誰がネロとパトラッシュを殺すのか の商品レビュー
フランダース(ベルギー)人の著者らによる、「フランダースの犬」を題材にしたドキュメンタリー。「ベルギー行ったときに聖地巡礼したら、現地の人フランダースの犬全然知らん」という類のエピソードは有名だと思うが、それがどういう事情で発生しているのかを原作小説、アメリカでの映画群、そして日...
フランダース(ベルギー)人の著者らによる、「フランダースの犬」を題材にしたドキュメンタリー。「ベルギー行ったときに聖地巡礼したら、現地の人フランダースの犬全然知らん」という類のエピソードは有名だと思うが、それがどういう事情で発生しているのかを原作小説、アメリカでの映画群、そして日本のアニメたちを通じて解説する。 先んじて「パトラッシュ、フランダースの犬――メイドインジャパン」というドキュメンタリー映画が製作されており、本書はその内容をさらに掘り下げたものだという。そのためか本書に関しても日本アニメの解説が異常に精密である。カルピスこども劇場版の全52話を1話ずつ解説するという力の入れようだ。 本書はある意味ヴィクトリア朝イギリス、20世紀ハリウッド、戦後昭和日本、そして現代フランダースの文化比較でもあるように感じ、なかなか面白かった。結局のところ、前者三つのどれともフランダースの価値観とは相容れなかった。だから原作も、映画も、アニメもフランダースではほとんど認知されなかったのだろう。 さて、本書はフランダース人がフランダース人に向けて記したものである。そのため、他国のフランダース像も受け入れてあげていいんじゃないか的な論調である。だけど日本人である僕としては「こんな本が書かれるくらい現地の人聖地巡礼に来た日本人のこと持て余してるのか」という微妙に申し訳ない気持ちになってしまった。旅行するときは現地の人を困らせないようにしよう。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
kindle化されていなかったのでかなり久々に紙の本で読んだ。紙の本を読むのは3年ぶりぐらいな気がする。 フランダースの犬について。 ・ベルギーのフランダース地方(北側)で殆ど無名だが、日本では悲劇としてアニメ化され、アメリカではハッピーエンドで映画化された、イギリスの作家の作品。 ・1872年、イギリスの作家であるウィーダは真実を織り交ぜる系のデフォルメが好き。なので本作も様々なフランダース地方っぽくない情景が描かれる。 ー積雪なんてあんまりしないのに150センチも積もる雪。(12月の平均降雪日数は4日。過去最高積雪17cm) ーそもそも衣装や家の作りがフランス。( ーそもそもネロの出身がアルデンヌ地方(ベルギーのオランダ側)でマース川沿いのディジョン生まれとなってるが、ディジョンはフランスの街だしマース川沿いでもない。 そもそも論として、ウィーダの作風がこういった各地のいいとこ取りから妄想される舞台である。 ・半世紀に及ぶベストセラー作家だから金持ちなのだが、金遣いが荒すぎて金が無いタイプの女性でフランス人とのハーフ。 ・時代背景も、1872年の前年まで普仏戦争があった。 ・無類の犬好きで、かつしつけはしないタイプで大量の犬と母親とメイドで行動していた。フランダース地方は戦争の影響もあり犬を労働力として使っていたのでその揶揄も含まれていた様子。(また、自分の半分を流れるフランスの血がベルギーを罵りたかったのかも) ・元ネタは短編小説で、画家を目指す貧しい少年が虐められてた犬を引き取って牛乳配達しながら、貧しさに負けて犬と一緒に雪道で野垂れ死ぬ話。 ・アメリカ版フランダースの犬は、画家を目指す少年が無事画家になるというハッピーエンド。所謂アメリカンドリームを実現する話。 ・日本版は最後は教会で息を引き取り天使に連れられて天国に行く。 ・日本版、実はスポンサーのカルピス社長が敬虔なクリスチャンで、キリスト教的考えを広めようとして作った。また、日曜夕方の家族で見る時間帯なので、家族愛に溢れた仕様に変わっている。 ・フランダース地方では、ホーボーケン(ネロの家)とアントワープ(牛乳売りに行った都会)が観光名所となるべきだが、ホーボーケンはアントワープに行政統合されており、ホーボーケンに銅像があるがアントワープ側には小さいモニュメントがあるだけ。アントワープ側をこれ以上名所にしたらホーボーケン側が文句を言う。ちなみにどちらももはやかなりの先進都市化しているらしい。(元々、あの長閑な風景はそもそも存在せず、オランダ的な雰囲気だが) ちなみに、オランダとベルギーは中国と日本みたいなものなので、よくある上海とかの雰囲気が日本として描かれているのがフランダースの犬を現地人が見た時に思うもの。天使が連れていく描写は失笑ものらしい。
Posted by
自分の文化が海外からどの様に見られているかを目の当たりにすることは,心地よいことも心地悪いこともあって,外国の人からしたら「賞賛」の対象でも,自国民としては「それはちょっと…」って事は当然あって,「フランダースの犬」が,まさにフランダースの人々にとっては触れてほしくない,あるいは...
