アリ対猪木 の商品レビュー
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猪木対アリの伝説の一戦をアメリカ側から語る。 多くの関係者へ取材し、貴重な証言を収集。 日本でもアメリカでも、当時の観客の感想は同様、 しかしMMAの時代が訪れ、再評価される流れも 同様であるのが面白い。 猪木対アリ戦に至るまでのアメリカンプロレスの 歴史を学ぶこともできる貴重な作品です。
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以前からずっと読みたいと思っていた 本をようやく入手。日本では色々な作品で語られている 【世紀の一戦】、アントニオ猪木とモハメド・アリの異種 格闘技戦を、アリ側・米国側の視点に立ち、その実現の背 景から試合内容、その後に及ぼした影響までが細かく記述 されているドキュメンタリー。 この試合のことを考える度に、「ボクシングの”現役”世界 ヘビー級王者」が、【”真剣勝負”の他流試合】に臨んだ 『奇跡』を意識せざるを得ない。今では絶対にあり得ない 状況であり、こんなことを「やりたい!」と言える世界王 者が存在するのなら、心の底から応援したいくらい。それ くらい、モハメド・アリは今を以て特別であり、唯一無二。 だからこそ、アリ側から書かれたドキュメントを、しっか り読んでみたかった。 ・・・その希望は、しっかり叶った。 あの異様な試合は、アントニオ猪木はもちろん、モハメド ・アリも自らが望んだ闘いであった、ということが感じら れたのが本当に嬉しいし、その後に世界的に発展していく UFC・PRIDEを始めとする【MMA】に大きな影響(ほぼ反 面教師ではあるが)を与えた事実も嬉しい。 解説の柳沢健氏は、この作品を「1976年のモハメド・ア リ」と評した。出来れば氏の名著である「1976年のアン トニオ猪木」と併せて読むことをオススメする。 なんちゃらジュニアとは、レベルが違うんだよ、アリは。
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モハメド・アリVSアントニオ猪木の試合は当時は酷評されたが、総合格闘技の隆盛や観客側の格闘技観の成熟と共に徐々に再評価され始め、今では意義のある試合だったとみる向きもある…日本では。 ではアメリカではどうだったのか、という疑問に応えてくれるのが本書。 アリ対猪木戦を点として、そ...
モハメド・アリVSアントニオ猪木の試合は当時は酷評されたが、総合格闘技の隆盛や観客側の格闘技観の成熟と共に徐々に再評価され始め、今では意義のある試合だったとみる向きもある…日本では。 ではアメリカではどうだったのか、という疑問に応えてくれるのが本書。 アリ対猪木戦を点として、そこまでの線をボクシング側とプロレス側両方から追ってるのが興味深かった。 結論から言うと、アントニオ猪木という人の評価をどう見るかでこの試合の評価も分かれるのではないだろうか。 著者はスポーツライターであるから、猪木へ一定の評価はしているが、猪木が纏う日本的な情念や哀愁までは理解し切れないのは当然であるし、評価も辛くなるのだろうなぁという印象。 アリという人物への興味を掻き立てる内容で、猪木戦以外にキンシャサのフォアマン戦やマニラのフレージャー戦を観たくなった。
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「猪木対アリ」ではなく、「アリ対猪木」。つまり、これはあの一戦をアメリカ側から見た一冊なのだ。 著者はMMA(総合格闘技)の草分け的ジャーナリストで、プロレスの世界の住人ではない。この立場から書く場合、プロレスを上から見下す視点になりがちなところなのだが、この著者は極めて客観的に...
