屋根裏の仏さま の商品レビュー
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日系アメリカ人作家の第2作。 読むのは3作目、寡作だそうだが、確実に腕を上げているなぁという感じ。 デビュー作「あの頃は天皇がいた」で収容所へ送られた日系人、 そのもの語りをさかのぼり、娘達が結婚のため、 アメリカへ渡るところから始まる。 写真一枚を頼りに日本の故郷を出てきたの...
日系アメリカ人作家の第2作。 読むのは3作目、寡作だそうだが、確実に腕を上げているなぁという感じ。 デビュー作「あの頃は天皇がいた」で収容所へ送られた日系人、 そのもの語りをさかのぼり、娘達が結婚のため、 アメリカへ渡るところから始まる。 写真一枚を頼りに日本の故郷を出てきたのだ。 いつもながらポリフォニーによって、さまざまな人々が描かれる。 娘達は、やがて写真とは似ても似つかぬ夫に出会い、 手紙とは全く違う過酷な環境で労働に明け暮れ・・・ 何人も子を孕み、差別に耐えながら生きていく・・・ やがて真珠湾攻撃。 街中に立ち上る疑心暗鬼と不穏な空気・・・ わたしなどが想像していたよりも、ずっとずっと恐ろしい。 これでは「ナチス」や「KGB」と同じではないか。 この作家さんは、不安や恐怖をポリフォニーを使うことで ユーモアを巧み取り混ぜながら、 描ききるところが凄い。 これは日系アメリカ人としてのルーツ、 母や祖母の物語としての意識があるのだろうな。 ・・・にしても、戦争は人を狂わせるね・・・
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100年ほど前、写真花嫁としてアメリカに移民した娘たちの苦難を描いた作品です。 1900年頃から日本人のアメリカ本土への移民が急増し、1920年ごろにはカリフォルニアの耕地の16%を所有又は貸借するようになります。これにアメリカ人は危機感を抱き、1908年には新規移民を禁じる「日...
100年ほど前、写真花嫁としてアメリカに移民した娘たちの苦難を描いた作品です。 1900年頃から日本人のアメリカ本土への移民が急増し、1920年ごろにはカリフォルニアの耕地の16%を所有又は貸借するようになります。これにアメリカ人は危機感を抱き、1908年には新規移民を禁じる「日米紳士協定」が結ばれます。但し、既に移民した人が家族を呼び寄せる事は認めらていました。 当時は農業労働者としての移民です。若い独身男性が多く、彼らが現地で結婚相手を探す事は難しかった。そこで日本に経歴や写真を送り、それを元に結婚を決めた娘たちは、日本で婚姻届けを提出し「家族」としてアメリカに渡りました。それが写真花嫁です。 なんと乱暴な・・と思いますが、この時代、国内においても結婚は親が決めるのが一般的であり、見合いの時の一度会っただけとか、結婚式で初めて会ったという事も多かった様ですから、今の感覚とは随分違いました。とは言え、言葉も習慣も違う海外への移住であり、かつ容易に帰れないことを見越しての詐欺的行為(違う美男子の写真を送る、年齢や職業を偽る)が横行していたようです。 写真花嫁という集団を主人公にした非常に変わった作品です。集団の中の無名の個々が余分な感情や詠嘆を排して鋭く端的に事実を語ります。「わたしたちは彼女たちが大好きだった。彼女たちが大嫌いだった。彼女たちになりたかった。」。解説の中に「点描」という言葉がありますが、まさしく。集団の中の個々が様々な色の点となり、全体像が出来上がっていきます。お見事。 長い航海、結婚相手との邂逅、初夜、出産、米人化して行く子供達、そして日米開戦。 殆どの物を手放し、強制収容所に送られる日系移民。そして残された日本人街とどこか呆然とした米国人の隣人たち。 僅か160ページほどの作品ですが、読み応えがあります ======== リタイヤして暇になったので、数年前にファミリーヒストリーを調べました。 