新訳 弓と禅 の商品レビュー
2016年64冊目。 西洋哲学の研究者であった著者が、日本滞在中に学んだ弓道の中に禅の思想を見出していく。 的を狙ってはいけない。射ようと思って射てはいけない。 「無心」の為せる技。術なき術。 満を持した時に自然と放たれる矢は、「私」ではなく「それ」によって放たれているという。...
2016年64冊目。 西洋哲学の研究者であった著者が、日本滞在中に学んだ弓道の中に禅の思想を見出していく。 的を狙ってはいけない。射ようと思って射てはいけない。 「無心」の為せる技。術なき術。 満を持した時に自然と放たれる矢は、「私」ではなく「それ」によって放たれているという。 自己に集中しているようで、自我を手放している。 マインドフルネスに関心が高まっている中、この本はとても面白い。
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海外で日本哲学を学ぶ際に避けては通れない本らしい。 戦前の日本にきたドイツ人が、弓を通して日本の文化や禅について体験した事を書いている。 非常に静かで、時間の流れか現代とは違う。 しかしその事で自分との対話が今よりもできたているのではないか?と思いながら読んだ。
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無心になることで、自然な離れがなる。弓道の修行を通じて、禅の真髄を知る。ドイツ人の視点から見た、日本人の精神性。
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講演録と「弓と禅」を一冊に収め、新たに訳したもので、充実した解説も付されて、オイゲン・ヘリゲルが経験したことがより深く理解できるようになっています。何度読み返しても感動します。
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2部構成で、1部はドイツでの講演会。 岩波は、仙台での講演会。 わかりやすいのは、岩波。 福村のはむずかしいので、 あんちょこで、これ。 でも、読んでよかったわ。 人生の問題の9割がたのところまで来た。
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ドイツの哲学者が弓を学ぶことで禅の世界へアプローチするその体験を綴った本。 自分が日本人なので不思議とさへ思わなかったことが多くあることに気づかされる。例えば旧来の武器であった弓がその役目を銃や砲に譲ったあとにも残り、それはスポーツとしてではなくむしろ精神修養としての役割を担って...
ドイツの哲学者が弓を学ぶことで禅の世界へアプローチするその体験を綴った本。 自分が日本人なので不思議とさへ思わなかったことが多くあることに気づかされる。例えば旧来の武器であった弓がその役目を銃や砲に譲ったあとにも残り、それはスポーツとしてではなくむしろ精神修養としての役割を担っていたり。昔の日本には西洋でいうスポーツってない気もしてくる。肉体を鍛えるために何かをするって発想が日本には乏しいのかな、だって真面目に働いていれば体は逞しくなるのが当然の時代だから精神修養に重きを置かれるのか。そんなこんなで未だに高校球児は修行僧のようになっているのかとも思う。日本人はどこへ進もうとしてたんやろ。 あと、達人で連想したのは中島敦の名人伝だった。
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古典的名著。 マインドフルネスなどで仏教や禅などが注目されている今こそ改めて読む価値があるかもしれない。 ドイツ人哲学者の文章なので小難しい表現もあり翻訳の難しさもあるだろうがこの本は新訳なので非常に読みやすくなっている。 とても面白かったです。
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全てに合わせながら、全てを自らに適応させる水のように「無心」になるにはどうすればよいのか。 ドイツ人哲学者であるヘリゲルが弓の修行を通じてそれを得るまでの過程を述べた本書は、外国人が禅を知るための本として、スティーブ・ジョブズも愛読していたと言うことで手に取ってみた。 原著は6...
全てに合わせながら、全てを自らに適応させる水のように「無心」になるにはどうすればよいのか。 ドイツ人哲学者であるヘリゲルが弓の修行を通じてそれを得るまでの過程を述べた本書は、外国人が禅を知るための本として、スティーブ・ジョブズも愛読していたと言うことで手に取ってみた。 原著は60年も前のものだが、この新訳では文章をより分かりやすく見直すとともに、師匠の阿波研造の解説も加えられており、背景を含めて弓と禅の理解を深めることができる。 そして、師匠からヘリゲルに送られた弓は、現在、円覚寺に蔵されているという。 弓をやったこともなく、「無心」になる経験は出来ずとも、本書を片手にいつか訪れて、それに思いを馳せてみたい。
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