「猪木対アリ」ではなく、「アリ対猪木」。つまり、これはあの一戦をアメリカ側から見た一冊なのだ。 著者はMMA(総合格闘技)の草分け的ジャーナリストで、プロレスの世界の住人ではない。この立場から書く場合、プロレスを上から見下す視点になりがちなところなのだが、この著者は極めて客観的に綴っている。 まず、この一戦に触れる前に、アメリカのボクシング史、力道山に始まる日本のプロレス史、そしてこの2人の格闘家誕生の経緯を、丹念に描いている。この部分を読むだけで、著者がかなり優秀なジャーナリストであることが容易に見て取れる。 この本の最大の読みどころは、アメリカ側の試合の実況を引用しつつ、この一戦に対するアメリカ側の認識が、ラウンドが進むにつれて変わっていったことをつぶさに描いた点だろう。これは、日本では書けない視点だ。著者自身も、この一戦には懐疑的な思いを持っていたであろうが、丁寧な取材に裏打ちされた確信を持って、最後はこの両者にリスペクトを抱くに至っているのがよく分かる。 ところが、である。本書の解説を書いている柳澤健。『1976年のアントニオ猪木』という本でデビュー以来、プロレスに関する本をいくつか出していて、ワタシも『1976年の…』は読んだ。が、これがいけない。この本が出た当時は、長らく触れられていなかったプロレスに関するタブーが、内部告発も含めて世に出始めた頃で、氏のこの本は「ここまで書いていいんなら、自分も出しちゃえ」という軽薄なノリで出しているようにしかワタシには思えなかった。当然のことながら、取材対象であるプロレスに対する視線は上からで、リスペクトは全く感じられなかった。プロレスをこき下ろすこと自体はワタシも抵抗はない(それはそれで面白い)が、もしそうしたいのならもっと正々堂々とやるべきだろう、というのが当時のワタシの感想だ。そして、どうやら、氏のそうした姿勢は今も変わっていないようだ。自分の著作になぞらえて、本書の帯の惹句に「『1976年のモハメド・アリ』とも言うべき作品だと思う」と寄せている。おこがましいにもほどがある。
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世紀の一戦、アリ対猪木について、主にアリの立場から書いた一冊。 これまで主に日本側(猪木側)から書いたものは数多く見る機会があったが、アリの立場から書いた本はなかった。 なので、真新しい記述は少なく、細かい誤謬は気になったが、面白かった。
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1976年に行われたこの戦いに関する書籍はあまたある。その中での本書の秀逸さは、アメリカ側、アリ側から書かれたことに尽きる。これまでの日本での報道にはなかった、あるいは、詳細で無かった情報が多数盛り込まれ、この戦いを立体的に浮かび上がらせる。 アリ側から見たこの戦いは、こうだ。少...
1976年に行われたこの戦いに関する書籍はあまたある。その中での本書の秀逸さは、アメリカ側、アリ側から書かれたことに尽きる。これまでの日本での報道にはなかった、あるいは、詳細で無かった情報が多数盛り込まれ、この戦いを立体的に浮かび上がらせる。 アリ側から見たこの戦いは、こうだ。少々長いがご容赦頂きたい。 アリは元々プロレスのファンで、プロレスのファンタジーの部分を理解していた。また、当時のアリの周りには、たけし軍団のような取り巻きが多数おり彼はこの軍団を喰わせねばならない立場にあった。猪木戦が行われたこの年、世界戦を4回戦っている。彼としては、安全に収益を上げられるイベントを求めていた。そこで猪木戦をいわゆるアメリカンプロレス的な戦い(イベント)として捉え、話に乗った。調整役はビンス・マクマホン親子。ビンス側はアリが初回に負け、次のイベントで勝つことを提案。しかしアリ側は飲まず調整は不成立。シュート(真剣勝負)となる。ルールは、当初は立っての蹴りあり寝技ありルール。しかし猪木側がルールの要求をつり上げ、アリ側が態度を硬化。結果として厳しいルールとなる。ただ、このルールもタックルしてテイクダウンし寝技の展開は可能な範囲。猪木が主張したほどのがんじがらめではなかった。お互いに手探りのまま試合はスタート。互いに決定打を与えられず終了。 物事は、多角的に情報をあつめ組み立てなければ、見えてこないことを改めて感じる一作。
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テレビ東京の”開運!お宝なんでも鑑定団”という番組で元新日本プロレスのフロント新間寿が鑑定に出したお宝は、"猪木VSアリの公式調印状”だった。番組では300万だったか?の値段がついていた。しかし、アリ側では価値は"3000ドル程度では”ということだったらしい...
