コーヒーにドーナツ盤、黒のニットのタイ。 1960-1973 の商品レビュー
角川映画の頃の輝きがそのまま残ってる。 計算すると75歳で書いた事になる。 キレのいい文章と洒落た小物たち。キラキラしてる。 ただ、出てくる音楽は60年から73年、さすがによく知らない。ので感情移入しづらい。 片岡義男はショートでも場面を思い浮かべやすい。
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片岡義男の小説は面白い。だがそれはもちろんストーリーテラーとしての面白味ではなく、哲学者/探求者として彼が作中人物に託して開陳する哲学の面白味にあると思っている。彼が書く会話はなるほど村上春樹のそれにも似て(いや、それ以上に?)不自然だが、しかしその不自然さは時に彼らが恋人同士で...
片岡義男の小説は面白い。だがそれはもちろんストーリーテラーとしての面白味ではなく、哲学者/探求者として彼が作中人物に託して開陳する哲学の面白味にあると思っている。彼が書く会話はなるほど村上春樹のそれにも似て(いや、それ以上に?)不自然だが、しかしその不自然さは時に彼らが恋人同士であっても仲睦まじい中にシリアスな対立を見せ、「和やかな議論」とでも呼ぶべき境地へと至る。この自伝的な作品においても精彩を放つのはやはり、彼らが和やかにわかり合っている段階ではなく相違を明らかにする瞬間でありそれは後々まで忘れがたい
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神保町の、たしかミロンガだったとおもうのだけれど、店の入口のところに置いてあって、なるほどこの店で片岡義男氏が小説やエッセイやその他の文章を書いてたりしてたんだろうなぁ、なんて思ったりしたのだけれど、ひょっとしたら向かいのラドリオだったのかもしれん。 そんなわけで、この本は片岡...
神保町の、たしかミロンガだったとおもうのだけれど、店の入口のところに置いてあって、なるほどこの店で片岡義男氏が小説やエッセイやその他の文章を書いてたりしてたんだろうなぁ、なんて思ったりしたのだけれど、ひょっとしたら向かいのラドリオだったのかもしれん。 そんなわけで、この本は片岡義男氏が「僕」という主人公の男と、美しい女たち、そしてコーヒー、出版社の編集者、60年代の音楽を神保町を舞台に綴る短い文章の集合。 やはり神保町はいいなぁ。 そしてアナログな時代、鉛筆を削りつつ原稿用紙に文字を埋め、上着の胸ポケットに突っ込んで喫茶店(カフェなどではなく)の煙草の煙の中で編集者に手渡しする、というシーンはもはや懐古的趣味でしかないのだろう。 ラドリオやミロンガ、さぼうるに南海キッチンやスヰートポーヅ、オオドリー、共栄堂、ボンディ、そしてジャンルごとにマニアックな品揃えを誇る古書店街。なにもかも懐かしい。
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片岡義男さんの小説は初体験ですが、聞いていたとおり、洒脱な文章で都会的。現代アメリカ文学の翻訳を東京を舞台に当てはめたかのようで、なんとも気持ちい読書体験だった。日曜日の朝に読み終わったけど、どうせなら土曜日の夜、お酒飲みながら、渋めのレコード聴いて読むにいい一冊。
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片岡義男さんが小説家としてデビューする前の1960年から1973年までの私小説。ドーナツ盤のレコードに結び付けている話は、演歌、ロック、ジャズ、クラシックまで全てのジャケットがカラーで装丁されていて気持ちが良い。下北沢のバー、神保町の喫茶店での執筆活動などが連作短編集のように綴ら...
片岡義男さんが小説家としてデビューする前の1960年から1973年までの私小説。ドーナツ盤のレコードに結び付けている話は、演歌、ロック、ジャズ、クラシックまで全てのジャケットがカラーで装丁されていて気持ちが良い。下北沢のバー、神保町の喫茶店での執筆活動などが連作短編集のように綴られている。素敵な女性が出てくるのはやはり片岡さんらしい。
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洒落た本だ。各章のタイトルが色刷りで、文中に登場している音楽のLPやドーナツ盤のジャケット写真がフルカラーで紹介されている。表紙は濃いピンクの地に、モノクロームでタイトルにある、コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイが俯瞰の視点で描かれている。コーヒー・カップは白で、ソーサーと中...