自分の文化が海外からどの様に見られているかを目の当たりにすることは,心地よいことも心地悪いこともあって,外国の人からしたら「賞賛」の対象でも,自国民としては「それはちょっと…」って事は当然あって,「フランダースの犬」が,まさにフランダースの人々にとっては触れてほしくない,あるいは見て欲しくない姿なのだろうとは容易に想像がつく.日本人だっていつまでも「スシ,ゲイシャ,ハラキリ,サムライ」では,「そりゃちょっと…」となるだろう. とはいえ,フランダース地方を訪れた経験からすると,アントワープは,大変友好的だったと言う印象しかなくて,日本で11年働いていたと言うウェイターに,日本語で見所を教えてもらい,ノートルダム大聖堂では,後ろから「日本の方ですか?」ときれいな日本語で話しかけられ,振り向けば青い目の金髪の青年が,日本語のパンフレットを手渡しながら「今日はオフィシャルな日本語ツアーがない日なんですが,私で良かったら案内します」と,ガイドを引き受けてくれたり,Dekonink目当てに入ったビアバーでは,周囲の皆さんから「日本から来たのかぁ!」と歓迎してもらい…フランダースの犬なんか無くても1000%楽しめたわけで,筆者が言うほど,日本人はアントワープに失望してないですよ,とは伝えておきたい.
Posted by
自分が日本文化の価値観の中で生きてて、でも外国は違ってて多様なんだよ、って言葉では軽く言っちゃうけど、実感できるレベルに具体的に落とし込んだら、例えばこれです、みたいな。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
へー…の連続で面白かったです。 ・原作者の波乱に満ちた人生(印税ではなく版権売渡を選択したこともあり困窮のうちに死亡) ・フランダースの犬はアメリカで5回映画化されている(最新は1999)がすべて凡作(なおすべてアメリカンドリームのハッピーエンドに改められている) ・カルピスがアニメシリーズのスポンサーをしていた理由の一つは『当時のカルピス社の社長は熱心なキリスト教信者で』『キリスト教とそれがよって立つ価値観を日本の若い世代に広める絶好の機会だと考えた』 ・日本に流入した後も流転するエンディング(原作はネロとパトラッシュを殺すことで非情な世間を糾弾(「カジュアルベイカンシー」を思い出した)/日本では死に意味を持たせたりする) ・フランダース人は原作が特に好きではない(これは日本人が特に蝶々夫人やミカドが好きではないことに通じるか?)ネロとパトラッシュは人生の負け犬と考えられている
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「フランダースの犬」は過去5回、ハリウッドで映画化されているんですが、5回ともハッピーエンドだという事を知ってますか?? ベルギー人には全く馴染みの無い作品「フランダースの犬」に関する、原作者の意図と背景から始まり、5つのハリウッド映画に関する解説と、3つの日本におけるアニメ化作品の解説を行った上で、最後にそれらに対する分析を行った本。一見ふざけたタイトルに見えますが、著者は日本のアニメとオタク文化の研究で博士号を取得した人なのでかなりガチ!特に、1975年に日本で公開された全52話のベルギー人目線から見た全話解説は必見!! ホント深い内容なのでしっかり読んで欲しいですが、ポイントとなる点を幾つか紹介します☆ -------------- ・原作者ウィーダは、異国の地であるベルギー社会に対する強い抗議を込めて本作品を仕上げた。 ・アメリカの親は一般的に、自分の力を信じ、自分の置かれた悲惨な社会的状況から脱出するような物語を子供に見せたいと思っている。 ・一方、日本の親は、子供が他人の悲しみや苦しみに共感する能力を養う事が重要だと考えている。 ・その理由として、日本という社会が自分の行動を抑制したり相手を援助したりする自己犠牲の精神によって成り立っている点が大きい。
Posted by
米国で映画化された際の話の結末や、フランダース地方における物語の受け入れられ度合いと、それによる日本人観光客が現地を訪れた際の状況など、それぞれの視点からの話があり、とても面白く、歯がゆさを表現した内容であった。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
☆オランダ、フランダースでは、ほぼ無名の小説がなぜ、日本で流行っているのか。日本人の心の琴線に触れる。ただ、フランダース人にとって、貧しい時代の話であり、あまり思い出したくないらしい。 (関連)フランダースの犬 岩波少年文庫
Posted by
ベルギー人が、フランダースの犬について研究した結果を書いた本。日本では、誰もが知っているフランダースの犬であるが、ベルギー人はその物語を知らない。なぜなら、本作品はイギリス人が英語で書いたもので、オランダ語やフランス語に翻訳されなかったからだ。ベルギー人のアイデンティティや価値観...
