土の記(下) の商品レビュー
上巻のはじめ、「なぜこれが『土の記』なんだろう?」と思いながら読み進めていました。 主人公や周りの人物の視点をテンポよく使い分けながら、例えば病気の怖ろしさを迫るように描いたり、人々の明るさ昏さ、意識の表層、深層を行ったり来たりしながら描いたりと、独特の筆致に惹き込まれました。 ...
上巻のはじめ、「なぜこれが『土の記』なんだろう?」と思いながら読み進めていました。 主人公や周りの人物の視点をテンポよく使い分けながら、例えば病気の怖ろしさを迫るように描いたり、人々の明るさ昏さ、意識の表層、深層を行ったり来たりしながら描いたりと、独特の筆致に惹き込まれました。 最後、いきなり文体がゴロッと変わってぷつっと終わるのがとてもショックでした。。そして、「ああ、土の記やなぁ…」としみじみ感じました。
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今まで福澤彰之シリーズで、漁師の生活や仏教といった変わった題材を描いてきたが、本作では米つくりの農家という日本人にとってある意味普遍的な日常生活を描く。都会に住む自分のような者にとっては異質だが、日本の歴史を通覧すると普遍的であると言え、衆目の目を惹きやすい変わった題材から普通の...
今まで福澤彰之シリーズで、漁師の生活や仏教といった変わった題材を描いてきたが、本作では米つくりの農家という日本人にとってある意味普遍的な日常生活を描く。都会に住む自分のような者にとっては異質だが、日本の歴史を通覧すると普遍的であると言え、衆目の目を惹きやすい変わった題材から普通の題材を描く事にシフトしているような気さえする。普通の題材をいかに深く描くか、という事に挑戦しているのか?とも思う。土と共に生き、土に還る。タイトルにはそんな思いが込められているような気がする。ただ単に伊佐夫が土のサンプル収集に凝っていたから、というだけではないだろう。その伊佐夫も、16年前に交通事故に遭い植物状態になって、半年前に死んだ妻の昭代が生前他に男を作って不貞をはたらいていたのではないかという疑惑を払拭できず、うじうじと考え昭代という死者にとらわれている。昭代の妹久代と結婚していればまた違う道を歩んでいたのかもね、とも思う。下巻になって伊佐夫のボケが進み目が開いていても現実と夢の境がなくなる事、記憶の中の風景と現実が混在していく描写には恐怖を覚えた。詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou6711.html
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土まみれ。主人公のぼけっぷりが面白い。田舎の濃厚な人間関係。著者の豊富な理系知識。主人公の頭の中を克明に描写。読み進めるのに苦労。
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娘夫婦が帰郷した時の宴会描写のグルーヴが半端なかった。 現実と内省と物忘れを行きつ戻りつしながら辿り着く最後1ページ。 最高。
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上巻に続き、農家の日常が淡々と描かれる。 奈良県宇陀盆地の漆河原集落で暮らす72歳の上谷伊佐夫。シャープ葛城工場を退職後、妻の実家にて農業をして暮らすようになる。妻の不貞と謎の死、村人への違和感を募らせる日々。伊佐夫の暮らしの果ては…。 髙村薫の文章は、説明的ではない。読者に...
上巻に続き、農家の日常が淡々と描かれる。 奈良県宇陀盆地の漆河原集落で暮らす72歳の上谷伊佐夫。シャープ葛城工場を退職後、妻の実家にて農業をして暮らすようになる。妻の不貞と謎の死、村人への違和感を募らせる日々。伊佐夫の暮らしの果ては…。 髙村薫の文章は、説明的ではない。読者に思弁を迫る。答えが示されるわけではないけれど、人生ってまさにそういうものですよね。滋味深い読書を堪能。
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棚田で農作業を営む老人の孤独で単調な肉体運動がゆえか、脈絡もなくあっちからこっちへと浮かんでは散逸する物思いと、彼をとりまく自然の圧。人が黙々と土に向かい、長雨に打たれるままにいると、やがて自然と同化していき、人間の意識はとりとめのない物思いに支配される。そんな状態の人の独白で物...
棚田で農作業を営む老人の孤独で単調な肉体運動がゆえか、脈絡もなくあっちからこっちへと浮かんでは散逸する物思いと、彼をとりまく自然の圧。人が黙々と土に向かい、長雨に打たれるままにいると、やがて自然と同化していき、人間の意識はとりとめのない物思いに支配される。そんな状態の人の独白で物語をつむぐという試みは、その物思いと四季の村の自然のしつこいくらいの執着で描かれる描写だからこそ成立したのだろう。まさに高村薫の真骨頂。
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最後まで、ただひたすらに、土の記。少し呆けてきた老人の、農作業の日々。上巻同様に過去の思い出と現在の農作業で老人の意識はいったりきたりしているが、下巻はその現在部分が頼りなくなっている。昨日会った人のことを忘れ、娘の再婚を忘れ、…。小説の主人公ではない、普通の人の人生を辿った気分...
最後まで、ただひたすらに、土の記。少し呆けてきた老人の、農作業の日々。上巻同様に過去の思い出と現在の農作業で老人の意識はいったりきたりしているが、下巻はその現在部分が頼りなくなっている。昨日会った人のことを忘れ、娘の再婚を忘れ、…。小説の主人公ではない、普通の人の人生を辿った気分。読書経験値が上がった気がします。
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作り手の慈しみに支えられて,稲の育っていく様子が伝わってきます.鯰の花子,トイプードルのもも,茶畑やカエルや鳥たち,大宇陀の山ふもとの村に生きる生命全てが日常の中で息づいて,また,伊佐夫の頭の中の行ったり戻ったりする思考や彼を取り巻く人々の交流,とりわけ16年前に起こった妻の交通...
作り手の慈しみに支えられて,稲の育っていく様子が伝わってきます.鯰の花子,トイプードルのもも,茶畑やカエルや鳥たち,大宇陀の山ふもとの村に生きる生命全てが日常の中で息づいて,また,伊佐夫の頭の中の行ったり戻ったりする思考や彼を取り巻く人々の交流,とりわけ16年前に起こった妻の交通事故の顛末などが,脈略なく述べられて,こんなふうに生きていくのだなあとしみじみ感じた.そしての台風.人生です.
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奈良が舞台なので、河瀨直美監督で映画を製作したら良い作品ができそうだなと思いながら読み進めたのですが、最後の数行で映画は無理だと感じました。まさかこんな結末を迎えようとは。なるほど、最後にきて、土留め柵やコンクリート擁壁や法枠工、さらには急傾斜地崩壊危険箇所などの言葉が結末を暗示していたのですね。それはそうと、伊佐夫の回想であったり、地の文が割り込んできたり、時制が行ったり来たりしたり。高村女史の文体は健在でしたが、作風は初期の頃とはまったく変わってしまいました。定年後は、このような暮らしもありかな。
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稲刈りも終わった12月。 自分で夫婦石を作ったり実家の兄が亡くなったりしているうちに、3・11。海外にいる家族へ伝わった映像の凄まじさを、陽子のヒステリックな口調から窺われる。 ちょいちょい回想される娘時代のエキセントリックな陽子像に親近感を感じるのは気のせいか?w そんな陽子も正反対の男と再婚し、娘の彩子とも意気投合したようで、昭代の事故の真相は匂わせで終わる気配。ヤレヤレと肩の荷も降りたと思ったら、未曾有の台風。え、このラストって、まさかまさか⁈
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