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憲法の無意識 の商品レビュー

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9件のお客様レビュー

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2024/07/05

憲法九条は無意識の超自我である。アメリカに押し付けられたものでもなく、憲法九条は、天皇体制の護持を謳う一条とセットで検討されたが、マッカーサーにとっても重要なのは第一条であり、朝鮮戦争勃発時に九条の改定を迫ったほどだ。日本人にとっては、天皇自体が集合的無意識の象徴だとも言える。面...

憲法九条は無意識の超自我である。アメリカに押し付けられたものでもなく、憲法九条は、天皇体制の護持を謳う一条とセットで検討されたが、マッカーサーにとっても重要なのは第一条であり、朝鮮戦争勃発時に九条の改定を迫ったほどだ。日本人にとっては、天皇自体が集合的無意識の象徴だとも言える。面白い切り口だ。 ー 総選挙は争点が曖昧で投票率も低く、投票者に偏りもあるから集合的無意識としての世論を表すものにはなり得ない。国民投票ならば、何らかの操作や策動が可能であっても争点がハッキリしているから、無意識が前面に出る。 九条がリアルな問題になったのは1989年の湾岸戦争。イラクによるクウェートの侵略に対する中東への自衛隊派兵。この時は平和維持活動に徹したために国際社会に評価されず。2003年イラク戦争で再度派遣したが、正当性なく、帰国後に自衛隊が多数自殺。大衆にとっては、なんとなくの戦争恐怖から第九条に手をつけたくない心理が働くが、テクニカルな問題は、解釈論ですり抜けられ実質、建前ほどの意味はないばかりか揺らぎは矛盾と葛藤を齎す。 ー 徳川時代に天皇の存在は広く知られていなかった。つまり、明治維新までは、そもそも象徴天皇のようなもの。また、明治憲法にしたって自主的に作られたものだが、不平等条約撤廃を求めて外国を強く意識したつくり。憲法解釈により、天皇主権説も天皇機関説も成り立つ。 ー 1917年に美濃部達吉の天皇機関説は追放されたが、憲法が改定されたのではなく、解釈により天皇の神格化が正当化された。 憲法の条文に対する解釈のコモンセンスは時代の文脈で変化する。そこには大衆の無意識を宿した時の政権の運用が支持率の反映において、「多少は」見て取れる。つまり、世論や代議制が無意識の照射となるなら、憲法解釈にもその思いはある程度通用していくのだろうか。

Posted byブクログ

2023/10/14
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※このレビューにはネタバレを含みます

 『柄谷行人「力と交換様式」を読む』の読了後、交換様式Dは自らの意志では達成不可能なものである、しかし何もしなくてもよいわけではないという主張に、説得的な説明が不足していると感じていた。本書を読むことで、その行間を一定程度埋めることができた。  議論の出発は、人間の攻撃性を所与のものとするところにある。その攻撃性を自己に向けたとき「超自我=文化を形成する」(16頁)。この「自然の狡知」は無意識により生まれるのだから、交換様式Dは「自らの意志では達成不可能」としたのではないか。  また、歴史が示すように、ヘゲモニーは闘争によってのみ成立してきた。右の通り、人間の攻撃性はもはや否定することができないほどの根源的なものであるからこそ、少しでも戦争による犠牲を生じないよう努力することが求められるのである。  そのほかにも、日本国憲法の先行形態を徳川時代に求めたこと、カントの『永遠平和のために』は実践的な構想であったがゆえに「現実的でない」との批判を呼んだこと、120年の周期で歴史が繰り返していることなど、重要な指摘は多くあった。  しかしながら、柄谷の依拠する「自然の狡知」などフロイトの精神分析は、いったん消化したものの、自分の言葉で説明しようとすると補完すべきところの多いスピリチュアルなものとなってしまう。これは私の無学によるところであるので、より精緻な理解とするために著作を読みたい。

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2023/04/30

柄谷さんの本は毎回期待しながら読むのですが、今回も期待を裏切らず面白く拝読しました。柄谷さんの本は、書いてあること自体正しいか正しくないか、という視点で読むのではなく、素直に「そう来たか」というところを面白がって読む方が私は好きです(正確に言えば私のレベルでは正しいかどうかなどわ...

