スーパーヒューマン誕生! の商品レビュー
VR技術も含めて、機器や情報システムを用いて、人間がもともと持っている運動能力や感覚を拡張することについて書かれています。身体の内側と外側の両方に制御可能な領域を広げていく学問(人間拡張工学)と定義されています。大雑把に前半がロボットや知覚に関する技術等、後半がVR中心にかかれて...
VR技術も含めて、機器や情報システムを用いて、人間がもともと持っている運動能力や感覚を拡張することについて書かれています。身体の内側と外側の両方に制御可能な領域を広げていく学問(人間拡張工学)と定義されています。大雑把に前半がロボットや知覚に関する技術等、後半がVR中心にかかれています。 後半のVR関連の記述の中で、視界に自分を後ろから見た映像を混ぜて自分の背中を見せる研究や、現在のライブ映像と少し前の過去映像をヘッド・マウント・ディスプレイの中で切り替えるという研究が紹介されてました。正直こういうのを一度体験してみたいと思わせるものがありました。
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人間拡張工学という人類が次に進むであろうステージの話。それを実現するための様々な研究や実験が紹介されててめっちゃ面白かった。人間の知覚、その境界線、錯覚、哲学的問い...等と幅広く話を展開してて考えさせられる。SF映画、アニメ、漫画、小説...と例を示しながら掘り下げていってるの...
人間拡張工学という人類が次に進むであろうステージの話。それを実現するための様々な研究や実験が紹介されててめっちゃ面白かった。人間の知覚、その境界線、錯覚、哲学的問い...等と幅広く話を展開してて考えさせられる。SF映画、アニメ、漫画、小説...と例を示しながら掘り下げていってるのでイメージを掴みやすくていいね。特に楽器を弾いていると人間の知覚というところには直結しているのでこういう系の本もたくさん読みたくなってきたよ。
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4、創作資料兼用。 タイトルが大げさではあるけど、眼鏡やコンタクトレンズなどの矯正具、義肢や装具などを通じて「人間」を考えさせてくれる興味深い一冊。 義肢の性能が上がって、パラリンピックにおける「人間」と「義肢」の不均衡なんかにも触れられていて、ここはなかなか難しい問題だな……と...
4、創作資料兼用。 タイトルが大げさではあるけど、眼鏡やコンタクトレンズなどの矯正具、義肢や装具などを通じて「人間」を考えさせてくれる興味深い一冊。 義肢の性能が上がって、パラリンピックにおける「人間」と「義肢」の不均衡なんかにも触れられていて、ここはなかなか難しい問題だな……と。
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スーパーヒューマン ポイントはSF作品と研究の棲み分けにある。(略)研究とフィクションはあるところでは結びつくことがあるが、ほとんどの場合、直接つながることはない。なぜなら「つくりたいもの(what)」はフィクションに描かれているが、「どのように実現するか(how)」mでは示さ...
スーパーヒューマン ポイントはSF作品と研究の棲み分けにある。(略)研究とフィクションはあるところでは結びつくことがあるが、ほとんどの場合、直接つながることはない。なぜなら「つくりたいもの(what)」はフィクションに描かれているが、「どのように実現するか(how)」mでは示されていないからだ。 サイボーグと拡張身体の明確な線引きは難しいが、私は拡張身体を衣服や靴のように「非侵襲的」で「着脱可能」であるが「装着時は身体と一体化」するもとのして定義したいと思う。 視覚や触覚など人間が持つさまざまな感覚がくみあわさることを、複数の様式を組み合わせるという意味で「マルチモダリティ」と呼ぶが、複数の感覚が重なれば重なるほど、物理世界との主観的等価により近づくことができる。 透明人間が家の中でエスコートしてくれるシーンをイメージしてほしい。あなたが家に着くと玄関の扉が解錠されて自動で開き、部屋の明かりがともる。あなたが空腹になると、トースターでパンが焼かれる。そのうちにピアノの自動演奏が始まり、くつろぎの空間が提供される。このように目には見えないが、透明なロボットがあたかもいるような環境を作り出すことが技術的にもできるようになってきた。あらゆる物をインターネットでつなぐ「モノのインターネット」が登場し、あたかもロボットがいるように物を自動的に動作させることができるのだ。 インターネットのようなメディアや、たとえばロールプレイングゲームにおけるキャラクター(略)など、身体がデジタル化されているならば、私たちはすでに複数の身体を持って生きている。(略)すでに私たちはテレビのチャンネルやパソコンのタスクのように、瞬間的に注意のフォーカスを切りk さらにその先には、複数の身体が同時に存在している未来もあり得る。 「オキュ旅」という取り組みが日本にある。他の人の旅の体験を、ヘッドマウントディスプレイ「オキュラスリフト」で臨場感を持って追体験するプロジェクトだ。 (略) もしかしたら、こうした誰かの体験がシェアされることはすでに起きているかもしれない。 (略) またひとりひとりの人間の意志決定をひとつのアンドロイドに集約して、多数決で行動させようというませもとろうのマンガ「デモクラティア」がある。小勇意見が尊重されるように多数決のプロセスを工夫すれば、もっと正しい選択がリアルタイムでできるのではないかという興味深い提案がなされている。もしかしたら、その集合知に人工知能が加わることで、さらに行動の選択の制度があがるかもしれない。 こうしたたくさんの人が、一つの身体を操るようなビジョンを、私は「融身体」または「変身」と呼んでいる。脳を含む身体がデジタル化されたとき、ロボットやヒューマノイドなどひとつの身体に複数の人が乗り込むことがあるかもしれない。
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【由来】 ・amazonのkindleセールで 【期待したもの】 ・「光学迷彩をつくった教授」と言われれば読んでみたくなる。 【要約】 ・ 【ノート】 ・「受け止められ方」が主軸、石黒キョウジュとも ・「自分の主体」というものが失われていくこわさ ・「二重人間スポック!」っ...
