ゴリオ爺さん の商品レビュー
なんという悲劇、いや喜劇か。こんな日常にはとても我慢できないだろうな。金、金、金の生む人間喜劇というか、パリという国が生み出したものなのか…いや、こんなことは世界のどこにだってあるよな。日本で言えば、始まったばかりの大河の時代なんかその最たるものなんだろうな。 まぁでも、ゴリオ爺...
なんという悲劇、いや喜劇か。こんな日常にはとても我慢できないだろうな。金、金、金の生む人間喜劇というか、パリという国が生み出したものなのか…いや、こんなことは世界のどこにだってあるよな。日本で言えば、始まったばかりの大河の時代なんかその最たるものなんだろうな。 まぁでも、ゴリオ爺さんの奥さんはいつどこでいなくなったんだろう…
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「ああ!なんという!レストーめ…わたしがいるんだ、そうはさせるか!やつの行く手に立ちはだかってやるからな。…そうだ、やつには後継者が必要だ!よかろう、よかろう。わたしがやつの息子をさらってやろう。しまった、それはわたしの孫ではないか。」ココ、読み返すたびにいつも吹いてしまいます。
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バルザックを一度読んでみたくて選んだ。 長い…!社交界デビューや逮捕劇のくだりは面白く読んだ。あと当時(ナポレオン失脚後の王政復古時代)の安い下宿の様子も興味深かった。後半、金の亡者と成り果てた娘たちがゴリオ爺さんにたかる様子が辛くて、最後は流し読み…。 もう少し短い話でまたバルザックに挑戦してみたい。
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面白かったが、キャラクターの描かれ方が単純で、現実的でないような気がしたため、感情を没入させることはできなかった。でも「野心」とか「虚栄心」とか小説によく出てくるテーマについて色々と考察の深まるお話で、読み切ってよかったと思う。
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19世紀パリの貴族社会と経済的下層社会の様子がつぶさに窺えた。主人公の学生ラスティニャックは、社交界デビューを果たしつつも同じアパートに住むゴリオ爺さんの二人の娘への献身的な愛に心を動かされていく。ゴリオ爺さんの行動は自身も行き過ぎが娘たちを駄目にしたと反省もしているが、他の生...
19世紀パリの貴族社会と経済的下層社会の様子がつぶさに窺えた。主人公の学生ラスティニャックは、社交界デビューを果たしつつも同じアパートに住むゴリオ爺さんの二人の娘への献身的な愛に心を動かされていく。ゴリオ爺さんの行動は自身も行き過ぎが娘たちを駄目にしたと反省もしているが、他の生き方もできなかったように思える。親子、家族の問題はどこの国でも変わらないであろう。肉親がいなくなる前に後悔のない接し方が大切だ。2022.11.29
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19世紀パリ社交界を舞台に描かれるフランス文学の傑作。モームの世界十大小説の一つ。光文社古典新訳文庫版。 人間描写力すごすぎワラタ。いや人間観察力ともいうべきか、細密な心理や行動の描写が逐一的を得ていて圧倒される。段落などの区切りがなく長い文章が延々と続くため、序盤の間、舞台設...
19世紀パリ社交界を舞台に描かれるフランス文学の傑作。モームの世界十大小説の一つ。光文社古典新訳文庫版。 人間描写力すごすぎワラタ。いや人間観察力ともいうべきか、細密な心理や行動の描写が逐一的を得ていて圧倒される。段落などの区切りがなく長い文章が延々と続くため、序盤の間、舞台設定をつかむまではやや読みにくい。しかし謎解きのようになっているゴリオ爺さんの実像が見えてくる第一章の後半ごろには、込み入った人間関係の興味深さに引き込まれていた。その後物語は加速に加速を重ね、第四章あたりには、もう読みきらなければ本を閉じられないというほど夢中にさせてくれた。 しかし壮絶で切ない話だ。社交界という華やかかつ恐ろしい世界で、人間の醜さと愚かさを骨の髄まで見せつけられる。純真で好感の持てる青年・ラスティニャックの人格形成の顛末が巧みでその後が気になるし、もう一人の主人公級人物ヴォートランは前日譚も後日譚も読みたくなる。そのあたりがうまいつくりで、本作はバルザックの書いた《人間喜劇》という膨大な物語群の入口だという。彼らは主人公だったり脇役だったりでいくつもの他作品に登場するらしい。 社交界の泥沼で人間性を貶めてしまったせいなのか、行き過ぎた父性愛が罪作りだったのか、二人の女性の姿が読者の怒りを誘う。だがどちらが悪いと言い切れるほど真相は単純ではなかった。最後の彼の独白の叫びが愛憎の複雑さを呈していてすさまじい。これが古典として残る作品のすごさかと恐れ入った。 個人的には、おとなしいあの女性のその後が一番気になるのだが……。
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父性愛の極地 レアリスム小説のはしり。ここから20世紀小説は「本当らしさ」からの脱却を求め始める。 映画もあるらしいから観てみたい。
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2019.7.10付け朝日新聞掲載の「マンガ時評」で学習院大学教授の中条省平さんは、あの『闇金ウシジマくん』のことを「社会の諸相を細密で巨大な壁画のように描きだす現代日本のバルザック」と例えている。「ウシジマくん」に関する文章にいきなりバルザックが出てきたので、とても驚いた。 ...
