強父論 の商品レビュー
これぞ、The 亭主関白って感じ。 この時代だから許された(みんなそんなもんだと思っていた)んだろうけど、今だったら、DVで訴えられていてもおかしくない。よく耐えていたなぁ。
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TVタックル等でおなじみの阿川佐和子さんの父である阿川弘之氏について、娘の目線から書かれた本。私は阿川弘之氏の作品を読んだこともなく、名前を聞いたことがあるという程度なので、作家としての弘之氏については何も知らないが、父としての弘之氏はかなりの暴君だったようで、家族がおとなしくしているのをいいことに好き放題やって、時には暴力もふるってというかなりの悪父ぶりだったことが本書からうかがえる。子どもの頃から父が亡くなる間際まで、その暴君ぶりに悩まされ、泣かされ続けた娘として、相当恨んでいてもおかしくはなさそうなものだが、佐和子氏の文章からは、悪口だらけであるものの、深い愛情や尊敬の念が根底にあるのがよくわかる。もちろん、表には言えないような感情もあるのだろうが、親子の形も人それぞれなのであろう。本としては読みやすく、クスっと笑える、とてもいい読み物である。
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まず「キョウフ論」って…阿川さんがつけたのじゃないだろうなと。それとも「恐父論」じゃあんまりだと思ったか…(笑) 論とついていますけどもまぁ、エッセイですよね。 阿川さん流の供養の一つとも言えるような気も。 こんなお父さんだったら大変だろうなぁ、自分なら耐えられないなぁと思いつつも行間から父娘のやり取りの何とも言えない愛情が伝わってきます。 お父さんは昔の男だしちょっと男尊女卑も入っていて、愛情がないわけじゃなくてその表現というのができない人だったのじゃないかなと感じましたね。 本来の親子の愛情表現なんて、ドラマで見るようないかにもなものじゃなくてもっとさらっとした日常的なものなのじゃないかなと思うのです。その意味でも阿川さんの文章には阿川父娘なりの愛情がちゃんと現われていると感じるのです。 娘が文章を書きだした時、父がそのことには一切反対をせずにその文章を推敲し続けた、というところに私はグッときましたね。 作家として、たとえ娘であってもおかしな文章を出されてはたまらないという気持ちもこのお父さんならあったかもしれませんが、自分と同じような文筆の道を歩みだしたことがきっとまずは嬉しかったのだろうなと思うのです。 だから少しでもいいものを、自分も納得のできるものを娘が文章を出すならそういうものを世に出してやりたいという親心があったのではと思います。 思い返したとき、良くしてもらったことや褒められたことよりも、叱られたり嫌な思いをした時の方をより多く鮮明に思い出してしまう。けれどもそれがたまらなく懐かしいというのがいいだけ大人になってから親を亡くした子供の気持ち、という気もします。
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他所様の父娘の関係に興味があって読んでみた。 作家のお父様は家庭内では絶対君主で、さぞかし妻子は大変だったろうなぁと推測される。 佐和子さんも辟易しながらも、やっぱりそこには親子の親愛があったんだなぁと。 あとがきで、そんなに大変な父親の方が、思い出すことがいっぱいでいいと言わ...