洒落た本だ。各章のタイトルが色刷りで、文中に登場している音楽のLPやドーナツ盤のジャケット写真がフルカラーで紹介されている。表紙は濃いピンクの地に、モノクロームでタイトルにある、コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイが俯瞰の視点で描かれている。コーヒー・カップは白で、ソーサーと中のコーヒーは黒だ。ドーナツ盤は当然黒で、ピンク地のラベルには演奏者の名前の代わりに、太いゴチック体で、YOSHIO KATAOKA、とある。もちろんニットタイは黒に決まっている。サブタイトルのように入れた1960-1973だけはイエローで、見返しの色とあわせている。裏表紙に続くタイの横にあしらわれているのは、ドーナツ盤に開いた穴とターン・テーブルの回転軸の隙間を埋めるプラスティック製のアダプターだ。と、ここまで書いて、はたして今の世代に分かってもらえるのだろうかと不安になった。 タイトル通り、いわば半世紀も昔の東京の街に流れていた音楽を手がかりに、大学を出た「僕」がフリーランスのライターとしてやってゆけるようになるまでを描いた小説である。短篇とも呼べないほど短い小説を掌編というが、その掌編ほどの長さを区切りとした44のストーリーが、時代順に並んでいる。1963年の「あのペンネームはどこから来たのか」で、語られているその名前が、日本人としてはめずらしい「テディ」というペンネームであることから、自伝的小説と呼んでもいいだろう。ファンなら、そのペンネームの由来にある種の感銘を覚えるにちがいない。 あとがきにもあるが、片岡は1960年から1973年までフリーランスのライターを続け、その翌年から小説家となった。喫茶店がフリーランスのライターとしての仕事場であり、そこにはいつも音楽が流れていた。それがタイトルの意味だ。フリーランスとはいえ、仕事上の打ち合わせを行なう以上、タイくらいは締めねばならなかったのだろう。ニットの緩さが黒で少しフォーマルにされている。アイビー・ルック全盛時代、黒のニットタイはマスト・アイテムだった。 話自体は、営業職についた「僕」が、三ヶ月で退職届けを出し、フリーランスのライターとしていろんな雑誌を掛け持ちするまでになる日々を、いかにも片岡義男らしいクールなタッチで淡々とつづったものだ。「僕」は作家が創り上げた人物としてそこにいる。3Bの鉛筆に金属キャップをはめたのをシャツの胸ポケットに入れ、コクヨの二百字詰め原稿用紙をLIFEに挟んで輪ゴムで止めたのを手に、喫茶店を三軒、多いときは四件はしごしながら、冷めたコーヒーを相手に原稿を書き、編集者と打ち合わせをする。 書き終えた後は、ピンク電話で雑誌社に電話をかけ、編集者が取りに来るのを待つ。会社のある神保町辺りの喫茶店にするのは、締め切り間際まで時間が使えるからだ。原稿を渡した後は、編集者に誘われて軽くブレンデッド・ウィスキーを一杯つき合う。音楽はどこでも流れている。喫茶店でもバーでも、飲み屋でも。カウンターの中から、開いた店の扉越しに、厚い壁を通して。片岡義男だから、ジャズやポップス、ハワイアンは予想ができたが、意外なことに歌謡曲が多いのには驚いた。 もちろん美女も登場する。どの女性も媚というものを知らず、みごとなほど男性と対等に会話する。無駄な言葉がなく、必要なことを適切な分量で話す。いつものことながら、こんな会話がこの国のどこで交わされているだろうか、と思ってしまうほどに。それは男同士でもかわらない。必要にして十分な会話が、ドーナツ版のレコード何枚かがかかっている間続く。クールかつドライ。どこまでも乾ききった片岡義男ワールドがそこにある。 3Bだから鉛筆の芯はすぐ丸くなる。ポケット・ナイフで削るのだが、削り屑をそのまま床に落として、ウェイトレスに叱責される。その後、店の外で削るようになるのだが、この物書きを目指す青年が喫茶店で鉛筆を削るシーンは、あのヘミングウェイの『移動祝祭日』にも出てくる。片岡が意識したかどうかは分からないが、心に残る。 1966年はビートルズが来日した年だ。「ビートルズ来日記者会見の日、僕は神保町で原稿を書いていた」は、記者会見に行くはずだった僕がその日が締め切りの原稿を書き忘れていて、記者会見をキャンセルする顛末を書いたストーリー。四人のジョークが分からず、真面目くさって額面どおりに受け止める日本人記者と、笑って聞いている外国人記者との差を電話で伝える『平凡パンチ』の友人編集者の言葉。「言うべきことを自分の言葉できちんと言っている四人の闊達さを、現場で直接に受け止めたのは、幸せだった」。あれから、半世紀たった。日本人記者は、言うべきことを自分の言葉できちんと言えるようになっただろうか。
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