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蘇我氏 古代豪族の興亡 の商品レビュー

3.6

21件のお客様レビュー

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2016/09/01

歴史における個人並びに氏族の表記とは、世の中に名を轟かせた者のみのことであり、滅亡と言われても総てが死に絶えたわけではない。 この当然の原理を本作は古代豪族蘇我氏で追っていく。 聖徳太子・蘇我氏が好きで、子供の頃から何冊も蘇我氏にまつわる本を読んできたが、本書はその中でも実に時代...

歴史における個人並びに氏族の表記とは、世の中に名を轟かせた者のみのことであり、滅亡と言われても総てが死に絶えたわけではない。 この当然の原理を本作は古代豪族蘇我氏で追っていく。 聖徳太子・蘇我氏が好きで、子供の頃から何冊も蘇我氏にまつわる本を読んできたが、本書はその中でも実に時代を下り平安時代まで蘇我一族を追っている。 統合分離、改姓を経て、没落していく様は、どの時代の栄華もとき変われば台頭され衰退する大原理を改めて実感させられる。 歴史は繰り返すの本髄のように、蘇我vs藤原、両者の類似点が浮き彫りに見えたように思うが、私が蘇我好き故の鎌足・不比等嫌いなだけだろうか?

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2022/06/01

大化の改新によって滅ぼされた悪の豪族蘇我氏。 というのが大方の認識だろうが、実は違う。 大化の改新で滅ぼされたのは蝦夷、入鹿の本宗家だけで、蘇我氏自体はきっちり残って役割を果たしていく。 教育は、大化の改新虫殺しなどといって、645年だろうが646年だろうが大差ない知識...

大化の改新によって滅ぼされた悪の豪族蘇我氏。 というのが大方の認識だろうが、実は違う。 大化の改新で滅ぼされたのは蝦夷、入鹿の本宗家だけで、蘇我氏自体はきっちり残って役割を果たしていく。 教育は、大化の改新虫殺しなどといって、645年だろうが646年だろうが大差ない知識レベルの子どもたちに、その数字だけを埋め込んでいく。蘇我氏の功罪など習った覚えもない。 蘇我氏は後に没落していったとはいえ、それが滅亡を示すわけではない。史実とはぜんぜん違うのだ。けれど『日本書紀』の編者としては、善と悪とのコントラストが欲しかったのだろう。 不確かなことも多々あるが、そういうことに、僕らはもっと敏感になっていかなければならない。蘇我氏は表舞台からは引っ込んだが、後に藤原氏が勃興してくる。それ以降も、蘇我氏的、藤原氏的な存在は現れ続ける。 兎に角、人名と地名が多く、漢字率が以上に高くて、タフな読書を強いられる面もあるが、頭の洗濯になったよ、いろんな意味で。

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2016/05/18

蘇我氏が天皇家との外戚関係で権力を築いていったことは藤原氏の先例。同じく外戚を築いた葛城氏が没落し、蘇我氏は稲目から突然生まれるが、葛城氏とは蘇我の先祖伝承だと主張する。彼らは開明的な海外との取引を進めた一族で決して守旧派ではなかった!そして蝦夷・入鹿の死後も蝦夷の弟・蘇我倉麻呂...

蘇我氏が天皇家との外戚関係で権力を築いていったことは藤原氏の先例。同じく外戚を築いた葛城氏が没落し、蘇我氏は稲目から突然生まれるが、葛城氏とは蘇我の先祖伝承だと主張する。彼らは開明的な海外との取引を進めた一族で決して守旧派ではなかった!そして蝦夷・入鹿の死後も蝦夷の弟・蘇我倉麻呂一族(後の石川氏)によって実権は継続していたのであり、乙巳の変(大化の改新)は蘇我氏内部の抗争の色彩が強かった。壬申の乱では倉麻呂の三男連子の系統だけが天武側につき、他の兄弟は大友側に。反大海人派との負のイメージが強い蘇我の名前を捨て、石川氏に。そして藤原不比等の妻(連子の娘・娼子)を通して武智麻呂、房前、宇合へ、蘇我の血は受け継がれ、一方、石川氏そして蘇我に因む名称に戻った後の宗岡氏、宗岳氏などは、平安時代に犯罪人も何人か出るなど、寂しい末路の記録を詳細に語る。この他、蘇我系統として田中、田口、岸田、桜井などの名前が登場することも楽しい。

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2016/05/15

蘇我氏の興亡の歴史。中大兄皇子と中臣鎌足による大化の改新で蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿の系列は断ち切られたが、親せき筋は石川氏と姓を変え平安時代まで実務官僚としてくらいを落としながら生き延びることになる。またそれ以降、宗岳氏に姓を戻すが記録からは途絶えてしまう。長宗我部氏などは地方...

蘇我氏の興亡の歴史。中大兄皇子と中臣鎌足による大化の改新で蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿の系列は断ち切られたが、親せき筋は石川氏と姓を変え平安時代まで実務官僚としてくらいを落としながら生き延びることになる。またそれ以降、宗岳氏に姓を戻すが記録からは途絶えてしまう。長宗我部氏などは地方にて武士化した蘇我氏の末裔の可能性もある。 もともとは葛城郡のあたりで、渡来人などを従えた有力氏族で、天皇家と婚姻関係を深めてのちの藤原氏の勢力発展のモデルのさきがけとなる。大化の改新以降は藤原氏に代わられるが、蝦夷、入鹿系列以外は藤原氏川に付いたものもおり、藤原不比等の妻に蘇我氏の娘がなるなど、高貴な血筋として奈良時代の初めは通用していた可能性が高い。その後はおそらく藤原氏に疎まれて、洋食からは外されていく。

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2016/03/26

蘇我氏は大化の改新=乙巳(いっし)の変で滅んだわけではない。 蘇我石川麻呂の存在、馬子、蝦夷、入鹿が開明的な政治家で決して反逆者ではなかことは知ってたが、壬申の乱で本流蘇我が滅んだこと、奈良・平安時代にも本流以外の氏族が生き延びたこと、藤原氏にその地位を譲ったこと(藤原氏の皇族と...

