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原爆死の真実 の商品レビュー

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2022/08/24

原爆投下直後をとらえた数少ない写真である御幸橋の写真について、被写体となった人物や、熱傷専門の医師などにインタビューしながら、原爆熱傷の実相を中心とした、各種の被害を明らかにしようとするもの

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2020/07/04

原爆についての本やテレビ番組などを見たことがある人なら一度は目にしたことがあるであろう写真。 ヒロシマの 爆心地から南に下がったところにある御幸橋で取られた二枚の白黒写真。 これはヒロシマに原爆が投下されたその日、約3時間後に撮られた。その当日に原爆の、その被爆地の惨禍を記録した...

原爆についての本やテレビ番組などを見たことがある人なら一度は目にしたことがあるであろう写真。 ヒロシマの 爆心地から南に下がったところにある御幸橋で取られた二枚の白黒写真。 これはヒロシマに原爆が投下されたその日、約3時間後に撮られた。その当日に原爆の、その被爆地の惨禍を記録した写真は、この二枚しかない。 2015年のNHKスペシャルでは、この2枚の写真をもとに、この写真に写っていた人、この日の御幸橋にいた人たちに取材し、あの日、きのこ雲の下で何が起きていたのか、人がどのようにして死んでいってしまったのか、そしてどうやってごくわずかの人が生き延びたのかを明らかにしていく。 「これまで証言活動をしたり、核兵器廃絶を訴えようとしてきたけれど、被曝の真実は伝わっているのだろうか」 この写真に写っており、オバマ大統領がヒロシマを訪れた時に対話もした坪井直さんの問いかけが重い。

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2019/04/01

たまたま出会えてよかった。 原爆投下当日、数時間以内に撮影された2枚の写真。 義務教育受けてきたなら確実に見たことはあるであろう写真。 その2枚の写真を細かく見て、当時の状況をイメージできる本。皮が向けて爪で止まるような特徴的な火傷はなぜ起こったのか等が書かれている。 キノ...

たまたま出会えてよかった。 原爆投下当日、数時間以内に撮影された2枚の写真。 義務教育受けてきたなら確実に見たことはあるであろう写真。 その2枚の写真を細かく見て、当時の状況をイメージできる本。皮が向けて爪で止まるような特徴的な火傷はなぜ起こったのか等が書かれている。 キノコ雲の下で一人一人の生活が一瞬でなくなった。 どうやって亡くなったのか。それが少しわかる。 なぜ少しなのかは、やはり体験した人にしかわからないものがたくさんあるからと私は思う。 この本を読んだ人、是非「広島原爆忌-未来への遺書」も読んで欲しい。私は2版を読んだ。 この本は原爆が投下して外から家かで生死を分けた半壊地区に住む作者が、原爆投下当日からいてもたってもいられず屋根がなくなった家で書いた日記をもとにした本であります。作者が大学の教授だったのもあり、当時の様子が具体的な表現や例えで表されているので凄惨さがイメージしやすいです。また、当時落ちた後どういう心境でいたのかも語り部さんの子どものものとはまた違うので興味深いと思います。私以外ブクログでの登録者がおらず、素晴らしい本だと思うのでここに宣伝させていただきます。是非、読んで頂ければ幸いです。

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2018/04/20

 1945年8月6日、被爆直後の広島・御幸橋前を地元新聞のカメラマンが撮影した2枚の写真。被爆当日の被爆者の姿を映した唯一の写真として有名だが、改めてこの写真を手掛かりに被爆直後の広島で何が起きていたか、撮影地の御幸橋に焦点を絞り、当事者の証言と科学的知見を合わせて再現している。...

 1945年8月6日、被爆直後の広島・御幸橋前を地元新聞のカメラマンが撮影した2枚の写真。被爆当日の被爆者の姿を映した唯一の写真として有名だが、改めてこの写真を手掛かりに被爆直後の広島で何が起きていたか、撮影地の御幸橋に焦点を絞り、当事者の証言と科学的知見を合わせて再現している。写真の被爆者の多くは勤労動員の中学生・女学生らであり、被爆当日の犠牲者も10代前半が突出して多いこと、ややもすれば都市伝説的に語られてきた皮膚が剥がれて垂れ下がった姿は、「フラッシュ・バーン」と呼ばれる激しい熱傷による皮膚の剥離によるもので「人間の感じる痛みの中で最大の痛み」をもたらすことなど、改めて認識させられたことも多い。70年以上たっても原爆被害に関しては語りつくされたことなど全くないことがよくわかる。

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2017/10/20

広島の原爆投下当日の写真は2枚しかなく(長崎も当日はない)その背景と原爆の威力の科学的分析。 死亡したそうで一番多かったのは学徒動員された12−13歳の中学生、火傷で死傷した人が米軍の想定を超えて多かった。その火傷はフラッシュバーンと呼ばれるもので、原爆爆発時まず放射線が出る(原...

広島の原爆投下当日の写真は2枚しかなく(長崎も当日はない)その背景と原爆の威力の科学的分析。 死亡したそうで一番多かったのは学徒動員された12−13歳の中学生、火傷で死傷した人が米軍の想定を超えて多かった。その火傷はフラッシュバーンと呼ばれるもので、原爆爆発時まず放射線が出る(原爆のエネルギーの15%)数秒間地上200メートルほどのところにミニ太陽(エネルギーの35%)ができる。地表の温度は3000度ほどになった。またその強力な光が皮下まで到達することで体内の水分が一気に蒸発し組織が露出するという非常に痛く、致命的な火傷となった。また衝撃波と火の玉からそのあとに出る爆風が人々を圧殺していった。そのあとは火災が起き火の街となった。

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