクログ

2018/01/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

【ネタバレも含みます】 髙橋源一郎による、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のRemix(extended version)。源ちゃん好きな人はぜひ読んでみて。 源ちゃんに免疫のない人は、「日本文学盛衰史」「ペンギン村に陽は落ちて」あたりを読んで、自分に合うかどうか試してみるのもいいかも? とにかく深く読み込まず文章の流れに身をまかせれば、どれも面白く読めると思います。 ←というくらいしか書けないな。最果タヒによる解説(巻末エッセイ)が腑に落ちた。

Posted byブクログ

2017/10/26

宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をこんなにも長編に、こんなにもうまい具合に書き出す人がいることを知りませんでした。

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2017/10/25

宮沢賢治の銀河鉄道の夜をモチーフに、ジョバンニが銀河鉄道に乗って色々な世界や人生を体験する。 かなりカオスな世界で何の話なのか全く理解出来ませんでしたが、絶望的な世界観ばかりな話のせいか気分的に滅入る部分もありました。 宇宙の果てを目指す宇宙飛行士の話や、人も土地も世界も全て流...

宮沢賢治の銀河鉄道の夜をモチーフに、ジョバンニが銀河鉄道に乗って色々な世界や人生を体験する。 かなりカオスな世界で何の話なのか全く理解出来ませんでしたが、絶望的な世界観ばかりな話のせいか気分的に滅入る部分もありました。 宇宙の果てを目指す宇宙飛行士の話や、人も土地も世界も全て流動的な世界の話は印象的でした。 世界はある規則に従って動いている。今そこにある世界や平和は当然のものと言う価値観が、幸せなことなんだなと思ったり。 世界の果てを目指す宇宙飛行士は最後どうなったか気にはなりますが。

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2017/10/01
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※このレビューにはネタバレを含みます

高橋源一郎さんといえば私にとっては何と言っても『さようらなら、ギャングたち』で、その後の数作も読んでいたが、以降はエッセイ類の著作が多くなり、しばらく読んでなかった。この長編小説は私にとって久々の、高橋源一郎の本である。 『さようなら、ギャングたち』で駆使されていた現代詩の書法は、ここでは極めて平易な物語へと置換されている。これは氏の書法の経年の進歩による変化なのか、単に本書が宮沢賢治の童話的物語のパロディだからなのか、私は知らない。  さて平易ではあるが、冒頭から書かれていく内容はなかなかに深い。事象とは何か、人間とは何か、といった哲学命題が明確に打ち立てられている。「この身の回りに見える世界は、実は誰かが作ったもので、自分は騙されているのではないか」という疑念などは、スラヴォイ・ジジェクがSF映画を例に取りながら示して見せた問題系とおなじである。  この小説は本当に平易な読み物ではあるが、文章の「語り手」が、はっきりと明示されずに次々と推移することにより、一種の「私」なるものの混乱・錯綜が図られている点が面白い。少し読めば読者はこの語り手は誰なのかということを推定することが出来るのだが、結局のところ、それらはすべて一つの主体として収斂していくのであり、それが著者の目論見なのだ。  持続する記憶に対して世界が刻々とパラレルワールドに変質しまうかのような「流動する世界」をめぐって、掌編小説のようなエピソードが次々と並べられていくところは、少々退屈に感じたが、それでも、すべてを引き受けてラストの「自分は、いる。世界は、ある。」という結論に到達する仕組みはなかなか優れている。  私としての不満は、『さようなら、ギャングたち』の著者なら、もっとPOPに、現代詩的なするどさをもって切り込めなかったか、という点にある。本書の場合は、ちょっと、パウロ・コエーリョを思わせるような、もどかしいような教訓性が感じられてしまう。  そのへんは、人の好みが分かれるところだろうけれども。

Posted byブクログ