消えたイングランド王国 の商品レビュー
ノルマン朝成立以前の統一イングランド142年を追う一冊。治世の当初からのデーン人の侵略への対応が、最終的にノルマンの征服を招き寄せたとも言えるのか。エゼルレッド2世がやはり転機だったのだろうか。
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『ノルマン・コンクエスト:1066 ノルマンディー公ウィリアムによる征服』 一般的に、歴史の教科書や歴史の本ではこのように書かれている。そして、フランス王朝史がメロヴィング朝から始まるように、英国王朝史はノルマン朝から始まる。しかしこの辺が実はわかりにくい(何がわかりにくいのかは...
『ノルマン・コンクエスト:1066 ノルマンディー公ウィリアムによる征服』 一般的に、歴史の教科書や歴史の本ではこのように書かれている。そして、フランス王朝史がメロヴィング朝から始まるように、英国王朝史はノルマン朝から始まる。しかしこの辺が実はわかりにくい(何がわかりにくいのかは本書で指摘されてはじめて気づいたわけだが)。 ①"征服"されたということは、ノルマン朝前に征服されるべき王国・王朝があったのでは?なぜノルマン朝からであるかのように語られる? →現英国王室は、ウィリアム1世を開祖とするのを通例としている。 なるほど。他でもない英国王室がそういう見解なら、一般向け解説書で殊更ノルマン・コンクエストが強調されるのもわかる。なぜ英国王室がそういう見解なのかまではわからなかったが。 ②何をもって「征服」と言うのか。(なぜたった一日の戦いでイングランドは征服されてしまったのか) →誰が王になろうと自分たちに大きな影響はないという認識の甘さ故の諦観。その結果、国の重要ポストをほとんどノルマン人(フランス人)に乗っ取られてしまった。 ****** 6世紀頃から七王国(ヘプターキー)登場。 787年 デーン人襲来。 878年 ウェセックス王国のアルフレッド大王、デーン人と休戦協定。統一国家の足固め。 924年 アゼルスタン王、「イングランド王」を名乗る。
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現在のイギリスの姿は、アングロサクソン人だけが形作っているわけではありません。 デーン人やノルマン人などのアウトサイダーが、次々と押し寄せ勝っては負け、彼らを受け入れざるを得なかったのです。 その紆余曲折、波乱に満ちた歴史が綴られた一冊。
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英国史における1066年のノルマン征服とはフランス人による新しい国家建設であり、これから英国はフランス語を話す国になった!というアッと驚く話から始まる。それが国連安保理の場で英国ストロー外相が語ったという凄い現実。話はそこから、一気に惹き込まれる。アルフレッド大王の子息ウェセック...
英国史における1066年のノルマン征服とはフランス人による新しい国家建設であり、これから英国はフランス語を話す国になった!というアッと驚く話から始まる。それが国連安保理の場で英国ストロー外相が語ったという凄い現実。話はそこから、一気に惹き込まれる。アルフレッド大王の子息ウェセックス王・アゼルスタンを中心とした871年の7王国のイングランド統一、その後デーン人との戦い、そしてノルマン征服・・・。英国のこの時代は全く知らなかっただけに新鮮!ウィリアム征服王とハロルドの1066年の闘いが一本の矢により偶然ノルマン軍の勝利になったとのこと。ハロルドは最後のアングロサクソンの王・戦士として闘い、これ以後はノルマン、デーン、ノルウェイなど各民族の入り混じったイングランドが生まれたという。今の王室との遠い先祖はフランス人ウィリアム征服王!それをどう考えるのか、日本人からは難しい事情だと思えた。
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※このレビューにはネタバレを含みます
イングランドが統一される以前の七王国時代,大ブリテン島南部に領土を持っていたウェセックス王国のアルフレッド大王がまず統一の礎を築き,大王の息子エドワード長兄王が進入してくるデーン人との戦いを制し,大王の孫アゼルスタンが初めてイングランド国王を名乗ったのが924年。 それから,ウィリアム征服王が即位しノルマン朝が始まる1066年まで142年間続いたイングランド王国の激動を,時の王や有力者,戦闘などを交えて物語風にわかりやすく解説した本。 旅行などで主に必要となる英国王家の知識はノルマン朝成立以降のものであることが多いため,知識の網から抜け落ちていた時代の物語であるため大変興味深く面白かった。
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