蘇我氏は大化の改新=乙巳(いっし)の変で滅んだわけではない。 蘇我石川麻呂の存在、馬子、蝦夷、入鹿が開明的な政治家で決して反逆者ではなかことは知ってたが、壬申の乱で本流蘇我が滅んだこと、奈良・平安時代にも本流以外の氏族が生き延びたこと、藤原氏にその地位を譲ったこと(藤原氏の皇族との結び付けで勢力を伸ばしたのは蘇我氏がその以前にやってきたこと)は知らなかった。石川氏等々の名前で存続、ソガ氏(宗岳氏)へ平安時代には復帰(改姓)したが祖先の栄光には程遠い。

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2016/03/11

皇族の蘇我氏との関わりを示すのに、「蘇我氏濃度 ◯/◯」という表現が用いられていて実にキモイ…。いやわかりやすくなってるのはいいんですが。 その後の蘇我氏に注目しているのが特徴で、本宗(石川氏)のみならず、同族氏にまでそれが及んでいる。 事前情報から蘇我氏に対して復権的というか...

皇族の蘇我氏との関わりを示すのに、「蘇我氏濃度 ◯/◯」という表現が用いられていて実にキモイ…。いやわかりやすくなってるのはいいんですが。 その後の蘇我氏に注目しているのが特徴で、本宗(石川氏)のみならず、同族氏にまでそれが及んでいる。 事前情報から蘇我氏に対して復権的というか顕彰的な面があるかもと危惧したが、それほどでもなかった。違和感なく読めた。たぶん十年前に見た遠山美都男氏の『蘇我氏四代』にイライラしすぎて耐性ができたんだろう。 水谷千秋氏の『謎の豪族 蘇我氏』は越えられないという評価にしておきます。

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2016/02/29

蘇我氏が乙巳の変で完全に滅んだわけではないことは知っていたが、その後のことは知らなかったので勉強になった。

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2016/02/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

20160126~0203 蘇我氏の栄枯盛衰を描いている。明日香・甘樫の丘・板葺宮等々の名前だけでハアハアしちゃう位には古代史ファンの自分にはとても興味深く読めた。大化の改新では一方的に悪者扱いされているけど、統治体制の将来像を巡って蘇我氏と中臣氏や一部皇族(中大兄とか?)が争った結果なのだろう。 そして、中級官僚から名もなき地方官などになって歴史に名を残すことなく広がっていったのだろうけど、後半は何か悲哀を感じたなあ。 原点資料を丹念に追っているのが信頼できる。

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2016/01/13

乙巳の変で蘇我氏全てが滅亡したわけではないよ!という本。 身分は下がっていったが、平安時代もそれ以降も蘇我氏は生き続けていたことが分かる。 不比等が蘇我の娘(娼子)を嫡妻とすることで「蘇我なるもの」になっていったというのはなるほどという感じではあるのだが、なぜ蘇我氏は「大臣」とし...

乙巳の変で蘇我氏全てが滅亡したわけではないよ!という本。 身分は下がっていったが、平安時代もそれ以降も蘇我氏は生き続けていたことが分かる。 不比等が蘇我の娘(娼子)を嫡妻とすることで「蘇我なるもの」になっていったというのはなるほどという感じではあるのだが、なぜ蘇我氏は「大臣」として重用され得たのかが気になるところ。

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2016/01/09

「蘇我氏を蒸し殺す(645年)大化の改新」と教わった我々は、あのクーデターで天皇家を乗っ取ろうとした不埒な蘇我氏は滅び、律令国家へ向けた歩みが始まったと考えている。しかし、その後の歴史には蘇我赤兄や蘇我果安といった人物が登場する。大和盆地と河内の要地を抑えた蘇我氏がそう簡単に滅び...

「蘇我氏を蒸し殺す(645年)大化の改新」と教わった我々は、あのクーデターで天皇家を乗っ取ろうとした不埒な蘇我氏は滅び、律令国家へ向けた歩みが始まったと考えている。しかし、その後の歴史には蘇我赤兄や蘇我果安といった人物が登場する。大和盆地と河内の要地を抑えた蘇我氏がそう簡単に滅びるはずもなく、プロパガンダ虚飾された歴史は解釈を加えながら読む必要がある。 その立場でいうと、例えば、蘇我氏は実質的な大王家だったのではないか、と読む向きがあり、そのような本も多いのだが、本書はその立場はとらず、あくまで日本書紀と後続の公刊史書を読み解きながら、蘇我氏の歴史を追ってゆく。 そもそも、本当に律令制が始まったのは8世紀の藤原不比等の時代であり、7世紀中葉の時点では皇族(百済王族)と蘇我氏内の権力争いに過ぎなかった。やがて白村江の戦を経て国の形が落ち着くと、不比等は壬申の乱で天武天皇を支えた古代豪族たちを天孫族、つまり神であると祭り上げながら、国家が直接土地を支配し、その国家を藤原氏が支配する戦略に出る。そんな時代にあって歴史家によっては大王家とも擬された蘇我氏はどんな歴史を刻んだのか、丹念に追ったところにこの本の価値があるのだと思う。

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