柄谷さんの本は毎回期待しながら読むのですが、今回も期待を裏切らず面白く拝読しました。柄谷さんの本は、書いてあること自体正しいか正しくないか、という視点で読むのではなく、素直に「そう来たか」というところを面白がって読む方が私は好きです(正確に言えば私のレベルでは正しいかどうかなどわからない)。本書は複数の講演録をもとにつくられているので、章の間のつなぎというか、論理展開が飛躍している感じのある箇所もあったのですが、全体的には面白く拝読しました。憲法9条はなにか仏教で言うところのお布施、見返りを求めない純粋贈与であって、純粋贈与に対してつばを吐きかけるような国があれば世界中から非難を浴びる、よってこれこそが実は抑止力であるという視点です。ある国で市民革命が起きれば他国の干渉(領土侵攻)が起こりますが、日本の9条に関しては他国の干渉(領土侵攻)が起こらない中で導入された、これはなにか色々な偶然が重なった奇跡という感じもしました。私くらいのレベルでは、もはやこのレベルの本ですと正しい、正しくないというのが判断できる水準を遙かに超えているので、純粋に楽しんで読みました。

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2020/04/25

【由来】 ・確か図書館の岩波アラート 【期待したもの】 ・柄谷行人だし、タイトルも興味深い 【要約】 ・実は柄谷初体験でした。日本人の憲法に対する無意識を都市計画における「先行形態」と紐付けて江戸時代にそれを見出すというのが面白かったです。何だか加藤典洋と似た印象。 【ノー...

【由来】 ・確か図書館の岩波アラート 【期待したもの】 ・柄谷行人だし、タイトルも興味深い 【要約】 ・実は柄谷初体験でした。日本人の憲法に対する無意識を都市計画における「先行形態」と紐付けて江戸時代にそれを見出すというのが面白かったです。何だか加藤典洋と似た印象。 【ノート】 ・日本人にとって憲法は最初強制、そこから自発的。江戸時代の高次的復活。無意識の力、スーパーエゴ。 世界史における120年な周期。帝国と帝国主義。新自由主義は呼び名を変えた帝国主義。 リアリスティックな安全保障の考え方こそが偶発的な事故を第一次世界大戦に変えた。軍事同盟とか。日本は今こそ九条をこそ世界に具体的な実行として示せ。 ちゃんと本を買って読む価値がある。宇野弘蔵の話も。佐藤優本との読み合わせをしたい。 柄谷行人は実は初体験。加藤典洋とかぶる、って、ちゃんと読んでないけど。 【HARA無双】 ・柄谷行人は昔からしばしば読んでおりますが、最初の印象はまずまずですが、ダボハゼのように何にでも食らいついて(一番、最近、読んだのは中国文化についてだ)、自分の意見を開陳する(私のようだ)ところが鼻について来て、最近は気に入りません。見た目も横柄で不細工な奴だし。 【目次】

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2017/03/29

 日本国憲法第9条が事実上空洞化しつつも、なぜ反憲法派が「明文改憲」に成功しないのか?という問題を考察しているが、フロイト精神医学の恣意的な準用による疑似科学的分析や、「徳川の平和」を現行憲法の「先行形態」として引き出す非歴史的思考は、とてもではないが説得力をもたない。「憲法の無...

 日本国憲法第9条が事実上空洞化しつつも、なぜ反憲法派が「明文改憲」に成功しないのか?という問題を考察しているが、フロイト精神医学の恣意的な準用による疑似科学的分析や、「徳川の平和」を現行憲法の「先行形態」として引き出す非歴史的思考は、とてもではないが説得力をもたない。「憲法の無意識」を捉えるならば、憲法と同様に「外的強制」され、ある意味9条以上に規範化している「日米安保の無意識」にもメスを入れる必要があろう(日米安保体制という前提がなければ憲法9条はとっくに改定されていたことは想像に難くない)。また、いくら講演草稿が元になっているとはいえ、「山県有朋が死ぬと《中略》美濃部達吉の『天皇機関説』が主流となった」「それが”大正デモクラシー”と呼ばれた時代です」(p.58)とか「日清戦争当時、米国は日本と手を結んでいました」(p.175)というような基本的な事実誤認がかなり多く、大雑把にもほどがある。

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2016/12/14

現憲法の底流にあるものは,明治憲法ではなくて徳川時代の体制にあるという議論は目新しいが納得できるものだ.特に象徴天皇制については非常にしっくり当てはまると思った.第9条についての議論で無意識であるが故にこれまで存続してきたというのも,よく考えた考察だと感じた.カントの著作から哲学...

現憲法の底流にあるものは,明治憲法ではなくて徳川時代の体制にあるという議論は目新しいが納得できるものだ.特に象徴天皇制については非常にしっくり当てはまると思った.第9条についての議論で無意識であるが故にこれまで存続してきたというのも,よく考えた考察だと感じた.カントの著作から哲学的な議論もあったが,やや現実離れしているように思った.

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2016/09/19

柄谷行人は、自分が大学生の頃はいわゆるスタープレイヤーであった。彼の著作を読むことが一種のステータスでもあったように思う。もちろん一部では、ということだが。 本書は、その柄谷の憲法九条に関わる四つの講演を新書にまとめたものである。憲法改正が政治的なイシューになっている中で、それに...

