幕末武士の京都グルメ日記 の商品レビュー
隻腕の美剣士のイメージ(暁斎あたりの錦絵か?)が強いけれども。観光したり、美味しいもの食べたり。現代人と変わらないのがおもしろい。そして、武士社会はものすごい贈答社会なのだなぁ。彼はなんとなくぼんぼん感があるけど。こんなにも金遣いが荒いものなのだろうか。日記をもとに家計簿をおこし...
隻腕の美剣士のイメージ(暁斎あたりの錦絵か?)が強いけれども。観光したり、美味しいもの食べたり。現代人と変わらないのがおもしろい。そして、武士社会はものすごい贈答社会なのだなぁ。彼はなんとなくぼんぼん感があるけど。こんなにも金遣いが荒いものなのだろうか。日記をもとに家計簿をおこしたらおもしろいと思われ。
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伊庭八郎ってどれくらいの知名度なのか分からないけど自分も数年前に知った人で幕末の幕臣で最後は新撰組の土方歳三と同じく五稜郭で戦死した人らしい。その彼が亡くなる五年前に時の将軍家茂の上洛に伴って講武所師範の父と共に警護役として京都に滞在していた時の日記について書かれた作品。家が剣術...
伊庭八郎ってどれくらいの知名度なのか分からないけど自分も数年前に知った人で幕末の幕臣で最後は新撰組の土方歳三と同じく五稜郭で戦死した人らしい。その彼が亡くなる五年前に時の将軍家茂の上洛に伴って講武所師範の父と共に警護役として京都に滞在していた時の日記について書かれた作品。家が剣術道場で自身も小天狗と称されるほど剣の才能があった八郎。征西日記と命名された日記はさぞや厳しいものであろうと思って読むと見事に肩透かしを食らう感じの呑気なもの。グルメ日記は大袈裟だけど、鰻屋に行っただのお汁粉食べただの友達と天ぷら揚げて食っただのといった記述のオンパレード。面白いのは現代人と同じく非番の度に金閣寺だ伏見稲荷だ清水寺だとしっかり観光しているところ。仕事と言っても要は時代劇でよくある「であえい!であえい!」と呼ばれた時に刀抜いてぞろぞろ出てくるあれだと思うのでたぶん座敷で刀持って座ってるだけと思われ、観光してない時はせっせと道場に通ったりしてはいるのだけど基本的には美味そうなもの食べたり本買ったりする至って呑気な日常で微笑ましい。ただ、歴史を知ってる者からするとこれからたったの五年後にこの呑気で陽気な若者が片腕を切り落とされるほどの重傷を負いながらも新政府軍と最後まで戦い抜いた挙句戦死するのだと思うとなんともいえない気持ちになる。間違ってもグルメ本だと思ってはいけない、その意味ではタイトルが不適切過ぎる、そんな印象。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
岡田屋鉄蔵の漫画『MUJIN 無尽』が非常に面白いのでこちらも読んでみたくなりました。 他のレビュアーの方も書かれていますが、「グルメ日記」というタイトルは看板に偽りありと言わざるを得ません。恐らく本を手に取って欲しい一心で出版社側が付けたものではないでしょうか。 食べ物の事も勿論書かれてはいますが、むしろその日に何をしたか、誰に会ったか、何に幾ら使ったか等について細かく記録されています。日記の文体は淡泊で、本当に単なる「記録」に近い内容ですが、初めて京都へ登った八郎の行動を具に知ることが出来るのは中々に感慨深いものがありました。 著者の詳細な解説も大変有り難かったです。やや軽い文体が少々気になる時もありましたが、未だ本物の戦を知らない若干二十の八郎が書いた日記の雰囲気には合っていたと思います。 この好奇心旺盛な若者が、5年後には左手を失い、満身創痍となった末にモルヒネを飲んで自害すると思うと何とも遣る瀬無い気分になります。この日記で八郎と共に観光を楽しんだり稽古に勤しんだりしていた他の幕臣達も、恐らくは殆どが箱館戦争までに命を落とした事でしょう。しかしそうして歴史の波間に儚く消えていった人々も、短い間とはいえ確かにこの地上に存在して、生活していたのです。西征日記を書き遺すことでそれを我々に伝えてくれた伊庭八郎と中根香亭、そして著者の山村竜也氏に心から感謝したく思います。
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グルメ日記は嘘だな! 無理やり感が強い… けど、普通の日記として読めば イキイキして面白かった。 ただ淡々と書いてるだけのようなのに 著者が無理やり盛り上げようとしてるのが ちょっとうざかった。 金額換算はあまり正確に思えないが どうなんだろ?
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“グルメ日記”と打つには多少、食べ物描写と、本人・伊庭八郎の食べ物へのこだわりが弱い気がする。 「伊庭八郎征西日記」の内容をより正しくまとめるなら、 “幕末武士、京都長期出張で物見遊山三昧” とするのが適当なのではないかと思われるが、なんだか若手代議士が公費で遊興三昧…みたいな雰...
“グルメ日記”と打つには多少、食べ物描写と、本人・伊庭八郎の食べ物へのこだわりが弱い気がする。 「伊庭八郎征西日記」の内容をより正しくまとめるなら、 “幕末武士、京都長期出張で物見遊山三昧” とするのが適当なのではないかと思われるが、なんだか若手代議士が公費で遊興三昧…みたいな雰囲気になっちゃうし、本のタイトルとしてはつかみが良くないかもね。 伊庭八郎といえば、いわゆる“負け側の”凄腕美剣士としてファンも多いのではないかと思われる。 遊撃隊隊長として、26歳という若さで五稜郭に散った伊庭八郎、21歳の時の、初のお勤め日記でもある。 この日記の後、いよいよ倒幕運動が激しくなってからの彼の活躍の方がよく知られているかもしれない。 ただ、これは原本は失われているとはいえ、八郎本人の日記だ。 部屋住みの身分で今まで働いたことのなかった彼が、父親や弟とともに、将軍家茂の上洛に伴い警護として京に上る。 仕事の代価としてお給料をもらうのも初めて、話に聞く上方に上るのも初めて。 若さゆえに多少浮かれているのが誰の目にも明らかである。 (剣術の)お稽古が大好き。 夜勤明けにも元気で観光に出かける。 名所と呼ばれるところはこの機会に余さず見ておかなくては! 高い書物も買って、勉強にも余念がない。 大丸呉服店でお買い物。 友人知人たちと天ぷらパーティー! 銭湯は嫌いなのか、知人宅のお風呂に入れていただく描写が毎日のように出てくる。 頂き物をすれば必ずお返し、頂き物を右から左へということも多いけれど、江戸時代のお付き合いの在り方を垣間見る。 将軍と天子様の書簡を書き写してあったり… つまり、珍しいものは何でも記録しておきたい、という覚書であったようだ。 とても無邪気な、いまどきの若者であった。 日記そのものは、解説が挟まらなければ多少退屈でもある。 しかし、剣術が得意だった、素直で、楽しいこと大好きだった彼が、時代の流れに巻き込まれて変わらざるを得なかった、という落差こそが読みどころなのかもしれない。 彼の一代記を読みたいと思う。
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1864年、殺伐とした時代に京都を訪れ、呑気なグルメ日記を残した武士が存在した。その武士こそ後に隻腕ながら遊撃隊長として榎本武揚と共に戦い、26歳にして函館・五稜郭で散った伊庭八郎であった。
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