流星ひとつ の商品レビュー
この間の宇多田ヒカルのライブが本当に良かった、というか、ああ人間なんだな、と思えたので、その余韻が残るうちに、と思ってやっと手に取った 読みながら最初に思ったことは、沢木耕太郎の私的な感情から発された言葉に、藤圭子は傷つかなかっただろうかということだった 藤圭子が語った言葉の重...
この間の宇多田ヒカルのライブが本当に良かった、というか、ああ人間なんだな、と思えたので、その余韻が残るうちに、と思ってやっと手に取った 読みながら最初に思ったことは、沢木耕太郎の私的な感情から発された言葉に、藤圭子は傷つかなかっただろうかということだった 藤圭子が語った言葉の重みが、ストレートに伝わっていない箇所があるような気がしたから でも、読み終わって今思うこと、あのやりとりは、それほど沢木耕太郎に藤圭子へのいちインタビュアーとして以上の興味や思い入れがあったということの表れで、そんな風に私情を挟む人を相手にしてこそ、素直に話せることもあったのかな、と 全部推測なのですが! 見ず知らずの人の幸せを、何の意味もないとわかっているのに、無責任にも願いたくなるような本だった 追記 解説を読んだら、良いインタビューってまさに多少の厳しさというか、対決を含んだものらしい。他人とのコミュニケーションってやっぱりそうなんだろうなと改めて思わされる、その難しさも同時に
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引退前の藤圭子に沢木耕太郎が酒を酌み交わしながら取材したインタビュー形式の小説。ずっとお蔵入りしていたけれど、藤圭子が飛び降り自殺したことを受け、様々な憶測記事が溢れることを憂いて、本当の彼女の姿を伝えようと出版したらしい。 宇多田ヒカルの母としてしか知らなかったけれど、当時...
引退前の藤圭子に沢木耕太郎が酒を酌み交わしながら取材したインタビュー形式の小説。ずっとお蔵入りしていたけれど、藤圭子が飛び降り自殺したことを受け、様々な憶測記事が溢れることを憂いて、本当の彼女の姿を伝えようと出版したらしい。 宇多田ヒカルの母としてしか知らなかったけれど、当時は相当な売れっ子だったようだ。 圭子の夢は夜ひらく、とかYouTubeでみても、10代の子に何を唄わせてるんだ、と思うくらいだったけど、背景が見えてくると、なんかすげえ歌手だったのかも、と思えてくる。 絶頂期に喉のポリープを除去してしまったために、デビュー当時の喉に引っかかるような声が失われてしまったらしい(きれいに発声できるようになってしまった)、ほとんどの人は変化に気づかなかったようだが、こどもの頃から聴いていた目が見えない母だけは「圭子の歌真似をしているのは誰かしら」とすぐに気づいたらしい。 藤圭子の歌、良い音源で聴いてみたくなった。
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昭和の歌姫(怨歌歌手)として、18才でデビュ-した藤圭子(本名:宇多田純子.旧姓:阿部純子)が、28才で芸能界を去る決意をした。 その年(1979)年の秋、「ホテル・ニュ-オ-タニ」40階のバ-で、ウォッカ・トニック(火酒)のグラスを傾けながら、ルポライタ-・沢木耕太郎(31才)がインタビュ-を試みた。彼女の生立ち、父親のDV、デビュ-前後の生活、結婚とスピ-ド離婚、歌手をやめ何処へ向かうのか、などの問いかけに、純朴だった彼女の声の記録を、聞き手と語り手の「会話」だけで綴った異色のノンフィクション。〝喉の手術が、あたしの人生を変えたと思う...声が変わってしまったんだよ。全く違う声になっちゃったの...一生懸命歌ってきたから、あたしのいいものは、出し尽くしたと思うんだ...それでも歌うことはできるけど、燃えカスの、余韻で生きていくことになっちゃう。そんなのは嫌だよ・・・それもこれも、みんなワーァッと一時に押し寄せてきちゃたんだよね。全てが虚しくなって・・・もう、どうでもいいっていうような気持になって・・・ぼんやり、死のうかな、なんて思うようになりはじめて・・・〟娘・宇多田ヒカルを世に出し、62才での自殺を知るに及んで、そこはかとない侘しさと寂寥感に苛まれる故人の魂の声となった。
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熟成された良質のお酒を飲んだようなインタビュー。1979年、沢木耕太郎31歳。藤圭子28歳。 藤圭子という天才的な歌姫の魂に触れる。たった1年で、頂上までのぼりつめて、その頂上に到達した時に、何もなかった。結婚、離婚。喉の手術を受けて、藤圭子でなくなったと藤圭子が思った。引退を...
