日本の身体 の商品レビュー
対談で各方面の達人から極意を聞き出すような本でした。気になった点としては、日本固有の身体性を重要視しながら、なぜラグビーの人がいるのか謎でした。茶道において主人と客人が逆転し楽しむという話が、私的には目の覚めるようでした。当然と言えば当然ですが。
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対立は相似と硬直をもたらし、同化は差異と自由をもたらすっていう本。 正直、文字と少ない写真で身体的な動きを伝えるには限界があるし、対話の部分は凄く興味深い話はたくさんあったけど、精神的な話は実際に体感しないと理解出来ないだろう部分もあった。 ただ、「文庫版のためのあとがき」のp. 321 [もう一つ、これは最近の気づきですが、「対立的なマインド」を持つことが身体運用に及ぼす影響について。]からp. 325の[私はそんなふうに考えています。]までの文章がここ最近読んだ中で一番心動かされたし、ある種の真理だと思った。
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太刀なら太刀の「固有の整理」が、この角度、この方向に動きたい」導線があるのだから、それを妨げないように動く。 試合、順序というのはうまくなるためのスパイス。 グローバリゼーションは度量衡の統一。 どこの筋肉に力が入っているかわかるのは、要するに筋肉に抵抗感があって、自然では...
太刀なら太刀の「固有の整理」が、この角度、この方向に動きたい」導線があるのだから、それを妨げないように動く。 試合、順序というのはうまくなるためのスパイス。 グローバリゼーションは度量衡の統一。 どこの筋肉に力が入っているかわかるのは、要するに筋肉に抵抗感があって、自然ではないということ。 人間の本質は合理的な生き方よりも、自由な生き方を選ぶ点に存在する。 武道は「人間のスケールを超えた自然力・野生の力を、整えられた体をとおして制御する技法」 能では制約があるが、そのような定式性、儀礼性が整っていないところに、超越的なものを覚醒させてはならないという恐れの表現。 シテは身体感度を最大にして、導かれるまま道順をたどり、今いるべきところに立って、なすべきことを成す。 良導体となるのが身体技法に共通した意識。
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茶道、能楽、相撲、あるいは漫画家(井上雄彦!)など、身体動作にこだわりをもった人たちと、合気道家である内田氏との対談集。 私の要約では、「心身を常に快適でいさせるための(日本人ならではの)からだの動かし方」を探ることがテーマ。 私の理解では内田氏の着眼は三つに分けられる、すな...
茶道、能楽、相撲、あるいは漫画家(井上雄彦!)など、身体動作にこだわりをもった人たちと、合気道家である内田氏との対談集。 私の要約では、「心身を常に快適でいさせるための(日本人ならではの)からだの動かし方」を探ることがテーマ。 私の理解では内田氏の着眼は三つに分けられる、すなわち、①美しい所作は周囲の人々に伝わる(同期する)、②無駄のない所作は「快」につながる、③その所作には日本固有のありかたがある。 ①②はわかるんだが、③はいつもの内田節、というか、「日本固有の動き」に割と強引に話を収れんさせている印象なきにしもあらず。 たとえば、日本ならではの周囲との同調は「(西洋的な)オーケストラの指揮者のドライビングとはだいぶ違う」というような発言があったが、そうかな?オケが巨大な有機体になったときの一体感は指揮者の統制の結果だけとは限らない、というのが私の実体験。 それに、日本ならでは、といいつつバスケやラグビーについても言及。それなら、例えばヨガインストラクターと会話しても、ここで論じられているような身体性について共通点が見つかるのではないか?私としては、むしろ日本ローカルではない身体と精神の普遍的関係にこそ関心があるのだが。 といった疑問はありつつも、身体と精神、他者との交歓といったテーマに興味のある人にとっては非常に面白い本。 長くなったが、つよく印象に残った合気道家多田宏先生の発言を最後に引用。 「(昔の道場には)海軍の将官や有名な政治家が多かったですが、その先輩方は別に実用的な格闘技として習っていたわけではないでしょう。とっさの場合の判断力とか、新しい方針の決め方とか、そういう基本的な命の力をつけることが稽古の目的だったと思います」(P121 )。 基本的な命の力。そう、これが欲しいのです。
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鍛錬はそのもの自体が目的でなく、健康かつ、らしく生きるための、ストレッチてこと。 古来から伝わる芸能は、贅沢な娯楽で、それを趣味にするのは知的欲求も満たしてくれるのかも。 興味深いな
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内田樹と、身体技法の達人12人の対談を収録している本です。対談相手となっているのは、茶道の千宗屋、能の安田登、文楽の桐竹勘十郎、マンガの井上雄彦、合気道の多田宏、身体治療の池上六朗、義太夫の鶴澤寛也、雅楽の安倍季昌、相撲の松田哲博、マタギの工藤光治、ラグビーの平尾剛です。 また...
