ぼくの村がゾウに襲われるわけ。 の商品レビュー
一般の人に届きづらい野生動物の保全や人との共存を取りまく多様な課題や視点が、平易な言葉で現場の事例と共にわかりやすく示されている。主に中学生と思われるが、小学生高学年でも理解可能かつ視点としては高校生にも知ってほしい内容。
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アフリカは広大で、動物も人間ものびのびと暮らしているというイメージがありますが、実際には野生生物と人間の共存問題が深刻だと知りました。サファリなど、自然動物を対象にした観光ビジネスを押し出すアフリカの国々。 動物保護区域を設けて豊かな自然を築き上げているアフリカの観光地。実はそ...
アフリカは広大で、動物も人間ものびのびと暮らしているというイメージがありますが、実際には野生生物と人間の共存問題が深刻だと知りました。サファリなど、自然動物を対象にした観光ビジネスを押し出すアフリカの国々。 動物保護区域を設けて豊かな自然を築き上げているアフリカの観光地。実はその自然国立公園は、そこに以前から住んでいた住民を追い出して作ったものだとは考えたこともありませんでした。 また、狩りをして生計を立てていた人々が、ある日突然国から狩猟を禁じられて路頭に迷うといった問題も起きています。生活のために仕方なく狩りをするのは、密漁と見なされて罰せられます。 武器で追い払えない人々は、畑を荒らされないよう、焚火をたくのが精いっぱいだとのこと。ゾウを殺した人間は罰せらても、ゾウが人間を殺しても問題にならないと、国レベルで観光ビジネスを推し進め、法律で人々の生活を規制します。 観光メイン、白人ファーストといったゆがみが恐ろしい。どこか狂っており、人々の生命の危険を感じます。 狩りを止めた人間を恐れなくなった野生の象は猛々しく畑を荒らしまわり、住民の生活を破壊します。私たちの知る、身体は大きいけれど穏やかな動物園の象とは全く違うのです。 野生生物よりも軽んじられている人間の命。もっと大きな問題として採り上げられてもいいひずみを感じます。 動物好きの人にこそ、読んでもらいたい内容。無関心ではいられない現実が記されています。
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表題の通り、なぜ村が像に襲われるのかをわかりやすく解説した本。 大抵、像に襲われる村は、像が住んでいるエリアの近くにある。 もともと住んでいた草原・村を自然保護のため、国立公園を作るために追い出された先住民たちが、近くに村を新しく作って住んでいるため、像が生活してるエリアに隣接し...
表題の通り、なぜ村が像に襲われるのかをわかりやすく解説した本。 大抵、像に襲われる村は、像が住んでいるエリアの近くにある。 もともと住んでいた草原・村を自然保護のため、国立公園を作るために追い出された先住民たちが、近くに村を新しく作って住んでいるため、像が生活してるエリアに隣接している。 自然保護名目の国立公園では、白人観光客向けに狩ができたり、サファリパークになったりしてる。 または途上国が絶滅危惧種の保存等の要望をしてくるため、アフリカ政府は途上国に従っていう通りにしている現実がある。 つまり表題の答えは、一言で言えば先進国のせい。 意外なことを知れる一冊です。
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ゾウこわい。 うん、確かにゾウには優しいイメージがあるし、自然保護区は漠然と「いいもの」ってイメージだった。 現地ではこんなに生々しく害獣として被害が出ていて、ある日突然「自然保護区」と言われて自分たちの村から追い出されるとは……。
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アフリカ、タンザニア。「野生の王国」を謳う動物保護区には世界中から観光客がやって来る。もともとそこに住んでいた人々が追い出され、補償もない厳しい暮らしを強いられている事など知る由もなく。読後「野生の王国」のイメージが180度変わる。価値観の転覆という一大事を、ぜひ読書で体験してほ...
アフリカ、タンザニア。「野生の王国」を謳う動物保護区には世界中から観光客がやって来る。もともとそこに住んでいた人々が追い出され、補償もない厳しい暮らしを強いられている事など知る由もなく。読後「野生の王国」のイメージが180度変わる。価値観の転覆という一大事を、ぜひ読書で体験してほしい。
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あなたはゾウと聞いてどんなイメージを抱くだろうか。童謡の「ぞうさん」か、絵本の「かわいそうなぞう」か。 長い鼻を器用に使い、水を飲んだりシャワーのように噴出したりする。「ゾウが踏んでも壊れない」は頑丈さをアピールするキャッチフレーズとして後世にも残り、サーカスなどでは玉乗り...
あなたはゾウと聞いてどんなイメージを抱くだろうか。童謡の「ぞうさん」か、絵本の「かわいそうなぞう」か。 長い鼻を器用に使い、水を飲んだりシャワーのように噴出したりする。「ゾウが踏んでも壊れない」は頑丈さをアピールするキャッチフレーズとして後世にも残り、サーカスなどでは玉乗りなど多彩な芸を見せる。おそらく日本人でゾウを知らない人はそうそういないだろうし、その大半がゾウによいイメージしか抱いていないのではなかろうか。 しかしなんといっても地上最大の哺乳類である。圧倒的な重量はそれ自体が強力な武器である。ひとたび襲い掛かられては小さな人間に抗う術などない。そんなゾウが大挙してあなたの村に突進してきたらどうするか。 それは絵空事ではなく、アフリカで実際に起きていることである。本書の舞台はタンザニア、セレンゲティ国立公園に程近い村である。人々ははるか昔からその地に根を下ろし、畑で作物を作り、ウシやヒツジ、ヤギを飼いならし、時にヌーやシマウマ、ゾウをも狩って暮らしていた。 しかしヨーロッパ人たちがアフリカ各地を植民地として支配するようになり、自然との関わりは一変した。娯楽や毛皮などのためにさんざん殺しつくしておきながら、減りすぎたために(いくつかの種は絶滅した)「自然保護」を声高に叫ぶようになった。生きるための、食べるための狩りを「野蛮なもの」として批判し、その一方で自分たちのハンティングは「許可証」という形で正当化し残した。 まあそんな歴史に翻弄され続け、今も翻弄され続けているアフリカの人々の暮らしである。遠くに暮らす人々は感情的に感傷的に「ゾウを守れ、自然を守れ」と叫ぶが、観光で一時的に訪れ、安全な車の中から野生生物を眺めて感動などしたりするわけだが、そこで暮らす人々にとってはゾウも自然も大地の恵みであり、時に牙を剥く凶暴さをも有している。だから本当はゾウなど狩りたくはないのだ。武器といえば弓矢程度の彼らにとって、ゾウ狩りは命の危険を伴う。旱魃などで畑が不作だったり、家畜たちの乳の出や成長が悪かったりしたときに、やむなく、しかし誇りを持って挑む事業なのだ。だから彼らのペースで狩猟している限り、本来「採り尽くす」ことなどないのだ。 にもかかわらず、白人達は自分たちの都合で物事を捉える。「自然」を「無人」と定義する。単に自分たちが自然を抜け出しただけであって、アフリカやアメリカ、ニュージーランドその他には自然と一体になって暮らす人間はいたのだ。 日本でも「獣害」はたびたび話題になる。知床などで観光客が与えた餌に味を占めてしまい、度々人里に降りてきたために射殺されたクマがいた。猿を追い払うためにモデルガンで武装した老婆たちがいた。決して遠い世界だけの話ではない。
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