熟成された良質のお酒を飲んだようなインタビュー。1979年、沢木耕太郎31歳。藤圭子28歳。 藤圭子という天才的な歌姫の魂に触れる。たった1年で、頂上までのぼりつめて、その頂上に到達した時に、何もなかった。結婚、離婚。喉の手術を受けて、藤圭子でなくなったと藤圭子が思った。引退を決意して、ここからどこにいくのか。まさに、流れ星の如くの人生だった。 ウォッカ・トニックを飲んでいる藤圭子の言葉を自然にひきづり出していく。 意図的に作られた藤圭子、そしてマスコミを通じての藤圭子のイメージ。虚像が、藤圭子の言葉で、暴かれ、本当の藤圭子を掘り出されていく。実に高度なインタビュー技術。それを二人の会話だけで構成する。虚と実の間に揺れ動く、藤圭子。 「恥ずかしい」という言葉が印象的だった。藤圭子でなくなったことで、恥ずかしいのだ。ボロボロになってもやるべきだいう沢木耕太郎に、「それはできない。『敗れざる者たち』で書いたでしょう。」と反論する。知的で、クレバーな藤圭子が飄然と登場する。藤圭子は、メタ認識できている。 「無心だからよかったんだよ。無心だったから、ああいう歌が歌えたんだよ。いろんなことがわかり出したら、もうダメだった」と藤圭子はいう。たぶん苦痛に満ちた顔で語ったと思う。しかし、沢木耕太郎は、一才、そのことを語らない。藤圭子の言葉だけで、藤圭子を語らせようとする。 言霊があると言われるが、この本を読みながら、藤圭子の言霊を探りあてていく。インタビューにはセンスがいると思ったが、さらにそれを編集するセンスもいるのだね。読みながら、藤圭子の言葉を聞いているようで、いい体験をさせてもらった。 女ですもの 恋をする 女ですもの 夢に酔う 女ですもの ただ一人 女ですもの 生きて行く 藤圭子なんだよね。「わたし、男運が悪い。」前川清は日本一の歌手。しかし、一緒に生活するとは違う。別れても、前川清の歌が素敵だという藤圭子の歌に対する想いがなんとも言えない。憧れと生活は違うのだ。そして、父親に暴力を振るわれる家庭内暴力を小さい時から受けていた。何よりも母親がかわいそうだった。だから、お金ができて母親が離婚できてよかったという。それが母親孝行だった。 ここは東京 ネオン町 ここは東京 なみだ町 ここは東京 なにもかも ここは東京 嘘の町 藤圭子は、この歌で、4つの東京の物語が歌えるという。すごい。そんなふうに思えなかった。言葉を自分のものとして、自分の心で歌い上げる。 歌を歌えなくなった、カナリアはどこに行ったらいいのだろうか。いい作品だった。
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藤圭子は、よくここまで赤裸々に自らの半生を、しかも他人事のように語ったなと思う。作者が話の節目ごとに一杯目の火酒、二杯目の火酒としたのも頷けるが、作者と藤圭子の信頼関係が偲ばれる。 印象に残るのは、父、母との関係。酷い扱いをした父親を、憎しみを抱きながらも見捨てられない藤圭子...