祖父の代に我が家は二男だった祖父を除いて、長男と長女、次女がアメリカに、2人の弟がブラジルに移民しています。そして長女と二女は時期や戸籍の婚姻届けから明らかに写真花嫁でした。 長女のお相手の見合い写真らしきものが残っています。なかなかの美男子ですが、結婚後にアメリカで写した家族写真にも同じ人物が写ってましたので詐欺ではなかったようです。二女が送ってきた手紙には「兄さんもロウサンヂ(ロサンジェルス)ては指おりの大自業(事業)、フロリン(サクラメント郊外)の姉も大自業/兄妹みな大自業致して居ります」とあります。長兄が先に移民して成功し、長女の結婚相手を仲介し、さらにその姉が妹の相手を仲介したのだと思います。妹も大自業とまでは行かなくても「私内にはホードの自働車かあります。車もなかなかきけんな物でありますから用心して乗ります」と書いた手紙が残っており、T型フォードを持てる位の生活は出来ていたようです。そういう点ではこの作品の集団(農業労働者・米人家庭のお手伝いさん)よりも成功者でした。もっとも姉の方はご主人が若くして亡くし、6人の子供を抱えそれなりに苦労したようですが。 しかし、強制収容所送りは同じです。 ドロシア・ラングという女性写真家が写した「A soldier and his mother at a strawberry field.」という写真があります。日系人として強制収容所に送られる直前の一世の母親と、収容所への移動を手伝う米人として軍に志願した息子を写し、日本人強制収容の悲劇を象徴する写真として日系移民を扱う本などによく使われる写真です(上記タイトルでネットを検索すると出て来ます)。実はこの写真の母親が私の大叔母(長女)でした。彼女は私が中学生の頃に一時帰国していて、一緒に写った写真も有るのですが、その頃はつゆ知らず。話をした記憶さえありません。もし知っていたら、すこしは話が聞けたのにと残念に思うのです。というのが、この本を読むきっかけでした。 確かに日系移民はひどい苦労をしました。アメリカの仕打ちもひどいものでした。強制収容については戦後、アメリカの歴代大統領による謝罪もあります。ただ、被害を受けた国の同胞者としてだけではなく、現在日本に来て働く外国人に対し我々が加害者になっていないか、それも考えながら読むべきだと思います。
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太平洋戦争前、アメリカに渡った日本の「写真花嫁」たちの物語が 一人称複数で語られる。 その「私たち」という言葉が矢継ぎ早に雨のように降ってきて ページをめくる手が止まらずに一気に読んでしまいました。 「私たち」とは実際生きた人々で悲しみも喜びも本当にそこにあったのだと、 その現実...
太平洋戦争前、アメリカに渡った日本の「写真花嫁」たちの物語が 一人称複数で語られる。 その「私たち」という言葉が矢継ぎ早に雨のように降ってきて ページをめくる手が止まらずに一気に読んでしまいました。 「私たち」とは実際生きた人々で悲しみも喜びも本当にそこにあったのだと、 その現実に圧倒され、花嫁を迎えた男性たちの物語にも思いを馳せた読後、 改めて表紙の大野八生の美しい花々を見ると女性一人一人に見えてきました。
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すべてが1、2行で「〜した。〜でした。」という形で書かれていたので、どんどん読むのがしんどくなっていきます。
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米国の移民法の規制により、家族以外の呼び寄せが禁止されていた1908年から1920年までの間、先に移民となって渡米した日本人男性が日本人の妻を得る為、写真を送り、お互いに了承後、日本で入籍を済ませた花嫁を米国に呼ぶ「写真花嫁」(picture bride)という言葉があった。物語...