2019.7.10付け朝日新聞掲載の「マンガ時評」で学習院大学教授の中条省平さんは、あの『闇金ウシジマくん』のことを「社会の諸相を細密で巨大な壁画のように描きだす現代日本のバルザック」と例えている。「ウシジマくん」に関する文章にいきなりバルザックが出てきたので、とても驚いた。 中条教授はさらに書く-「ウシジマくんは、そうした人々の運命を震えがくるほどのスリルで描きだしながら、彼らを生みだす時代の残酷な力、権力関係のメカニズム、そして金と金融社会の病理を抉りだします」と。 私は冒頭の「ウシジマくん」を「ゴリオ爺さん」へと置き換えてみた。すると違和感がまったくないではないか。 もちろん時代背景はまったく異なるので、「パチンコにはまり闇金に手を出す人」や「イベントサークルであぶく銭を追う人」をそのままバルザック作品に当てはめることはできない。しかし前もって「ウシジマくん」を読みその世界観に慣れておけば、「ゴリオ爺さん」の読解をかなり手助けしてくれるはず、とまで私は思っている。 実際に「ゴリオ爺さん」の登場人物をウシジマ的な視点から観察してみよう。 主人公のラスティニャックは、田舎貴族出だがその境遇に満足できず、大都会パリの貴族社会の一員に加わることを夢見る。しかし実際のパリ社交界は権謀術数が渦巻き、たとえ人間の魂の誠実さが踏みにじられようとも自己の欲望を吐き出すことを躊躇わない魑魅魍魎が蠢いており、その様子に一方で嫌悪を催しながら、それでもその有象無象の中に身を投じ、成り上がりの栄光に向かって突き進もうとする。 これは「ウシジマくん」で、特にこれといった取柄もなかった一青年が、読者モデル雑誌に取り上げられたことをきっかけにファッション界のカリスマとかオーラとかを際限なく求めていく「楽園くん」のエピソードと重なる部分はないだろうか? ほかの登場人物も同様に見ていくと、「ゴリオ爺さん」と「ウシジマくん」に共通のキーワードがあることに気づいた。それは《欲望》だ。 欲望というキーワードから照射するようにそれぞれの登場人物を見ていくと、たしかにゴリオの2人の娘をはじめとしたパリの貴族たち、アパートの住民たち、ヴォートラン、そしてゴリオまでもが《欲望》のるつぼに落ち込んだかのように描かれている。 ここで「ちょっと待って。ゴリオ爺さんだけは欲望のるつぼに落ちていないんじゃないの?」と言う人がいるかもしれない。しかし私はこう考える。 ゴリオは悲しいかな2人の娘に冷たくあしらわれ続ける。しかし彼はいくらそうされても(いや逆にそうされるがゆえに)娘への愛情をさらに深めるべく、自己の生活を切り詰め貧困化することがすなわち娘たちへの愛情の成就の証なのだというように見える。これは一種の被虐的な欲望の体現ではないか。 バルザック以前は、人間は神に見られているという一般観念のもと、文学作品は人間の理想や清い魂のあり方を求めていたと思う。しかしバルザックはその逆をいった。欲望にまみれて堕ちた人間の生き方にこそ、真実の姿を見出したのだ。そして欲望がもたらす不可避な現実(人はそれを運命という)に抗えない人間の悲しみを作家として追求したのだ。 善と悪という単純な二元論を超越した人間の真のありようを描こうとする視点。そして自分の欲望に翻弄される人間のおかしさと悲しみ。それはすなわちこの作品と闇金ウシジマくんとに共通して見られるものだ。 最後に、蛇足かもしれないけれど… 昭和の特撮TV番組コンドールマンでは、ゼニクレイジーなどのモンスターを生みだしたのは悪の組織ではなくて実は「人間の心」だった。 「ゴリオ爺さん」がバルザックによって世に出された数十年後には、さらにドストエフスキーの数々の長編作品によって人間の欲望に潜む複雑な裏面性が示された。 そして2021年の日本では、皇室の令嬢を巻き込んで人間の欲望が自己増殖していく様子(としか私には見えない)が世間を賑やかした。 いつの世でも人間の根源はすなわち《欲望》なのかと考えざるを得ない。
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フランス文学の傑作とされているゴリオ爺さんだ。一回読んだだけではなんのことやらよくわからなかった。 ただ、この小説はゴリオ爺さんと法学を学ぶ学生ラスティニャックの関係性を書いた物語と捉えることもできるのではないかと感じた。 パリの社交界に憧れるラスニャック。パリの社交界に身を置...
フランス文学の傑作とされているゴリオ爺さんだ。一回読んだだけではなんのことやらよくわからなかった。 ただ、この小説はゴリオ爺さんと法学を学ぶ学生ラスティニャックの関係性を書いた物語と捉えることもできるのではないかと感じた。 パリの社交界に憧れるラスニャック。パリの社交界に身を置く娘にひたすら尽くそうとするゴリオ爺さん。注目すべきはこのメイン登場人物の二人が、「どちらも自分は現在社交界に身を置いていない」という点にあると考える。社交界に身を置いていない者を通じて社交界の有り様、そこにいる人間の様子を描き出した小説であるといえる。
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