藤圭子は、よくここまで赤裸々に自らの半生を、しかも他人事のように語ったなと思う。作者が話の節目ごとに一杯目の火酒、二杯目の火酒としたのも頷けるが、作者と藤圭子の信頼関係が偲ばれる。 印象に残るのは、父、母との関係。酷い扱いをした父親を、憎しみを抱きながらも見捨てられない藤圭子に、憎めない人間味を感じる。 前夫で歌手の前川清が、自らの旅番組で、たまに藤圭子のことを話題にしている。一人の女性を幸せにできなかった負い目を感じているのかなとも思う。 宇多田ヒカルの母としてだけではなく、一世を風靡した歌手 藤圭子を知っている世代の者として、心に沁みる一冊です。
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沢木耕太郎の本はいくつか読んでいるが、儚い浪漫を感じた一作。正直藤圭子氏自体は深く存じ上げていないが、とても繊細で相当に寂しい人だったのではと思わずにいられない。沢木耕太郎による意図的なのかわからない会話形式がより彼女の寂しさを浮き彫りにさせる。
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「沢木耕太郎」のノンフィクション作品『流星ひとつ』を読みました。 『凍』に続き、「沢木耕太郎」作品です。 -----story------------- 「藤圭子」と「沢木耕太郎」、二つの若い才能が煌めくように邂逅した奇跡のダイアローグ。 何もなかった、あたしの頂上には何も...
「沢木耕太郎」のノンフィクション作品『流星ひとつ』を読みました。 『凍』に続き、「沢木耕太郎」作品です。 -----story------------- 「藤圭子」と「沢木耕太郎」、二つの若い才能が煌めくように邂逅した奇跡のダイアローグ。 何もなかった、あたしの頂上には何もなかった――。 1979年、28歳で芸能界を去る決意をした歌姫「藤圭子」に、「沢木耕太郎」がインタヴューを試みた。 なぜ歌を捨てるのか。 歌をやめて、どこへ向かおうというのか。 近づいては離れ、離れては近づく二つの肉声。 火の酒のように澄み、烈しく美しい魂は何を語ったのか。 聞き手と語り手の「会話」だけで紡がれた、異形のノンフィクション。 ----------------------- 1979年(昭和54年)秋、引退を発表した「藤圭子」に対して行われた、「沢木耕太郎」のインタビューをまとめた作品… 本書の大きな特徴はダイアローグだけで構成されていること、、、 聞き手である「沢木耕太郎」(当時31歳)と「藤圭子」(当時28歳)… その二人の間で交わされた言葉のやりとりだけで貫かれているんですよね。 実際は何度かの対話を、一夜の出来事として構成し直しているようですね… ホテル・ニューオータニ40階のバー「バルゴー」でウォッカ・トニックを飲みながらのインタビュー、ウォッカ・トニックを飲み進める毎に、『一杯目の火酒』、『二杯目の火酒』… と章が変わっていき、八杯までグラスを重ねていく構成も気に入りましたね、、、 会話での二人の距離感は、「沢木耕太郎」のインタビューの巧さだけでなく、恋愛関係があったと噂された二人の信頼関係によるものだと感じましたね… 人間関係が透けて見えるというか、滲み出ている感じがする内容でしたね。 ■一杯目の火酒 ■二杯目の火酒 ■三杯目の火酒 ■四杯目の火酒 ■五杯目の火酒 ■六杯目の火酒 ■七杯目の火酒 ■最後の火酒 ■後記 ■解説 梯久美子 ホテルのバーでウォッカ・トニックの杯を重ねながら続けられる二人の対話… 一杯目では、ぎこちない印象だった二人の対話が、杯を重ねるほど滑らかになり、四杯目くらいからは親しい二人が、飲みながらおしゃべりしているような雰囲気までに打ち解けていき、最後の杯では、インタビューの失敗を祝して盛大に乾杯できるくらいの間柄にまで発展する様が、全く解説の無いダイアローグだけの構成でも十分伝わってきましたね、、、 「藤圭子」って、子どもの頃にテレビで観てハスキーボイスで暗い曲("圭子の夢は夜ひらく"のイメージが強いのかも)を歌っていたという記憶はあるものの、演歌という興味のないジャンルの歌い手だったので、あまり印象に残っておらず、その後は「宇多田ヒカル」の母親ということで再びマスコミから注目を浴び、2013年(平成25年)に自死した… くらいのことしか、知らなったのですが、聞き手である「沢木耕太郎」の話を引き出す巧さもあり、本書では「藤圭子」が自分のことをのびのびと語っているので、その人物像の一部を垣間見ることができました。 