新・中世王権論 の商品レビュー
日本の武家政権は平氏政権、鎌倉幕府、室町幕府、豊臣政権、江戸幕府と続きます。これらを西国基盤・東国基盤、商業(交易)重視・農業重視で分類すると西国基盤・商業重視、東国基盤・農業重視で以下のように分けられます。 西国基盤・商業重視:平氏政権、室町幕府、豊臣政権 。 東国基盤・農業重...
日本の武家政権は平氏政権、鎌倉幕府、室町幕府、豊臣政権、江戸幕府と続きます。これらを西国基盤・東国基盤、商業(交易)重視・農業重視で分類すると西国基盤・商業重視、東国基盤・農業重視で以下のように分けられます。 西国基盤・商業重視:平氏政権、室町幕府、豊臣政権 。 東国基盤・農業重視:鎌倉幕府と江戸幕府。 「鎌倉幕府こそは、室町幕府を越えて、江戸幕府へと連なっていく」(本郷和人『新・中世王権論』文藝春秋、2017年、280頁)
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歴史にもしもはないけれど。 でも、そのもしもを考えるのが楽しいですよね! もしも源実朝に子供がいたら…なんて、イロイロと妄想できて楽しすぎます。 ブラック北条義時のせいで、怖いことになりそうですが。
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中世に王権はあったが、統治権は確立していなかった。京都の朝廷と鎌倉幕府と、王権は1つだったのか2つに分かれていたのかと議論してもそれは部分的なことに過ぎない。重要なのは、鎌倉幕府の方には統治をしようと考える人々がいたということだろう。 平安期から朝廷が律令政治に名を借りた利権の...
中世に王権はあったが、統治権は確立していなかった。京都の朝廷と鎌倉幕府と、王権は1つだったのか2つに分かれていたのかと議論してもそれは部分的なことに過ぎない。重要なのは、鎌倉幕府の方には統治をしようと考える人々がいたということだろう。 平安期から朝廷が律令政治に名を借りた利権の集合体のようなものになり果てていった時、地方で実務と実力を担う人々が台頭し、源氏と北条氏は御家人のための政治を確立した。彼らの視野には撫民、即ち民衆の統治が入っていたけれども、幕府は権力闘争の末、御家人利益の保護と得宗専制に傾いていく。やがてそこに、トンデモ天皇後醍醐の付け入る隙が産まれていく。 後醍醐一家が乱発した宣旨、令旨を回収するため、足利尊氏と一門は全国を転戦します。その結果生まれた守護大名体制ですが、年貢は半済といって半分を京都の貴族・天皇家にピンハネされており、支配地域も東国を関東公方に任せる半分体制でした。その半分体制が応仁の乱を契機に解体されると、ようやく、領地領域を統合的に支配する戦国大名が誕生します。 源頼朝が御家人による御家人のための政治を始めてから、豊臣秀吉の天下統一まで400年。この400年がなければ、日本はお隣の国のようになっていたのだろうと思います。
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【この国の在り方を考える上での必読書!】武士はいかにして日本の統治者となったのか? 気鋭の日本中世史家が、王権の在り方を検証しつつ、新たなこの国の歴史を提示する!
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