戦国の陣形 の商品レビュー
タイトルは「戦国の陣形」だが、要点としては日本の戦国時代には実態としての「陣形」なんてなかった、という本。 会戦に際し、兵の集団を決められた形に配置して運用する(それができるよう訓練する)陣形は日本の場合、大陸との戦闘を想定した律令制下には一時、存在したものの、結局大陸との大規模...
タイトルは「戦国の陣形」だが、要点としては日本の戦国時代には実態としての「陣形」なんてなかった、という本。 会戦に際し、兵の集団を決められた形に配置して運用する(それができるよう訓練する)陣形は日本の場合、大陸との戦闘を想定した律令制下には一時、存在したものの、結局大陸との大規模戦闘は白村江以降の古代では発生しなかった。 蝦夷勢力等と戦う上では会戦を想定している陣形は有効ではない(相手が集団ではなく散兵であるため)。 騎馬に乗った武士は運用としては散兵に近く、鎌倉~室町も陣形らしい陣形はない。魚鱗の陣・鶴翼の陣みたいな表現は出てくるが、密集せよ・散開せよくらいの意味できちんと決まった形はない(そもそも、領主ごとの集団や、「俺についてこい!」「おう!」みたいな固まりで戦闘してるので、司令官の下で秩序だった展開なんてしていない)。 きちんと形の決まった陣形を導入したのは武田信玄・山本勘助であることは確からしいが、その陣形も有効に機能した記録はない。 むしろ信玄に一矢報いるために村上氏が生み出した、旗本の下に兵種ごとに一定数の兵を揃えて、それを組み合わせて運用する(その組み合わせの力で一点突破して信玄を攻撃する)先方の方が有効で、その戦法はそのまま上杉氏に取り入れられた上、北条・武田にも波及し、後に豊臣政権⇒徳川政権にも取り入れられる(領主ごとに、各兵種を決められた数拠出することを義務付ける⇒それを兵種ごとにわけて再編成して運用する)。 江戸時代以降に「なんか陣形ってのがあったらしい」と机上で研究が進むが、日本でそれがまともに機能したことなんてなかったらしいぞ、と。
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“時代モノ”のファンを自認する人の中には…「無制限の制作費」を投入して、勇壮でリアルな、そしてドラマチックな戦国時代の合戦場面を映像で再現してみたいというような、傍目には莫迦らしいかもしれないようなことを夢想する人が在るのかもしれない…実は私自身にもそういう傾向が無いでもないのだ...
“時代モノ”のファンを自認する人の中には…「無制限の制作費」を投入して、勇壮でリアルな、そしてドラマチックな戦国時代の合戦場面を映像で再現してみたいというような、傍目には莫迦らしいかもしれないようなことを夢想する人が在るのかもしれない…実は私自身にもそういう傾向が無いでもないのだが…本書に触れて、恐らく著者はそういう傾向をかなり強く帯びているのかもしれない等と思った… 本書の文中でも触れられているが…戦国武将等が「○○の陣」等というモノを用いていたらしいというような事柄に関して、実は然程深い研究は行われていない…本書は、そういう「○○の陣」というようなモノに関して、「“戦”というモノが辿った経過」を考えてみることを積み上げて考察している。或いは非常に画期的な内容を含むのが本書である。 本作は、限られた紙幅の中で、なかなかに深く考察を展開していて、非常に面白かった!!
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
なるほどとうなずけるか所も少なくはないのだけれど、我田引水なところも目立つ(白峰旬氏の関ケ原短時間決着説とか「五段隊形」へのこだわりとか)。あと、図表の説明が大ざっぱすぎて、途中でわからなくなるところも散見。 伊藤潤氏推薦とか絶賛とかの物件には要注意ってことか?w
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日本の陣形の歴史について。 鎌倉時代から戦国時代まで。 面白かったかといえば微妙だし、歴史的な考察もどれほどの信頼性があるかわからなかった。 2度読むかと言われればわかりません。。 以下基本的にネタバレ。 中国では、孫武の登場などによって、古代より戦略、戦術の研究が盛んであ...