「沢木耕太郎」って、本人も気付いていなかったことや意識していなかったこと、これまでに話していなかったことを引きだすのが、ホントに巧いんだと思いますね… しかも、それを活き活きとしゃべらせるんだもんなぁ、、、 そして、貧しかった過去や、歌に対する拘り・価値観、恋愛観、家族(特に母親)への思い等々を読んでいると(感覚的には読んでいるというよりもインタビューを聞いている印象ですが…)、知らず知らずのうちに「藤圭子」に好感を持っていましたね… 流れ星のように消え去った「藤圭子」のことを少しは知れたかな と思います。
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2013年に自死したかつての演歌スター、藤圭子が、若くして引退を決めた1979年、同じく若かったルポライター沢木耕太郎が彼女にインタビューした時の会話をそのまま再現したもの。 ほかの誰にも真似できない、「対談」でも「インタビュー」でもないような意欲作。しかしこの素晴らしい原稿は30年も封印されていた。沢木氏は藤圭子が自殺したとき、週刊誌などとは違う視点でありのままの彼女の姿をとどめたこの原稿を発表することにした。 私は芸能界にも演歌にも藤圭子にもまったく興味はなかったが、このたった一夜の沢木耕太郎と藤圭子とのやりとりを読んで、潔く生きた一人の女性と深く「出会った」気がする。彼女の生い立ちも興味深い。当時は、週刊誌などが興味本位で藤圭子の両親や彼女の生い立ちについて書きたてた。その中には差別的なものもあっただろう。そんな中で傷つき、メディアに対して完全に心を閉ざした若き彼女の心に、沢木氏は「聞き手」として、「書き手」として、物語の紡ぎ手として、なんとも巧みに入り込んでいく。彼女に同調し、傾聴し、共感しながらも、時には「それは違う」とか、「なぜ?なぜ?」と食い下がったり、本当にうまい。 ただのインタビューではない、素晴らしい一冊。
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優れたインタヴュアーは、相手さえ知らなかったこと、意識していなかったことをしゃべってもらうんだ。相手がしゃべろうと用意していたこと以外の答えを誘い出す。そういった質問をして、そういった答えを引き出すのが一流のインタヴュアーと言える。 本書は、本当にインタビューだけで構成されてい...
優れたインタヴュアーは、相手さえ知らなかったこと、意識していなかったことをしゃべってもらうんだ。相手がしゃべろうと用意していたこと以外の答えを誘い出す。そういった質問をして、そういった答えを引き出すのが一流のインタヴュアーと言える。 本書は、本当にインタビューだけで構成されている。会話だけなのだ。それでも、ありありと藤圭子の表情などが思い浮かぶようだ。語り口調も、藤圭子の素が出ているようだ。本書を読むと、藤圭子の歌が聴きたくなります。手術前の。
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テレビで見た藤圭子は、お人形さんのように綺麗で無表情で、その独特な歌声も相まって、小さい頃の私には異様に思えたこともあった。 この本の中の藤圭子は、表情豊かで感受性が強く、魅力的な女性。彼女が彼女らしく生きていた証である素敵な一冊。
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