有限性の後で の商品レビュー
哲学的な信仰は科学の濁流に竿を差すことができるのか。数学的事実に哲学的アプローチの焦点を合わせる提言をしつつ、私たちの〈思い込み〉の幻影を明らかにする。
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人間は、思考の外側に存在するものを認識できるのか。 物の存在は主観的に認識することはできるが物自体を客観的に認識することはできないとするカント哲学の出現以来、上記の問いに対する答えは限りなく「否」でした。すなわち物自体を志向することはできるが実際に思考することはできない。 本...
人間は、思考の外側に存在するものを認識できるのか。 物の存在は主観的に認識することはできるが物自体を客観的に認識することはできないとするカント哲学の出現以来、上記の問いに対する答えは限りなく「否」でした。すなわち物自体を志向することはできるが実際に思考することはできない。 本書の著者メイヤスーは、この近代哲学における「常識」を超越しようとします。すなわち、物自体を認識できると説きます。しかし、この結論に至るまでの哲学的な理路は、(少なくとも哲学に慣れ親しんでいない限り)かなり複雑です。 哲学にそれほど詳しくない私には、序章と終章がとても刺激的かつ啓発的でした。前者では、カント哲学に代表される主観に基づく相関主義が批判され、終章では人間の出現以前、あるいは消滅以降の世界を想定することで、これまでの人間中心主義では捉えきれない哲学を展開します。 訳者による解説によれば、本書は反論の余地も十分にあり、実際に反論も少なくないようです。しかし、それはそれだけ新たな思考を促すに値することが本書では述べられているということの証左でもあります。オンラインなどによってつながる時代において、何かしらのネットワークの外側を志向して思考しようする本書は、書かれている内容だけでなく、書こうとする姿勢のカッコよさが際立っています。個人的には、マルクス・ガブリエルなどによる新書よりずっとずっと楽しめました。
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言いたいことはわかる。ただそれがこれほどの労力を費やしてやるべきことかどうか。ある意味ではごく当然のことを言っていないか。
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簡単に読むことができた。 科学があるのは、世界が安定しているからだと思う。今、世界が通常であるかどうかを調べたければ、科学がうまく機能しているかを見ればいいと思った。 世界の誕生があるかどうかも一つの疑問ではある。世界がどこにおいて誕生したかがわからないからだ。でも、不思議な...
簡単に読むことができた。 科学があるのは、世界が安定しているからだと思う。今、世界が通常であるかどうかを調べたければ、科学がうまく機能しているかを見ればいいと思った。 世界の誕生があるかどうかも一つの疑問ではある。世界がどこにおいて誕生したかがわからないからだ。でも、不思議なのは世界が安定して持続しているところだ。 もしかしたら、世界がめちゃくちゃに動いている可能性もある。それでも、私たちが気づかないだけなのかもしれない。 私たちというのが本当に切り離して考えることができるのならば、物自体というものを、もっと深く掘り下げることができるのだが、事実はそうなっていない。 いずれにせよ、良書であったと思う。
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あとがきによってわかるような本である。ところどころ訳でわからないところがある・贈物という訳語がフランス語からの訳であろうが、内容とあっているかどうかがわからない。
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ここ数日繰り返し読んでいた本。印象としては、ロマン主義のSF的な再来。フランス現代思想と言われてイメージされる文学的な文体、美文家というわけではない。明快な論理構成と想定反論に対する応答で進む。とはいえ、しょっちゅう筆が滑っているな、とおもった。特に現代哲学の宗教化や、ハイパーカ...
ここ数日繰り返し読んでいた本。印象としては、ロマン主義のSF的な再来。フランス現代思想と言われてイメージされる文学的な文体、美文家というわけではない。明快な論理構成と想定反論に対する応答で進む。とはいえ、しょっちゅう筆が滑っているな、とおもった。特に現代哲学の宗教化や、ハイパーカオスの語り、最終章などが。内容にとしては、相関性の絶対化=主観主義的形而上学、けれども相関性の事実性の絶対化はそうでない、という議論があまり納得いかない。主観的観念論者と相関主義者のやり取りを想定して導かれる、彼らの背後にある偶然性の必然性、という話もあまり納得いかない。ただ、結論はともあれ分析/図式化としてはとても明快で刺激的だし、勉強になった。
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興味深い証明である。基本的には、カントの批判である。要するに「自分の生まれていない昔や死んだ後のことは自分には分からない」というような、ヒキコモリ的発想を批判している。メイヤスーの議論を平たくいうと、「絶対なんてないのが絶対だ」というのを根拠に、カオスを根底にすえる。これに対して、「絶対なんてないかもしれんけど、めちゃくちゃでもないじゃん」という反論がある。で、メイヤスーはこれには答えていない。だけど、「確率っていうのは、全体がわかるから確率っていうんだぜ」、「部分の組合せ数は全体より多い」、「思考可能なものの組合せは思考可能な全体を越えている」、だから、「ものすごく高い確率でそうなるからといって、思考可能なものの全体が分かるわけじゃないし、そうである理由なんてのはなくて、単に存在するものは理由なしにあるんだ」ということになる。確率的に高いということと絶対との間には大きなちがいがあるという話である。
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