不道徳な見えざる手 の商品レビュー
やたらと経済における「物語」「レトリック」の釣りがでてくるのはオモチロイ。こっからナラティブ経済につながるのか
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帯の『ノーベル賞受賞者による衝撃作!』に大分釣られました笑。 私はそこまでの衝撃は感じませんでしたが笑、非常に”大人な”、バランスの取れた経済エッセーであると思います。ただ、全体的にはロジカルというわけでなく、事例集・論説集の雰囲気です。 本作は、(時に詐欺的ですらある)釣りという行為(合法的な引っ掛け!?)を切り口に、人が必ずしも合理的な選択・自己の厚生の最大化をもたらす選択をするわけではないという点にフォーカスし、警鐘を鳴らします。 ポテチは体に悪いとわかっているのに食べてしまう、広告側も消費者のニーズの有無ではなく欲求を喚起し購買をそそのかす等々。自由主義の下では、合法であるものの道義的に疑義がつきかねない事も広告や政治の世界で起こることを例証しています。 他方、こうした非合理的な選択ができる自由主義的社会を社会主義よりも評価し、穏健かつ進歩主義的な社会観を唱えているように見えます。確かに完全ではない自由主義だが(だます自由?だまされる自由?)、社会主義と比較すれば全体の厚生ははるかに大きく、それ故に・だからこそ(一定の厚生を維持し行きすぎがないよう)規制当局による公的な制限は必要だとしています。もちろん営利企業やロビー活動により規制当局が篭絡されたり、上部組織から圧力がかかることもあるでしょう。それでもなお、厚生という観点からだと自由主義が良いと言っているように聞こえます。 このように見ていくと、経済学は、経済モデルの構築や経済そのものの分析という従来の本分から、その経済のメインアクターである人間へと関心を移らせているように感じます。 自由主義はもはや完璧ではなく、またその不完全さや寛容こそが厚生を増大させる(自動車の普及、インターネットの普及、グローバリゼーション等々)とすると、そうした不完全な社会でもベターな制度やあり方を模索するのが学としての経済学の本分になるかもしれません。ただ、個人的にはそうした社会の在り方もさることながら、先生方は不合理な選択をしてしまう人間の性に関心が移ってきているようにも見えます。 ・・・ さて纏めますと、この経済エッセー(と呼ぶには分厚い)は、内容的も面白く、筆者の人間的な円熟味が感じられる本であると思います。時間が取れる方、人間の非合理的側面に興味のある方、金融や経済に興味がある方にはおすすめできそうです。ただし、専門的な内容も多くややわかりづらく、また専門家的には新たな事実はないとのことです笑(解説参照)。
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自由市場が最大の経済的利益をもたらす原則を見直すべきだということをノーベル経済学賞受賞者であるジョージ・アカロフ氏とロバート・シラー氏が警鐘を鳴らした書。標準的な経済原理の一般均衡と同様に自由市場には粉飾と詐欺が発生する「つり均衡」が成立するとしている。重要な指摘だと思われるが、...
自由市場が最大の経済的利益をもたらす原則を見直すべきだということをノーベル経済学賞受賞者であるジョージ・アカロフ氏とロバート・シラー氏が警鐘を鳴らした書。標準的な経済原理の一般均衡と同様に自由市場には粉飾と詐欺が発生する「つり均衡」が成立するとしている。重要な指摘だと思われるが、とにかく読みづらい、訳のせいかと思ったが、訳者が特に翻訳にあたって困難な部分はなかったと言っているので、原文がわかりにくのかもしれない。したがって、一般大衆が粉飾と詐欺を回避する方法はわからず、一般大衆はただ手をこまねいて見ているだけしかない、身も蓋もない結論になる。政府の役割をもっと評価すべき(政府の規制が過少である)、と主張しているが、歴史的水準の公的負債に苦しんでいる日本からすると鼻白む思いである。
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ノーベル経済学賞コンビの本なので期待したが、リーマンショック時のCDSバブルなど、自分が詳しいだけに、翻訳のイマイチさが際立ってしまい、その他の部分は、全般的に頭に入らなかった。。やっぱり翻訳本はダメだ。。合わない
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期待していたほど面白くはなかった。自由競争による市場最適化という概念は行動経済学の普及によって華々しく否定されたわけだが、ここでは一歩進んで(後退して?)「自由競争」の中では詐欺や犯罪者も同じラインで競争していて、均衡状態の一部になると主張される。そんなことは言われなくても当たり...
期待していたほど面白くはなかった。自由競争による市場最適化という概念は行動経済学の普及によって華々しく否定されたわけだが、ここでは一歩進んで(後退して?)「自由競争」の中では詐欺や犯罪者も同じラインで競争していて、均衡状態の一部になると主張される。そんなことは言われなくても当たり前の話だが、言われなくても当たり前の話に気付かないところが経済学の本領発揮なので、それはいい。しかし、ありとあらゆるマーケティング活動を詐欺同然に告発し、あまつさえ言論の自由まで脅かす主張には与せない。大切なのは、様々な心理的バイアスを理解し啓蒙することで、均衡の中に含まれる間違いや犯罪を減らしていくことであって、全ての利己的表現手法を悪者扱いすることは不毛だ。 もう一つ指摘しておきたいのは、Phising はインターネット上の詐欺行為を指す言葉として定着した用語であり、これを一般的な詐欺を表す用語として使用するのは誤謬を招くということだ。マイケル・ミルケンを同様の行為で批判しておきながら、Phising とフライドポテトの味付けを同じ Phising という名前で呼ぶ態度はいかがなものか。
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概要: 自由経済では誰かが誰かをカモにしている。金融(サブプライムとか); 健康(シナボン); 広告; 政治(ロビイング)。自由市場を信じ過ぎるな 感想: 言ってることは正しいと思うが、懐疑主義以外に個人ができる対処がない。処方箋がない問題提起に見える
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自由市場というシステム自体がカモと釣り師が必然であり、その仕組みを説く。それを克服するための示唆が見当たらなかったが、システムを破壊して、カモと釣り師が発生しえない社会を作るというよりは、個人としてその両者に巻き込まれないようにする、というのが現実的と理解。
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サッチャー、レーガン以降、世界で広まった「新自由主義」の間違いを指摘し、さらにいえばアダム・スミスの「国富論」における「見えざる手」を否定する。そんな大きなパラダイムチェンジを起こす。それが本書の目論見であろう。 著者たちは、規制なき、自由な社会がいかに「釣り師」(情報を操作し...
サッチャー、レーガン以降、世界で広まった「新自由主義」の間違いを指摘し、さらにいえばアダム・スミスの「国富論」における「見えざる手」を否定する。そんな大きなパラダイムチェンジを起こす。それが本書の目論見であろう。 著者たちは、規制なき、自由な社会がいかに「釣り師」(情報を操作したりして、人々に誤った判断をさせる人または組織)にとって楽園になっているか具体例をあげて説明する。そして、そういった「釣り」がときどき起こる例外的な事象ではなく、あらかじめこの世界に組み込まれているシステムの一部なのだと喝破する。 社会心理学者のチャルディーニは『影響力の武器』においてセールスマンや広告主たちがどのようなテクニックを使って私たちを「誘導」しているのかを解き明かし、その対抗策を示してくれた。同じように本書で著者たちは、私たちがどのように「釣られる」のかを解き明かし、それを防ぐための手段を提示してくれる。
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