ベルギー人が、フランダースの犬について研究した結果を書いた本。日本では、誰もが知っているフランダースの犬であるが、ベルギー人はその物語を知らない。なぜなら、本作品はイギリス人が英語で書いたもので、オランダ語やフランス語に翻訳されなかったからだ。ベルギー人のアイデンティティや価値観からも、ネロやパトラッシュの生き方は受け入れられず、今でも無視された存在になっている。アメリカでは、5回も映画化されているが、そのすべてがハッピーエンドに書き換えられているなど、各国での文化、価値観によって受け入れ方が違うなど、興味深い内容であった。研究は精緻で、説得力あるすばらしい内容であった。 「これが奇妙なところだが、フランダースでは、「フランダースの犬」はほとんど無名だからだ。ベルギーでウィーダ(作者)は課題図書の作家ではないし、ネロとパトラッシュも歴史の遺産とはみなされていない。そればかりか「フランダースの犬」が海の向こうで何年もかけてたどってきた印象的な足跡のことを、フランダース人はまったく知らない。本書の始まりは、この対比にある」pix 「社会集団に関する記述や画像・映像は、その描写の対象となる他者について何かを語るというよりも、むしろそれらの表現が生まれた政治的・社会的な文脈、さらには表現者の関心や意図を伝えていることが多いからだ。画像・映像が客観的な情報を伝達できるはずだという説は長らく疑問視されている」pxi 「ウィーダはベストセラー作家であり、半世紀もの間ヒット作品ランキングの上位常連だった」p16 「フランダースの犬については、作家の死から100年となる現在までにアメリカ映画が5本、日本のテレビアニメシリーズが2本と劇場版アニメ映画が1本作られている」p30 「奇妙なことに、フランダースの犬はフランダースで生まれたものではなく、フランダース人がそれを輸出しているわけでもない。そこはハリウッドと日本がやってくれている」p31 「(フランダースの犬の)映画作品は、ウィーダの原作と同じく、ほとんどの部分が1872年のフランダースにかかわりがないばかりか、今日のフランダースとはまったく無関係である」p32 「アメリカの実写映画5作品は、いずれも国内外で成功を収めたとは言いがたく、もちろんフランダースでは全く知られていない」p68 「(日本のテレビアニメ「フランダースの犬」は)まず何よりもアニメというジャンルにおける傑作である。熟練の技とノウハウを示す貴重な逸品だ。作画のスタイルがすばらしく、ユーモアも優れている。そのうえ、物語と登場人物に対する愛情が画面からほとばしっている。テンポは完璧で、自然と四季の移り変わりに合致している。物語の構成ははっきりしており、毎回見覚えのある場面がはさまれるのにもかかわらず、飽きさせない」p74 「フランダースがオランダのように見えるというのは、大勢のフランダース人にとって我慢ならないことだ」p75 「フランダースの犬をめぐる物語は産業化を経る前の貧しい時代が舞台となっている。フランダース人としては思い出したくない過去だ。さらに、フランダース人の目から見ると、これは貧しく、何よりも人生に失敗する少年の物語であり、自分たちが打ち出したいイメージとは違う。フランダースがエネルギッシュで経済的にも豊かな地域としてその地位を固めようとしているいま、惨めな物語などごめんだ」p181 「イギリス人女性によって書かれたフランダースの犬はわれわれのものではないし、ネロとパトラッシュはフランダース人とはみなされない」p182
Posted by
原作の意図とは異なる解釈で、ラストシーンが描かれていたとは知らなかった。キリスト教的な、天に召されて救われるという事ではなかったとは・・・。文学は、異なる文化的背景により、解釈されていく。それはそれで、正しいあり方なのではないかと思う。
Posted by
- 1