日本語の建築 の商品レビュー
日本語の持つ余白を活かした建築を作る。感覚を頼りに余韻や曖昧さを楽しむことができる。管理され均質化された社会だからこそ、自分自身の感性に基づいて生きること、楽しむことが大切だということかな。管理された会社の中が全てとなりがちだが、そうではなく、自分の感覚を頼りに会社以外(余白)も...
日本語の持つ余白を活かした建築を作る。感覚を頼りに余韻や曖昧さを楽しむことができる。管理され均質化された社会だからこそ、自分自身の感性に基づいて生きること、楽しむことが大切だということかな。管理された会社の中が全てとなりがちだが、そうではなく、自分の感覚を頼りに会社以外(余白)も楽しむ。会社での出来事の余韻も楽しむ。そう生きることが人生を楽しむことなんだろう。ということが建築を通して見えてきたということかな。勉強になった。自分自身を均質化された生き方から、日本語的な生き方へと変換していきたい。
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地球、陸地、国、地域、町、家、住む人。 機能や生産性だけに特化すると、 住む人を抽象化し、必要な箇所だけ構築することになる。 それは地球上のどこで通じるものかもしれないが、それだけでしかない。 抽象化することができない個人の部分、 これをお互いに認め合って生きていくことができ...
地球、陸地、国、地域、町、家、住む人。 機能や生産性だけに特化すると、 住む人を抽象化し、必要な箇所だけ構築することになる。 それは地球上のどこで通じるものかもしれないが、それだけでしかない。 抽象化することができない個人の部分、 これをお互いに認め合って生きていくことができるようにする、 人が特化するのではなく自然に溶け込ませてもらう、 それを実現するのが建築をはじめとする、 人が作るもののあるべき姿なのかもしれない。 (以下抜粋。○:完全抜粋、●:簡略抜粋) ○やはり「管理」ということなのです。本来であれば、こうやっても工期は延びないか、費用は上がらないかという質問をしてくる以前に、主催者として、自分たちも一緒にがんばりますよ、一緒に努力していいものをつくりましょう、という、前向きな姿勢があっても良かったはずです。それがまるで言質をとるような質問をしてくるということは、何か問題があった時に、自分たちは責任をとりたくない、とれない、ということの表れにほかなりません。(P.50) ○「ミニ・メディアテーク」などと言っても、その場所を必要としているお年寄りたちには、何のことだかさっぱり伝わらないでしょう。(P.66) ○しかし彼ら自身は、恐らく、地縁ができて、心地よいから行きたいと思うだけであって、何か「都会から逃げ出したい」「島で何かを成し遂げたい」など、強い動機をもって大三島にきているわけではないでしょう。(P.168) ○そのためには、ただ待つ、という時間も必要になります。この「待つ」という時間のなかで、徐々にこちらの考えに賛同してくれる人が一部に出てきて、じゃあ、耕作放棄地があるから使ってみたら、ということになってくるのです。(P.171) ○ここで絵を描くことができたことには、「くまもとアートポリス」がこれまで二十八年間にわたって続いてきた意義を感じました。(P.181)
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