内田樹と、身体技法の達人12人の対談を収録している本です。対談相手となっているのは、茶道の千宗屋、能の安田登、文楽の桐竹勘十郎、マンガの井上雄彦、合気道の多田宏、身体治療の池上六朗、義太夫の鶴澤寛也、雅楽の安倍季昌、相撲の松田哲博、マタギの工藤光治、ラグビーの平尾剛です。 また巻末には「少し長いあとがき」として、内田の身体論にかんするエッセイが収録されています。このなかで著者は、鈴木大拙の「日本的霊性」にかんする議論を参照しており、鎌倉時代に日本的霊性が誕生したという大拙の議論に賛意を示しているのですが、「解説」を担当している宗教学者の鎌田東二はこれまでくり返しこうした大拙の日本宗教史の見方に対する批判を展開しています。そこで、鎌田が内田の議論について突っ込んでいるのではないかという期待もあったのですが、もっぱら12人のことばのなかからとくに彼が深い印象を受けたものを引用してお茶を濁しており、内田の身体観をめぐって踏み込んだ考察は展開されておらず、個人的にはすこし残念に感じました。
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タイトル通り身体論ではあるのだけれど、立派な古典文芸への入門書でもある。 日本文化の入り口として、こういう切り口から入るのも「アリ」なんじゃないか。 そんなことを考えながら読みました。
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面白い 大変に面白い 解説で「身体は1つの大いなる理性である」というニーチェの言葉が引用されているが、全くそうである 身体、奥深いなあ
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もうそろそろ内田樹も卒業しようかと思っていたから、本書も購入するかどうか迷った。でも、まあ、能とか文楽とか尺八とか雅楽とか、なんだか知らない世界に好奇心がそそられて読み始めた。もともと、身体には興味があった。学生時代から舞台はよく観た。いわゆるアングラとか小劇場とか、野田秀樹も何...
もうそろそろ内田樹も卒業しようかと思っていたから、本書も購入するかどうか迷った。でも、まあ、能とか文楽とか尺八とか雅楽とか、なんだか知らない世界に好奇心がそそられて読み始めた。もともと、身体には興味があった。学生時代から舞台はよく観た。いわゆるアングラとか小劇場とか、野田秀樹も何度も長時間並んで観た。それから舞踏との出会い。ワークショップにも参加した。竹内敏晴とか野口三千三などの著書も読んだ。私の身体はかたい。野口体操をしていたころ(20歳代)はそれほどでもなかったかもしれない。それから30年。ときどきのバトミントンくらい。少しくらいの柔軟体操ではこの身体のかたさはほぐすことができない。散髪に行くと、「いつも肩こってますね」と言われる。けれど本人はそんな詰まった感じはない。内田樹によると、身体がかたい人は頭もかたい。身体をやわらかくすると精神もやわらかくなる、らしい。けれど、ちょっと私自身には当てはまらないような気がする。身体はかたいけれど、頭はかたくない、と思う。双葉山の話だったか、土俵際で身体が液体のようになる。で倒れない。柔軟な精神を持ち、ポキッと折れない人づくりが大切なのかもしれない。
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内田樹な一冊。 茶道、文楽、雅楽、合気道といったところから、意外にも漫画家やマタギにもインタビュー。 日本人の身体、と言うより、日本の身体、とした所から、何か一つの文化を背負ってきたような存在感が加味されているように思う。 文化的に残されてきた動作の源には何があるのか。 動作か...
内田樹な一冊。 茶道、文楽、雅楽、合気道といったところから、意外にも漫画家やマタギにもインタビュー。 日本人の身体、と言うより、日本の身体、とした所から、何か一つの文化を背負ってきたような存在感が加味されているように思う。 文化的に残されてきた動作の源には何があるのか。 動作から歴史性を振り返ることも面白いし、地理的条件で歩き方が変わるといった考察も面白い。 人が武具を使うのではなく、武具が人を使うことにどう同調できるか、という視点は何度も出てきて、なるほどと思わされる視点である。 また、ラグビーボールが歪な形でないのは、キックの成功率を下げるためだ!と言った内田樹のトツゼンな意見に、プロフェッショナルの方がたじたじしてしまう切り返しにも注目である。 以下、個人的に印象に残ったフレーズ。 「子供が歩き回っても捕まえられる虫が三、四種類しかない、植生も単純な何もない砂漠であれば、それは一神教になるだろう。」(これは養老孟司の引用にもあたるけれど) 「体罰って、要するに自我を解体するための仕掛けなんですけど、たしかに集団的に体罰を喰らっているとチームワークがよくなってしまう。」 「私たちは対立ということを「相違点が増えること」だとふつうは考えています。でも、違うのです。対立が激化するのは「相似点が多すぎる」からなのです。だから、ある程度以上対立的になると、相互に似すぎて身動きならなくなる。」 どんどんと機械化が為される今、動きはおろか、人間のカタチそのものに変化が生じている。 さて、それは進化なのか、退化なのか。 行き着くところを想像すると、ひんやり冷たい心地がした。
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