諧調は偽りなり(上) の商品レビュー
『美は乱調にあり』の後編となる作品。日陰茶屋事件のその後。大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥の三人を関東大震災の混乱期に殺した甘粕正彦。実話を元に書かれた小説。さすが、寂聴さんグイグイ読まされます!
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「美は乱調にあり」の続編である、村山由佳の「風よあらしよ」は野枝主観で書かれた小説であるのに対して、本作は野枝と大杉栄の周辺を丹念に取材したドキュメンタリー風の作品であり、あたかも沢木耕太郎を読んでいるように錯覚させられた。上巻は神近市子の刃傷沙汰以後が書かれており特に辻潤と神近市子のその後の人生が興味深かった。下巻はいよいよ甘粕大尉が登場し佳境に差し掛かる様だ、下巻に続く。
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村上さんの「風よあらしよ」と違うところは、寂聴さんが当事者関係者と直接取材ができているからとてもリアルに感じられてドキドキする。テレビもネットもない時代だからなんだろうけど、新聞や雑誌や本に書かれたことが世の中を付き動かせる元となり得た「文字」の偉大さを再確認した。私的な事情まで...
村上さんの「風よあらしよ」と違うところは、寂聴さんが当事者関係者と直接取材ができているからとてもリアルに感じられてドキドキする。テレビもネットもない時代だからなんだろうけど、新聞や雑誌や本に書かれたことが世の中を付き動かせる元となり得た「文字」の偉大さを再確認した。私的な事情まで文字にしたらお金になる時代だったんだ。そして金銭の貸し借りも質屋から友人まで頻繁に行われていたのは、社会保障制度が脆弱だったからだろうか。引っ越しもよく行われていたようだし、もしかしたらそういう面から考えると生きやすかったのかな。
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前作『美は乱調にあり』から16年を経て書かれた続編。上巻は伊藤野枝よりも、大杉栄、神近市子、辻潤といった、彼女の周辺の人々に多く紙幅が割かれる。 大杉という人物がよくわからない。 本書は解説書ではないので、彼の細かな思想まではわからないが、引用される文章やフリーラブ等のエピソー...
前作『美は乱調にあり』から16年を経て書かれた続編。上巻は伊藤野枝よりも、大杉栄、神近市子、辻潤といった、彼女の周辺の人々に多く紙幅が割かれる。 大杉という人物がよくわからない。 本書は解説書ではないので、彼の細かな思想まではわからないが、引用される文章やフリーラブ等のエピソードからは、彼に思想というほどのものもなく、ただ大きな子どものようにも思える。そもそも本書のタイトルも前作のタイトルも、大杉のエッセイ「生の拡充」の中の一節“諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。諧調は偽りである。真はただ乱調にある”から取られている。おそらく、大杉自身が魅力的な乱調の人であり、生き方自体が乱調を体現し、それが周囲を巻き込んでいったのではないかと想像する。 本書の凄いところは、作者の寂聴さん自身が、平塚らいてう、神近市子、荒畑寒村らと同時代を生き、そのうちの何人かとは実際に会って当時の生き生きとした話を聞き出している点だろう。難点はそれが当事者の主観であり、エピソードの羅列になることで、本書もそこから抜け出すことに苦労しているように感じる。 下巻でいよいよ物語は終局を迎える。どのような結末が大杉、野枝に待っているかは歴史がすでに語っている。寂聴さんがどう語るかを知りたい。
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