デカメロン(中) の商品レビュー
第4日目は、恋の末に女が死んでしまう物語が多く、全体的に悲劇が多かった。 上巻では、わりと練られた語りだしだったが、だんだん話し手が変わる時の繋ぎのセリフが雑になってきている気がした
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中巻、10日間のうち4日から7日目の物語です。 坊さん(教会)の悪口に飽きたのか、この巻は恋の話が多いです。しかし不倫多いですね。いや、別に良いのですが。 不倫じゃなくても「娘の親の許しさえ出ればすぐにでも娶ろうと2人の青年はいずれも色めき立っている。もし申し込みが断られた際...
中巻、10日間のうち4日から7日目の物語です。 坊さん(教会)の悪口に飽きたのか、この巻は恋の話が多いです。しかし不倫多いですね。いや、別に良いのですが。 不倫じゃなくても「娘の親の許しさえ出ればすぐにでも娶ろうと2人の青年はいずれも色めき立っている。もし申し込みが断られた際は、たとえいかなる手段を講じてでも、女を我が物にしようと2人とも心中思っている。」と穏やかでない。 とは言え、この時代も無法世界ではありませんから、不倫も掠奪もバレるとタダではすみません。特に不倫が見つかった女性は命懸け、現代の芸能界より厳しいです。 そこまで恋愛に命をかける。やはり娯楽が少ないからでしょうか?それともイタリアだから? とは言え、恋愛話やそれに絡む艶笑話はさほど面白くありません。エロの表現では日本に分があるようです。 一番面白かったのは本文ではなく、六日ニ話の注釈「鴨川の水でも汲んで、お帰りなはれ。」かな。なるほど解りやすい。 追加情報 文庫本表紙の女性が猟犬に襲われている絵は5日8話目のフィロメーナのお話しからのカットです。
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パンデミック下の14世紀イタリア。貴族の若者たちによる面白おかしい百物語。中巻は4日目~7日目の40話。 第四日はバッドエンドの昼ドラ、第五日はハッピーエンドの昼ドラ、第七日はドロドロな昼ドラ、といった感じで、恋愛のもつれやエロ話が出てくるわ出てくるわ。といっても下世話なだけで...
パンデミック下の14世紀イタリア。貴族の若者たちによる面白おかしい百物語。中巻は4日目~7日目の40話。 第四日はバッドエンドの昼ドラ、第五日はハッピーエンドの昼ドラ、第七日はドロドロな昼ドラ、といった感じで、恋愛のもつれやエロ話が出てくるわ出てくるわ。といっても下世話なだけではなく、切なさや勇敢さ、機知に富んだ展開などもあり、そこに見られる男女の感情は700年も前に書かれた本とは思えないほどリアリティにあふれている。 この中にあって一息つかせるためなのか、第六日だけは雰囲気が異なる。「冷やかされても言い返し、すばやい返事や判断で、危険や身の破滅や世間の嘲笑をかわしおおせた人々について」というテーマが提示され、トンチの効いた切れ味の鮮やかな短い話が続き、本巻では非常に面白い部分だった。 ここまでで個人的には、本作で最も長いという第二日と、最も短いという第六日が好みだ。とはいえ、どの話も本当に面白い。ゴシップって、いつの時代も人を引きつけるのだなぁ。
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- ネタバレ
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3巻からなる大作の中巻は4日目から7日目の計4日間・40話を収録しています。 当『デカメロン』ですが、実は毎日テーマが決められ、話が展開していきます。例えば4日目は「その恋が不幸な結末を迎えた人の話」、7日目は「女たちが夫に対してやらかした悪さの数々」など。でも、艶話・面白話もこうも続くと、多少の変化が日々ついているとはいえやはり少し飽きを感じてしまいます。 そんなことをたらたら考えながら読んでいましたが、訳者平川氏の渾身の解説に大きな学びがありました。それはダンテとの対照性です。 端的に言えば、ボッカチヨは寛容である、という主張。 ボッカチヨはダンテを尊敬し、作品も相当読み込んだらしく、作中でしばしば『神曲』の構成や言い回しを借用している箇所があります(懇切丁寧に注が付いています)。ところがそのスタンスたるや対照的というのが平川氏の意見。曰く、ダンテは旧来の教会を批判しつつも結局キリスト教至上主義的で、他宗教(ユダヤとイスラムです)を異教徒として排他的・攻撃的に扱う一方、ボッカチヨは本作でユダヤ教徒・イスラム教徒を悪者扱いすることもありません(寧ろ国内のヴェネツィア人への揶揄が多い)。またダンテが信賞必罰・因果応報的な世界観を展開している一方(煉獄の様子の描写ですからねえ)、ボッカチヨの作風はより人間の本性・欲求を描いており、当然これに対して同情的なスタンスであることが見て取れます。 ルネサンスは人間中心、などと言いますが、宗教的ストイシズムがどうにも自然ではないことを筆者ボッカチオが表現しようとしていたとすれば、やはり本作こそがルネサンス文学の代表にふさわしいと思った次第です。 そう考えれば、本作も単なるエロ話集成ではなく、寧ろ人間の欲求を認めたうえでどう倫理や規範をファインチューンするかという実践的な議論の発射台にもなりうる、と考えることもできるのかもしれません。 ・・・ それにしても、本作の註を読んでいて、つくづく翻訳というのは難しそうだなあと感じました。地名をイタリア語読みするか、日本での通称を使うか、などの呼称の統一から始まり、なるべく文章を字義通り訳す努力を続けつつ必要な個所については意訳を大胆に導入するなど。意味が不明瞭な個所はドイツ語訳・英語訳・フランス語訳を適宜参照し、意味の把握に努める(註にその顛末も明記)。加えて、ダンテはじめ過去の作品の言い回しやオマージュについてもきちんと註を打って、読者により深い理解を促す。 これは大仕事です。 私は仕事では英語を使っていまして、機会があったら翻訳で小遣い稼ぎでもできないかなーと普段から淡くよこしまな思いを抱いていたのです。でも、自分の普段使いの外国語運用・翻訳は、文学作品の翻訳とは大きく乖離する、というか真逆であることを思い知りました。 私はメールにせよ、会話にせよ、『要は何か』という点にフォーカスし読み・書き・しゃべります(ある意味業務上のコニュニケーションはぶっきらぼうでbluntかもしれません)。やりとりは、大意・本意を読み取ることが第一で、その内容の要点を上司に報告するとなると、顛末のほんの一部の中心しか(あえて)話さないのです。 この調子で翻訳をしたら、意訳だらけの要点だけの味わいもへったくれもないレポートができること間違いありません。 翻訳者の日々の仕事に感謝をしたくなった今日この頃です。
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