【由来】 ・amazonのkindleセールで 【期待したもの】 ・「光学迷彩をつくった教授」と言われれば読んでみたくなる。 【要約】 ・ 【ノート】 ・「受け止められ方」が主軸、石黒キョウジュとも ・「自分の主体」というものが失われていくこわさ ・「二重人間スポック!」って、そういうテーマだった どんな結末だったっけ? ・人間は、フィードバックで形成されるということを、一縷の不安と言うか失望と共に感じた。 【目次】
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SFから人間拡張工学を考える。身体の拡張、インターフェイスとしての身体、ポスト身体社会。 SF・漫画・アニメ・展覧会・ゲーム・放送などのタイトルや登場人物、製品名などが豊富に出てきて、逆にいわゆる普通の本には書かれていなかったことに気付く。
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最新の人間拡張工学の実情がよくわかるとと同時に、拡張することで改めて人間の体という境界があいまいになっていくことが考えさせられる。
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第一章は、スーパーヒューマンとはなにか映画やアニメなど身近な例えでとても分かりやすく有意義な内容だった。 それから段々と難しくなりあまり頭に入ってこなかった。 もう一度読み返してみれば、きっと最後まで面白く読めると思う内容ではあると思う。 また、スーパーヒューマンの現状をもう少し...
第一章は、スーパーヒューマンとはなにか映画やアニメなど身近な例えでとても分かりやすく有意義な内容だった。 それから段々と難しくなりあまり頭に入ってこなかった。 もう一度読み返してみれば、きっと最後まで面白く読めると思う内容ではあると思う。 また、スーパーヒューマンの現状をもう少し知りたかった。
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はやりの仮想現実は視覚と聴覚が主だが、触覚や臭覚を含む五感全てを刺激するようになると、最早本当の現実との区別がつかなくなる。 本書のタイトルであるスーパーヒューマンについての記述はほんの数行だが、仮想現実の延長線上に、自身の身体感覚を失わないまま、自分の能力を超越した能力を発揮...
はやりの仮想現実は視覚と聴覚が主だが、触覚や臭覚を含む五感全てを刺激するようになると、最早本当の現実との区別がつかなくなる。 本書のタイトルであるスーパーヒューマンについての記述はほんの数行だが、仮想現実の延長線上に、自身の身体感覚を失わないまま、自分の能力を超越した能力を発揮するものだ。 実現は思ったより近くにある。
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「人間拡張工学」なるものをテーマにした本。 僕は自然主義の誤謬主義者なので、メカによる人体拡張など認めん、と自分でもいいそうだけど、そうでもない。メガネかけてるしね。メガネは能力拡張用のメカであるにも関わらず、あんまりそういう意識をされていない。オリンピックでつかっても怒られな...
「人間拡張工学」なるものをテーマにした本。 僕は自然主義の誤謬主義者なので、メカによる人体拡張など認めん、と自分でもいいそうだけど、そうでもない。メガネかけてるしね。メガネは能力拡張用のメカであるにも関わらず、あんまりそういう意識をされていない。オリンピックでつかっても怒られない。けれど本書に出てくる拡張工学たちは、そういうものばかりではない。わりとSFにインスパイアされて生まれてきたものがある。攻殻機動隊から生まれた光学迷彩しかり。もしかするとエヴァンゲリオンのATフィールドも。ハンディキャップがあったり、大変な作業がそれで楽になったりするなら素晴らしいことで、その点はもう大いに進めて欲しいと思う。 平野啓一郎がいう「分人」の概念から、「分身体」へ進んでいく。たしかに、人格はネット上にあちこち置いておくことが出来て、それが「私」なのだったら、GTロボ(トリコ)のような、感覚を共通にしたロボットが、あちこちに置いてあったりすれば、それも私、かもしれない。 突拍子もないような話に聞こえるかもしれないが、電話だってインターネットだって、昔は想像もできないものだっただろう。想像できるぶん、現実的な気もする。 本書は、ドラえもんが引き出しから出てくるのを待つのをやめ、自分でひみつ道具をつくろう、と考えた研究者によるもので、楽しくやっていることがひしひしと伝わってくる。楽しみ過ぎかなあ、というぐらい。無邪気、とはいわないが、無邪気的に生み出されてくるひみつ道具で人が拡張されてすぎていって、自分が誰だかわかんなくなるような世界がくるのだろうか。少し違った、人類補完計画。
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