日本人は死んだらどこへ行くのか の商品レビュー
遠藤周作、深い河 柳田国男 先祖の話 本居宣長と平田篤胤 被災地のタクシードライバーが出会った幽霊 生病老死 赤ん坊の肉体はこの世において死体に向かって成長する
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宗教学者だと思っていた鎌田東二さんが、臨床宗教師という新たな衣をまとって日本人の死生観に関する小論をまとめた内容。 現代を新たな中世とスパイラルさせて見るのは了解しますが、そこに新たな親鸞や道元が現れないところに、さらなる末法を感じます。
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死んだらどこへ行くのか。 現代では魂の存在自体が軽んじられている風潮にある。 現に直葬、極端にはゼロ葬という死んだらそこで終わり、無になるという考えも増えてきている。 死ぬときは一人というイメージが何だか悲しい。 コミュニティの再建の必要性を大いに感じる。 あの世だとか生まれ変わ...
死んだらどこへ行くのか。 現代では魂の存在自体が軽んじられている風潮にある。 現に直葬、極端にはゼロ葬という死んだらそこで終わり、無になるという考えも増えてきている。 死ぬときは一人というイメージが何だか悲しい。 コミュニティの再建の必要性を大いに感じる。 あの世だとか生まれ変わるとかそういう感性が薄れているのに「君の名は」や「シン・ゴジラ」などの死や破壊を深く描かれたものがヒットするのも興味深い。
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これから先の世界 日本人には新たな死生観が 生まれる気がしてきました それが どんなものなのか ちょっと 見てみたいから それまで長生きできますように・・・
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鎌田東二氏は、上智大学グリーフケア研究所特任教授などを務める宗教学者で、神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も行っている。また、『神道とは何か―自然の霊性を感じて生きる』(2000年/PHP新書)は、「松岡正剛の千夜千冊」(0065夜)でも取り上げられている 私は、...
鎌田東二氏は、上智大学グリーフケア研究所特任教授などを務める宗教学者で、神職の資格を持ち、神道ソングライターとして作曲活動も行っている。また、『神道とは何か―自然の霊性を感じて生きる』(2000年/PHP新書)は、「松岡正剛の千夜千冊」(0065夜)でも取り上げられている 私は、「死んだらどこへ行くのか」というテーマに弱く(?)、これまでにも、書棚・蔵書録をざっと見ただけで、『人は死んだらどこに行くのか』(島田裕巳)、『死んだらどうなるの?』(玄侑宗久)、『わたしが死について語るなら』(山折哲雄)、『輪廻転生』(竹倉史人)、『恐山』(南直哉)、『死生観を問い直す』(広井良典)などを読んだ。 それらの本との比較で言うと、前段の、宮沢賢治の宇宙観、柳田國男の『先祖の話』と折口信夫の「まれびと」、『古事記』と本居宣長と平田篤胤のあたりは、他書でも取り上げられており、特段の目新しさはない。(今般上記の本を読み返したわけではないので、それ以外の本に書かれていたのかもしれない。また、遠藤周作の『深い河』は知らなかった) 一方、後段では、「現代」は「中世」の再来である、即ち、中央集権体制を強く希求していた「古代」と「近代」に続く「中世」と「現代」は、分権化や割拠が進み、その結果、社会システムが「無縁化」した(ている)点において似た状況にある、という認識を前提として、我々が「死」に対してどのように対処するべきかを語っている。 そして、そのように「無縁化」が進む現代においては、中世に宗教的な救済が求められたのと同じように、臨床宗教師等によるスピリチュアルケアやグリーフ(悲しみ)ケアが必要とされていることが強調され、また、中世において、無縁化した魂を鎮めるために『平家物語』や「能」のような芸能が生まれ、『古今和歌集』や『新古今和歌集』のような勅撰和歌集が編まれたのと同じように、現代においても、「アート・オブ・ピース(=平和をつくりだすワザ)」を新たに生み出し、自分の身の回りの「死」を「歴史」的な視点で位置付けて「物語=詩」にすることが重要であるとされている。(私は「スピリチュアル」というワードに瞬間的に拒否反応を示すのであるが、「スピリチュアルケア」はそのような性質のものではないようだ) 「日本人は死んだらどこへ行くのか」の直接的な回答は得られないが、死生観について考えを深める材料を提供してくれる一冊である。 (2017年6月了)
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