テレビ東京の”開運!お宝なんでも鑑定団”という番組で元新日本プロレスのフロント新間寿が鑑定に出したお宝は、"猪木VSアリの公式調印状”だった。番組では300万だったか?の値段がついていた。しかし、アリ側では価値は"3000ドル程度では”ということだったらしい。 ここから考えられるのは、この試合は日本から見ると未だに関心が高い試合だった。”1976年のアントニオ猪木”にあるように、日本ではコマーシャライズされたプロ格闘技のコーナーストーンという評価である。PRIDEなどの解説では、”猪木アリ状態”という単語が、試合での状況説明をする際の固有名詞にまで昇華したほどだ。しかし、アメリカから見ると幾多の興行の一つに過ぎないのだろうか?モハメド・アリほどの注目度の合ったヘビー級ボクサーの試合も、エキシビジョンもどき、あるいは黒歴史ということで片付けられていたのだろうか? 本書は、アメリカ側から見た、猪木VSアリ戦の評価である。グラップラー(レスラー)VSボクサーの歴史、ゴージャス・ジョージの登場とアリの関心、日米プロレス史からこの試合に至った背景、ビンス・マクマホンの関与。そして、試合を1ラウンドから15ラウンドまで丹念に描写。その後の両者と、MMAの勃興。 現役プロボクシング世界ヘビー級王者だったアリは、ゴージャス・ジョージの影響を受け、ビッグマウスを演じていた。そう、プロレス特にヒールに影響を受けていた。だからこそ、この荒唐無稽とも言える試合を受けた。筋書きを決めず、リアルファイトとして。 では、なぜ直前までルールで紛糾したのか?本書ではあくまで当時のインタビューの再掲のみで、アリ側が裏側でどういう心理であったのかは十分に描かれていない。しかし、その後のUFCでのルール会議の紛糾の様子を描くことによって、当時の様子を推定しているといえる。つまり、リアルファイトであるが故に、自分の商品価値を落とさない試合になるよう、主導権を持つ、という単純明快な論理だ。アリ側は負けさえしなければ失う物はない。だからルールでがんじがらめにした。しかし、猪木側の対策は、アリ側の斜め上を行く物だった。ひたすらアリ・キックである。これはアリ側も本当に予想外だったのだろう。アリの右足がダメージを受けていたのは明らかで、本書中でも、アリ側のセコンドがいかにしてアリ・キックを阻止しようとしていたか、焦りを持って対応してことが書かれている。 この試合は、今で言うレッスルマニアのトリとして、あるいは全米各地のスタジアムでのプロレス興行のトリとして放映された。しかし、評価は日本での評価と同様、燦々たるものだった。その後、本書では、この試合を原点として、UFCに代表されるMMAが生まれたといえるような書き方をしている。しかし、実際はUFCと猪木VSアリに直接の関連は見られない。あくまでUFCはリアルファイトを追求していく中で、各格闘技のトップを決めるルールを決めたのだ。猪木VSアリとの関連性は、よくよく考えると原点はここかもね、ということなのだ。 本書を読むと、猪木VSアリ戦は、アメリカ側でも、日本側と同じよう評価をされていた、と読めなくもない。しかし、本書はアメリカで2016年である。日本からは、1990年代から、猪木VSアリ戦を評価する雑誌記事、著書が多数出版されている。ネットでのグローバル化、電子書籍の発達により、英語圏の人たちにも日本語文献に触れる機会は増えている。本書には参考文献の記載がないから不明であるが、ひょっとしたら、著者が参照した、猪木VSアリ戦の日本語の文献を多数参照したのでは?だからアメリカ側でも日本側と似たような解釈になったのでは? つまり、アメリカでは、猪木VSアリ戦は、考古学上の遺構に近い存在であった。しかし、近年のMMAの発達で、ようやく研究対象なった、ということではなかろうか?
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「総合格闘技の源流」と称される伝説の異種格闘技戦。 1976年6月26日。 日本武道館。 モハメド・アリ対アントニオ猪木。 現役のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンと、新日本プロレスのトップレスラーNWF世界ヘビー級チャンピオンとの対決は、15回フルラウンドのドローに終わ...
「総合格闘技の源流」と称される伝説の異種格闘技戦。 1976年6月26日。 日本武道館。 モハメド・アリ対アントニオ猪木。 現役のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンと、新日本プロレスのトップレスラーNWF世界ヘビー級チャンピオンとの対決は、15回フルラウンドのドローに終わる。 「世紀の凡戦」--当時のマスコミは酷評した。 アリが一発パンチを入れることができれば、そこで試合は終わる。 猪木が関節を一本取れば、そこで試合は終わる。 がんじがらめのルールの中、猪木は仰向けの状態から、アリの両足へキックを叩き込み続ける。 「立って来い! 臆病者! お前はガールだ!」 ボクサーが受けることのないキックに耐え、アリは猪木を挑発し続けて、そのキックに耐え続ける。 ボクシングの歴史。 プロレスリングの歴史。 格闘技の歴史。 アメリカの総合格闘技ジャーナリストによる、世紀の一戦に迫っていく一書。 ただひとつ残念なのは、アントニオ猪木の証言が得られていないことだ。
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