日本の陣形の歴史について。 鎌倉時代から戦国時代まで。 面白かったかといえば微妙だし、歴史的な考察もどれほどの信頼性があるかわからなかった。 2度読むかと言われればわかりません。。 以下基本的にネタバレ。 中国では、孫武の登場などによって、古代より戦略、戦術の研究が盛んであったが、その後孔明にもあるように八陣などの定義もおかれている。 日本では、孫武の存在も知られており、知識の輸入もあったところであるが、奥州のゲリラ戦の反省から、陣形というものの効果が認められず、その後力自慢が仲間を引き連れ、士気や個人の武力、機を捉えて戦うといった戦術が発展していった。 本格的な戦術は、武田信玄の登場を待つが、その後も一般化されることはなく、鶴翼、魚鱗など大きく広がる、密集する程度の認識であったとのこと。 作者は指摘される日本の陣容についても、関ヶ原の鶴翼など、誤りを指摘しており、ついに日本では陣形は発展しなかったとのこと。
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「天と地と」を読んだとき、車懸りの戦法はものすごい運動量ですぐバテてしまうだろうにと思った。 本書の内容なら納得。
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明快に陣形の歴史を概観できた。といっても陣形らしい陣形はなく、鶴翼のばっさり、魚鱗のびっしり、くらいしかなかった。たしかに小領主が自分の一族郎党を率いた舞台の集合体に細かく指示できるわけでもなく、兵種も混合しているので、ただ個人の武勇や物量で勝敗が決まった。戦国時代、新たな戦陣を...
明快に陣形の歴史を概観できた。といっても陣形らしい陣形はなく、鶴翼のばっさり、魚鱗のびっしり、くらいしかなかった。たしかに小領主が自分の一族郎党を率いた舞台の集合体に細かく指示できるわけでもなく、兵種も混合しているので、ただ個人の武勇や物量で勝敗が決まった。戦国時代、新たな戦陣を編み出そうとしたのが武田信玄と山本勘助。だが、これも捨て身の村上義清に破られ、義清の陣形を取り入れた上杉謙信に敗れで、機能しなかった。結果、村上義清が信玄の首を取るためにやけっぱちで編み出した五段階の陣形が上杉謙信、武田信玄、北条氏康らに取り入れられる。大名が強い権力とお金を持ち、強力な馬廻を組織できて可能になる。織田信長は明智光秀が取り入れた可能性があるくらい。豊臣秀吉以降、全国に広まり、朝鮮でも猛威を振るった。江戸時代はこれが定型となる。シンプルに鉄砲、弓で敵陣を崩し、槍で押し込み、騎馬と刀の白兵戦で決着をつける。石高に応じた馬と槍と鉄砲と人数を軍役として課すことで均一な軍隊が誕生した。八陣などは風后の神話を諸葛亮が推測して八陣を考えのが日本に伝わり、信玄が創造し直したがやはりうまくいかない机上の産物だった。しかし江戸時代、実戦がない中で信玄の八陣が蘇り、甲州流軍学として後世に大きな影響と誤解を与えた。
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資料の無いなかで、室町時代以前の合戦についても、分析を試みているのに驚く。川中島や三方ヶ原や関ヶ原についても、兵種ごとの配置、運用に思いを巡らせ、信頼のある資料と矛盾しない範囲で膝を打つような説明を見せてくれている。 旧陸軍の作戦研究でも、日本史上の合戦についてはいろいろ分析して...
資料の無いなかで、室町時代以前の合戦についても、分析を試みているのに驚く。川中島や三方ヶ原や関ヶ原についても、兵種ごとの配置、運用に思いを巡らせ、信頼のある資料と矛盾しない範囲で膝を打つような説明を見せてくれている。 旧陸軍の作戦研究でも、日本史上の合戦についてはいろいろ分析していたのかもしれないが、近代戦闘の分析視点でみると誤ってしまうのだろう。そもそも日本には数万騎といわれる大軍を展開して騎走を恣にする場は、ほとんどなかったのではないか。
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前書きでは「陣形の面白さを伝えたい」といっているが、陣形の面白さを伝えることよりも、如何にこれまでの陣形論が間違っていたかを述べる方に主眼を置いた本。 「鶴翼の陣がこれまで考えられてきた隊列とは異なる」など著者の主説はわかるが、それが正しかったからといって、歴史学者でもなければ...
前書きでは「陣形の面白さを伝えたい」といっているが、陣形の面白さを伝えることよりも、如何にこれまでの陣形論が間違っていたかを述べる方に主眼を置いた本。 「鶴翼の陣がこれまで考えられてきた隊列とは異なる」など著者の主説はわかるが、それが正しかったからといって、歴史学者でもなければ何の意味があるのか? 自説のうえにそれによって得られる付加価値を述べて欲しいと感じてしまう。 長々と歴史考証を重ねた上で最後に「兵法の真髄は空っぽだった」と締めるのも興ざめ。
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