乱談のセレンディピティ の商品レビュー
乱談といえば宴席になってしまうが、酒が入るとどうにも記憶が曖昧なので、その恩恵を感じる事などほとんどなかった。随分貴重な時間をアルコールで気化させてしまったものだ。それはそれで、悔いはないが。。 そうすると、やはり下戸たちの茶話会が最強なんじゃないだろうか。談話室滝沢は2005年...
乱談といえば宴席になってしまうが、酒が入るとどうにも記憶が曖昧なので、その恩恵を感じる事などほとんどなかった。随分貴重な時間をアルコールで気化させてしまったものだ。それはそれで、悔いはないが。。 そうすると、やはり下戸たちの茶話会が最強なんじゃないだろうか。談話室滝沢は2005年に閉店したそうだが、復活もありえるのでは。
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読書会の経験の有無、笑わせる講義、放談や思いつきを捨て置くのではなく漂わせておく余裕、プライベートなドグマ、調和的競争、などなど。今の自身の考え方との類似点や相違点、全くの新視点を見つけられて面白かった。自分の俯瞰的な位置付けを考えさせてくれる本に出会える歓びに感謝。こういう文章を新聞とかで(もちろん縦書きで!)毎日読めたらいいのにと思ってしまうのは贅沢すぎますか? 著者と出版業界の皆さん、よろしくっ!
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乱読も乱談もスケベ心をもって「何か得てやろう」 と力みすぎるとよくないみたいです 何気なく幅を広げる自由な語らいこそ 新しい発想が出やすいのでは ただの雑談になる場合もあるけど それはしょうがないと割り切り
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読了。読みやすかった。一気に読んだ。本を読んでるだけでは、ダメで、人と交わり話をしようとのことのようである。納得できる。でも実践するのは、タイミングなどがあって難しいかなと思った。ラジオなどでしゃべっているのが相当するのではと思った。
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「乱談のセレンディピティ」 外山滋比古のエッセイ集である。 3人集まって雑談をすると思いがけないことを発見できるという(セレンディピティ)。必ずしも3人でなくても良いが2人ではダメで、多くても数人までのようである。それもなるべく分野の少し違う人がいいと言うことである。 確かに自由...
「乱談のセレンディピティ」 外山滋比古のエッセイ集である。 3人集まって雑談をすると思いがけないことを発見できるという(セレンディピティ)。必ずしも3人でなくても良いが2人ではダメで、多くても数人までのようである。それもなるべく分野の少し違う人がいいと言うことである。 確かに自由闊達な異業種交流はいい刺激になるだろうし、新しいことが生まれるかも知れない。あまり狭い世界に閉じこもっていては、ろくなことはないだろう。 しかし、乱談が知的な会話にまでたどり着くかというとこれがまた難しい。趣味や興味が近くないと話も弾まないだろうし、我々凡人はつまらないことを話して終わるだけかも知れない。 「ウサギとかけっこをするカメがいるだろうか」というウサギとカメの競争の話から、攻撃的競走から調和的競走の考え方までたどり着くのはなかなか難しそうだ。
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専門の違う人たちとの何気ない雑談から、新しいものが生まれることがある。だから乱談をすすめるよという。ただ、ここでいう乱談は、知識人的な人たちのことを想定してるね。ははは。でも、人と話すことで目から鱗が落ちることはあるよね。
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昨日、漢字の本について書いたが、冒頭にまた漢字の話が出てきた。 日本人はありがたくないハンディを背負っている、と。漢字かな交じりのことである。 俳句のような文学は生まれたが、ニュートンのような人があらわれなかった、と。そうかなあ。 漢字は目で考えるものであり、耳をあまり問題...
昨日、漢字の本について書いたが、冒頭にまた漢字の話が出てきた。 日本人はありがたくないハンディを背負っている、と。漢字かな交じりのことである。 俳句のような文学は生まれたが、ニュートンのような人があらわれなかった、と。そうかなあ。 漢字は目で考えるものであり、耳をあまり問題にしない。目で考える人は孤独を好む。一人で考える。一人で考えるから主観的になり、詩歌では優れたものを生み出したがドラマではさっぱりだ、と。すぐれた知能は聴覚的思考によって伸びると考えられる、と書ききってあるのだけど。 だから乱談だ、「これなら国際競争に耐えるのではないか、とひそかに自負している」なんて書いてあって、先を読むのが嫌になった。 著者に「乱読のセレンディピティ」という本がある。だが、その本をだしてもモヤモヤしたそうだ。本の中から発見は生まれにくい、と。 ようがす、そこまでいうならもう読むのやめようかな、と思ったけど頑張った。けれどのめり込めなかった。ああしたらセレンディピティが起きるかも、でもいややっぱ起きないかも、と操られる。そもそもセレンディピティを期待してたらセレンディピティじゃないがな。
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話す事は、余分ことより容易であるように考えるのも、教育の作り上げた迷信である。何でも話せるわけではないが、文章にするよりはるかに多くの深いことを伝えることができる。
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セレンディピティとは「偶然とか予想外に発見や幸運をつかむ」というような意味。 乱談というのは著者の造語で、単純に言えば雑談やおしゃべりのようなもの。 つまり一見無駄のようなおしゃべりや雑談から新たな発見、気づきが生まれますよ、という話。 中身は結構大真面目だが砕けた文調なの...
セレンディピティとは「偶然とか予想外に発見や幸運をつかむ」というような意味。 乱談というのは著者の造語で、単純に言えば雑談やおしゃべりのようなもの。 つまり一見無駄のようなおしゃべりや雑談から新たな発見、気づきが生まれますよ、という話。 中身は結構大真面目だが砕けた文調なので読みやすくて面白かったです。
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セレンディピティとは「意図しない偶然の発見の事」。著者は前著「乱読のセレンディピティ」で、乱読をすることでセレンディピティが得られると主張したが、本書では、読書のような一方通行でそれを得ることは難しく、専門分野の異なる3人以上の人間の雑談がセレンディピティを生むとしている。 言わ...
セレンディピティとは「意図しない偶然の発見の事」。著者は前著「乱読のセレンディピティ」で、乱読をすることでセレンディピティが得られると主張したが、本書では、読書のような一方通行でそれを得ることは難しく、専門分野の異なる3人以上の人間の雑談がセレンディピティを生むとしている。 言われてみれば、自分も会社の昼食休憩時に自分も含めた3人でバカ話をしていると、思わぬ発見があったり、発見はないまでもストレス解消になったりと「乱談」の効用を実感していたことに気付いた。 著者は1923年生まれとの事だが、90歳を過ぎてもこのような発見ができることに驚愕。
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