米国の移民法の規制により、家族以外の呼び寄せが禁止されていた1908年から1920年までの間、先に移民となって渡米した日本人男性が日本人の妻を得る為、写真を送り、お互いに了承後、日本で入籍を済ませた花嫁を米国に呼ぶ「写真花嫁」(picture bride)という言葉があった。物語はその花嫁たちを乗せた船の出航から始まり、1941年の太平洋戦争により強制収容所に収監されるまでの日々が描かれる。主人公は個人ではなく、不特定の女性の「わたしたち」が様々な土地での過酷な体験を語る。 上陸後初めて会った夫写真よりずっと年を取り、聞いていた財産もなく、移住労働者施設を渡り歩き土地を耕す。 「鏡は片づけた。髪はとかさなくなった。化粧を忘れた。仏さまを忘れた。神さまを忘れた。ふるさとの母に手紙を書くのをやめた。体重が減ってやせ細った。月経が止まった。夢を見るのをやめた。求めるのをやめた。わたしたちは、ひたすら働いた。それだけだった。「ある日、タマネギ畑のまんなかにすわりこんで、あたしたなんか生まれてこなければよかった、と言った女の子もいた。子どもらをこの世に産み落としたのは正しいことだったのだろうかと、わたしたちは思った。子どもらにおもちゃひとつ買ってやるお金さえ、あったためしがないんだから。」 20年程かけて必死に働き築いた家屋や商店、田畑などは強制収容により失うこととなる。 「夫とともに、何列も木の並ぶわたしたちのブドウ園を最後にもう一度歩き、夫は最後の雑草を一本抜かずにはいられなかった。わたしたちのアーモンド園の垂れた枝に支柱をあてがった。レタス畑で虫がついていないか調べ、返したばかりの黒い土を手に一杯すくった。わたしたちのクリーニング店で最後の洗濯をした。わたしたちの食料品店のシャッターを閉めた。自宅の床を掃いた。荷物を詰めた。子どもらを集め、そしてすべてのバレーのすべての町と沿岸沿いのすべての市から、わたしたちはいなくなった。」
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『写真花嫁』という存在を初めて教えてくれた本。片道切符で米国に到着して早々に期待を打ち砕かれ、重労働と子育てに励んだ先に待っていたのは、第二次世界大戦勃発による強制収容。 ここまで環境に左右される人生を生きた人々は毎日何を支えに生きていたのだろうか。 人生の理想を描くことなんて到底難しくて、環境に順応し、変化に柔軟でなければ、辛さや痛み以外の何を感じられたのだろう。 私だったら人生こんなものと諦めがつくのか、どこかに希望を見出すのか、それとも日々の生活が慌ただしすぎてそんなこと考える暇もないのか、それはそれで幸せなのか、そんな風に思いを巡らせつつ、これが過去の話であるゆえに冷静さを保てるのだと思った。
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「写真花嫁」としてアメリカに渡った日系移民の体験を綿密に調べて書かれた小説。「わたしたちは」で語られる無数の声が重なり、過酷な暮らしぶりが迫ってくる。簡潔でありながら詩的で美しい文章が、かえって悲しさを際立たせる。 これはインタビューではないけど、「正史では語られなかった女性た...
「写真花嫁」としてアメリカに渡った日系移民の体験を綿密に調べて書かれた小説。「わたしたちは」で語られる無数の声が重なり、過酷な暮らしぶりが迫ってくる。簡潔でありながら詩的で美しい文章が、かえって悲しさを際立たせる。 これはインタビューではないけど、「正史では語られなかった女性たちの人生」を描いた点では『戦争は女の顔をしていない』とも通じると思った。
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※このレビューにはネタバレを含みます
リアリティあふれる筆致がすばらしかった。この文体は嫌いという方もいるかもしれないけれど、私は「真に迫った思いは物語の裏にある」と思うので、「わたしたち」「彼ら」という書きかたが、悲しいけれども、好き。
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ツイッターでオススメされていた本。 大戦前のアメリカへ、未来の伴侶の写真だけを頼りに海の向こうへ渡った「写真花嫁」の物語。 異国の港に降り立った瞬間から、想像だにしていなかった現実に声もあげることも日本に帰ることもできずあっけなく処女を奪われてしまう。 苦しみのなかで雇い主からも...
ツイッターでオススメされていた本。 大戦前のアメリカへ、未来の伴侶の写真だけを頼りに海の向こうへ渡った「写真花嫁」の物語。 異国の港に降り立った瞬間から、想像だにしていなかった現実に声もあげることも日本に帰ることもできずあっけなく処女を奪われてしまう。 苦しみのなかで雇い主からも主人からも存在も忘れ去られ、あるものは死を選びあるものは抵抗することすら選べぬままに農園で働き続ける。 それぞれの生きていくことの苦しみやつらさが、「わたしたち」という語の反復で淡々と流れていく。それは沸騰する怒りではなく、名を持って生きることへの諦めと、それでも掴んだ子どもや農園の果実たちに傾けられる愛情が重なり合って流れていく日常的だ(それでも、「お母さんのようには絶対なっちゃいけないよ」なんて、何て悲しい言葉なんだろう)。 息を潜めて慎ましくあることを骨の髄まで染み込ませた彼女たちやその社会を待ち受ける、大戦時の強制収容。 胸が圧しつぶされるように、悲しみが自分の心に反響する。
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