柄谷行人は、自分が大学生の頃はいわゆるスタープレイヤーであった。彼の著作を読むことが一種のステータスでもあったように思う。もちろん一部では、ということだが。 本書は、その柄谷の憲法九条に関わる四つの講演を新書にまとめたものである。憲法改正が政治的なイシューになっている中で、それに対して反対であるという態度を明確にしているわけだが、現実へ与える影響は柄谷にはもうあまりないのではないかと思う。それでも、その理論的根拠を知りたいとは思うのだ。 まず第一に、憲法第九条が変えられなかったのは、日本人の無意識からきている。意識的なものであったのならとっくに変わっている、というのが柄谷さんの主張だ。「九条は護憲派によって守られているのではない。その逆に、護憲派こそ憲法九条によって守られている」というのは正しい認識だと思う。 ただ、「無意識」を語るのにフロイトを持ち出してくるのはどうしても今更感がある。フロイトが無意識というものを初めて大きく取り上げて世に知らしめたのは確かだが、その時代から無意識に関する知識は大きく進化していると思っている。もちろんここで使っている「無意識」は実際の人間の脳内活動における意識-無意識とは別のより比喩的な意味で用いているのであろうが、であればこそフロイドを持ち出すことなく丁寧に柄谷さんがここで使う「無意識」とはどういうものであるのかを説明すべきであったのではないのだろうか。 また九条=戦争放棄の位置づけを語るために、『世界史の構造』などで練り上げた交換様式に言及し、戦争放棄が一種の贈与であり、それが交換様式Dにおける純粋贈与となるという。戦争放棄を贈与とみなして、それを徹底すべきだというのは独自の観点でよいのだが、それでもリアリスティックなリスクを鑑みると責任のない地点からの言論にすぎないということもまた感じ取られてしまう。そういった想定される批判に対して、柄谷は次のように言う。 「憲法九条は非現実的であるといわれます。だから、リアリスティックに対処する必要があるということがいつも強調される。しかし、最もリアリスティックなやり方は、憲法九条を掲げ、かつ、それを実行しようとすることです。九条を実行することは、おそらく日本人ができる唯一の普遍的かつ「強力」な行為です」 しかし、こういった平和論よりも、日本ではずっと憲法改正などは行わず、リアリスティックに対処していくのではないか。それが似合っている。それを「無意識」と呼ぶのであれば正しいと思う。 『世界史の構造』などを読んだ後であれば、決してわかりにくい本ではないが、どこかもやもや感や落ち着きのなさが残る。それは左翼的なものがどこかいかがわしさをまとうようになったことを図らずも示しているのだと思う。柄谷さんはそのことに関してどれほど意識的であるのだろうか。

Posted byブクログ

2016/06/19

60年間憲法九条を廃棄してこなかった世論は、フロイトを引き合いに出して説明されます。「超自我は、死の欲動が攻撃性として外に向けられたのちに内に向かうことによって形成されるものです。現実原則あるいは社会的規範によっては、攻撃欲動を抑えることはできない。ゆえに、戦争が生じます。それな...

60年間憲法九条を廃棄してこなかった世論は、フロイトを引き合いに出して説明されます。「超自我は、死の欲動が攻撃性として外に向けられたのちに内に向かうことによって形成されるものです。現実原則あるいは社会的規範によっては、攻撃欲動を抑えることはできない。ゆえに、戦争が生じます。それなら、攻撃欲動はいかにして抑えられるでしょうか。フロイトがこのとき認識したのは、攻撃欲動(自然)を抑えることができるのは、他ならぬ攻撃欲動(自然)だ、ということです。つまり、攻撃欲動は、内に向けられて超自我=文化を形成することによって自らを抑えるのです。いいかえれば、自然によってのみ、自然を抑制することができる。(15頁)」ゆえに、憲法九条は私たちの無意識の中に、自然発生的に存在するものであって、手放すことができないものである。仮に再び戦争をすることがあっても、手痛い代償を払ってまで、再び憲法九条を取り戻すだけであると著者は言います。難しいのですが、そのことを理解するとすっきりします。

Posted byブクログ

2016/05/07
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※このレビューにはネタバレを含みます

フロイトやカント等を引用しながら、「日本が見返りを求めずただ憲法9条を愚直に実行する(具体的な定義は言及されていない)ことが、世界平和の第一歩になる」という論旨。 フロイト(マゾヒズムの経済論的問題) 最初の欲動の、断念は外部の力によって強制され、それによって倫理性が生まれ、良心となり、欲動の断念をさらに求める。 カント(普遍史) 自然は人間を、戦争とその悲惨な経験を通して、国際連盟を結ぶ方向へ追い込む 憲法の先行形態 徳川の体制は、さまざまな点で第二次大戦後に類似する。象徴天皇制、非軍事化 日清戦争時との類似性 ヘゲモニー不在ゆえ、大戦争がありうる。 だからいまこそ、世界平和への道を。 →歴史描写は面白いが、交換理論あたりから、ついていけなくなった。学生団体シールズ&世論におもねいただけではないと思いたいです。 →しかし、落ちぶれる米国にからむ主導権争いが戦争を呼ぶ、という点は、なるほど。トランプ米国がその引き金になるかもしれない。

Posted byブクログ