他所様の父娘の関係に興味があって読んでみた。 作家のお父様は家庭内では絶対君主で、さぞかし妻子は大変だったろうなぁと推測される。 佐和子さんも辟易しながらも、やっぱりそこには親子の親愛があったんだなぁと。 あとがきで、そんなに大変な父親の方が、思い出すことがいっぱいでいいと言われた話があり、タイプは全く違えど、かなり個性的な父を持つ身としては、まぁそうなのかもなーと。 それも後になって思う事だろうけど。
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まさに同じタイプの父親だったので、そうそう、と思いながら読んだ。 ・・・下記、印象的だった部分・・・ ごく自然に身体全体が衰弱していくという、生物本来のあるべき終末の経過をまっとうされた 社長秘書モードで応えつつ イタリア人は、おいしいものが食べられなくなったら生きている意味がないと考える 食べたい、おいしいという感情は、モーゼの十戒のごとく、細い食道を広げるのである。 文書指導 →「だった」が3回続いてる。機関銃じゃあるまいし。 →流行りの形容詞は使わないようにしなさい、すぐに文章が死ぬ。 →知ったかぶりをしたような文を書くなよ。いつも、志賀先生の目に止まるかもしれないというくらいの気持で書け 「とても」はとてもきれい、とてもおいしい ではなく、とてもやってられない、とてもたまらないなどの否定を導く副詞として使われることが本来多い ぜんぜんは、夏目漱石も森鴎外も、ぜんぜんの下に否定形を持ってきていない マッシュルームのニンニク炒め →オリーブオイルひく →しばらくマッシュルーム炒める →すりおろしたニンニクを入れ、ブランデーをふりかける →日がついたら蓋をして火を止める ビールの注ぎ方 →グラスの口からできるだけ離し、高い位置から注ぐ →泡でいっぱいになったらしばらく待つ →泡が4分の1くらいになったら、グラスの口からそっと、ビールを注ぎ入れる
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やはり父親を題材にしたエッセイは痛快!そして、そこにはそこはかとない愛情を感じる。 素材=父親の阿川弘之氏逝去によって、こうしたエッセイがもう読めなくなるのだろうか、と思うと、ちと淋しい。
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強父と恐怖をかけたものと思われる。強父の正当化を期待したが違った。 幸せなお父さんだったと思う。周りにどう思われているかを全く無視できたんだろう。何かしらの発達障害を疑わせるが、時代が診断を許さなかったろう。
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このお父さん、うちの祖父と似た面があったようで発売後すぐ母が買って来て文字通り泣いたり笑ったりしながら読んでいました。 そしてせっかくだから私もと読んで見たのですがこれ大変。 本当に泣けて笑えて泣ける。 外に持ってって読んじゃダメなやつです。 私には特に横暴な姿を見せなかっ...
このお父さん、うちの祖父と似た面があったようで発売後すぐ母が買って来て文字通り泣いたり笑ったりしながら読んでいました。 そしてせっかくだから私もと読んで見たのですがこれ大変。 本当に泣けて笑えて泣ける。 外に持ってって読んじゃダメなやつです。 私には特に横暴な姿を見せなかった祖父だけどなんだか全てが祖父の顔で想像できました。 ちょうどこれを読んだ日に観た映画ではないけれど、亡くなってから初めてその人を想うこともあるのだと最近感じます。
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佐和子さんの父・弘之氏が、 家庭において聞きしに勝る暴君であったらしいことは 佐和子さんのエッセイに何度も登場するので 知っていたつもりでした。 ・・・が、違う!弘之氏はそんな生半可な暴君などではなかったのだ。 もうその傍若無人ぶりは、もう人でなしレベルと言ってもいいほど。 こん...
佐和子さんの父・弘之氏が、 家庭において聞きしに勝る暴君であったらしいことは 佐和子さんのエッセイに何度も登場するので 知っていたつもりでした。 ・・・が、違う!弘之氏はそんな生半可な暴君などではなかったのだ。 もうその傍若無人ぶりは、もう人でなしレベルと言ってもいいほど。 こんなに無抵抗な女子供に向かって、徹底的に怒鳴り散らし 時には蹴りまで入れて怒りまくる。 もはや、これは虐待なのでは?! ・・・などと思いながらふと我に返ると そうやって育ってきた佐和子さんは、 聡明で健やかそうで、とても上品なご婦人なのである。 これはいったいどういうことなのか?! 戸惑いを覚えつつ最後まで読み進めると、 うっすらとだけど確実に二人の間に築かれた 深い信頼と愛情が透けて見えてくるのだ。 怒鳴られ、泣かされ、蹴散らされても伝わる愛情がこの世にはあるのか。 親子というのは本当に不思議なものなんだな。
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日本の古き良き時代の「父」のあり方、かどうかは色々な議論があると思うけど、ある時代の「父」のあり方をとってもうまく表現した本だと思います。「父」をほとんど褒めてないように見えて、でもところどろでは、その素晴らしさを語っています。 それにしても阿川佐和子氏は文才があるなぁ。そして、...
日本の古き良き時代の「父」のあり方、かどうかは色々な議論があると思うけど、ある時代の「父」のあり方をとってもうまく表現した本だと思います。「父」をほとんど褒めてないように見えて、でもところどろでは、その素晴らしさを語っています。 それにしても阿川佐和子氏は文才があるなぁ。そして、そのお兄様を良く知るだけに、ご家庭の中の話とても興味深く読みました。 自分が祖父と見ていて、何てわがままな人だろう、と思ってたけれども、この本読んで、そんなにひどくないかもな、と思うようになりました。
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