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裁かれた命 の商品レビュー

4.3

16件のお客様レビュー

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2025/01/19

裁判によって「裁かれるのは誰か」。裁く人も裁かれる人も人生の重荷を背負っている。被告人のみならず、裁判に携わる関係者、そしてその仕組みのもとで暮らしている国民である自分も無関係ではない、と気づかされる。 人生の明暗を分けるその境界線は非常に脆い、という言葉は、だからこそ常に相手の...

裁判によって「裁かれるのは誰か」。裁く人も裁かれる人も人生の重荷を背負っている。被告人のみならず、裁判に携わる関係者、そしてその仕組みのもとで暮らしている国民である自分も無関係ではない、と気づかされる。 人生の明暗を分けるその境界線は非常に脆い、という言葉は、だからこそ常に相手の思いを聴く、相手の思いに馳せることが大事、ということにつながるのだと思った。

Posted byブクログ

2024/12/31

1966年に強盗殺人を犯し死刑判決を受けた長谷川武の生い立ちから最期までを裁判記録や関係者の証言、そして長谷川が検事や弁護士に送った手紙から追っていくノンフィクション。 死刑制度の存続の是非について考えていて(被害者側に立って考えがちで、どちらかと言えば賛成派ではあるものの)、...

1966年に強盗殺人を犯し死刑判決を受けた長谷川武の生い立ちから最期までを裁判記録や関係者の証言、そして長谷川が検事や弁護士に送った手紙から追っていくノンフィクション。 死刑制度の存続の是非について考えていて(被害者側に立って考えがちで、どちらかと言えば賛成派ではあるものの)、その一環で手に取った本。 かなり昔の事件で記録も少なく、なぜ大きな罪を犯すまでに追い詰められたのか詳細までは分からなかったものの、本来は大人しい性格で、反省し判決を受け入れつつも、生きたいと望むことが手紙を通して伝わってきて心を揺さぶられた。 当時は刑務所で鳥を飼うことが許されていたようで、小さな命を守ることを通して命の尊さを理解していく過程にも心を打たれた。もっと早くにそのような機会があればと願うばかりだった。

Posted byブクログ

2024/12/24

1966年強盗殺人の容疑で逮捕された二二歳の長谷川武は、さしたる弁明もせず、半年後に死刑判決を受けた。 長谷川は「自分が奪った他人の命は、たとえ自分の死をもってしても償い切れるものではない」と死刑を待つ間に気づいて手紙に書いていて、私はそのことに初めて気づいた。 命は一つしかない...

1966年強盗殺人の容疑で逮捕された二二歳の長谷川武は、さしたる弁明もせず、半年後に死刑判決を受けた。 長谷川は「自分が奪った他人の命は、たとえ自分の死をもってしても償い切れるものではない」と死刑を待つ間に気づいて手紙に書いていて、私はそのことに初めて気づいた。 命は一つしかないからたとえ犯人が死刑によって自分の命を使っても、それは償いにならない。となると、死刑は必要なのか?という気持ちになる。 遺族のために国家が犯人の命を奪うのも、本当に正しいのか?しかも、裁判員として自分が死刑に関わることがあるかも、ということがかなり怖くなった。

Posted byブクログ

2024/06/04

昭和41年の強盗殺人。犯行は計画的とされ、被告には極刑の判決。その彼が求刑した検事に送った手紙は感謝であった。罪を悔恨し、罰を受け入れ、従容として逝く。執行は5年後。国選弁護人ともやりとりされていた手紙。多岐に渡る取材先からみえてきたもの。凶悪犯とはまるで違う人物像。…酒飲みで電...

昭和41年の強盗殺人。犯行は計画的とされ、被告には極刑の判決。その彼が求刑した検事に送った手紙は感謝であった。罪を悔恨し、罰を受け入れ、従容として逝く。執行は5年後。国選弁護人ともやりとりされていた手紙。多岐に渡る取材先からみえてきたもの。凶悪犯とはまるで違う人物像。…酒飲みで電車に轢かれてしまった父。新聞売りで家計をつないだ母。家出したすぐ下の弟。生まれてすぐに養子に出された末の弟。勤め先の工場長。そして、裁いた法曹人達。各々の人生に落ちてた陰。突き付けるのは死刑の是非か…いや、それ以前に只管悲しい。

Posted byブクログ

2024/05/01

たまたまタイトルが気になって読んでみたらとても面白かった。人が人を裁くことと、その裁く対象にも人生がある人間であるって事を丹念な取材をベースに書いてた。事件としては特に目立つようなものではないのだけど、凄く良い調査報道だった。

Posted byブクログ

2024/04/27

ものすごく感動した。胸ふるわせながら読んだ。 その世界では有名な元検察官で法科の教鞭もとっていた土本武司さんのもとを別件の取材で訪れた著者は土本さんから手紙の束を見せられる。40年以上前に自分が死刑求刑し、最終的に死刑になり、執行までの間に長谷川武さんから送られた数通の手紙。恨み...

ものすごく感動した。胸ふるわせながら読んだ。 その世界では有名な元検察官で法科の教鞭もとっていた土本武司さんのもとを別件の取材で訪れた著者は土本さんから手紙の束を見せられる。40年以上前に自分が死刑求刑し、最終的に死刑になり、執行までの間に長谷川武さんから送られた数通の手紙。恨みつらみなどなく、じっくり話を聞いてくれたということへの感謝が綴られていた。この背景を著者は丁寧に追っていく。一人の人間が死刑になった背景が明かされるとともに、死刑制度のあり方にも迫る一冊。 読んでいて思ったのは、長谷川さんの周囲には誠実な人がたくさんいたんだなということ。土本さんは多忙ななかでも自分が死刑を求刑するかもしれないとして、長谷川さんの話をとことんまで聞こうとした。それが長谷川さんが土本さんを慕うことにもなった。死刑判決が出た長谷川さんとは手紙のやり取りを続け、さらには手紙から長谷川さんの更生を信じ、職務上冷静であるべき立場を半ば忘れたかのように減刑に向けた働きかけまでした。長谷川さんがこの世を去った後のことだが、検察官として知っておくべきと死刑執行の場に立ち会うことまでした。 二審の国選弁護人を務め、上告では選任弁護士を務めた小林健治さんも、自分の持ち出しで弁護を務めたようなもの。長谷川さんとの手紙のやり取りも多く、子どもたちもがしっかりと記憶していた。 長谷川さんは強盗に入った先で主婦を殺害したのだけど、事件の犯人として出会った土本さんや小林さんだけでなく、事件以前から長谷川さんの周りにも誠実な人たち。 近所で学校が同じで大学教授になった清水透さん。一時は同じく長谷川さんを知る友人たちと長谷川さんの減刑嘆願をしようとした(被害者の気持ちを考えろと諭され実行しなかったけど)。さらに、長谷川さんを雇ってその腕を買っていた加藤義男さん。加藤さんは一審で弁護側の証人にもなった。殺人したのは明らかなのに、それでも長谷川さんに肩入れしようとしたのはなぜだろうか。 結局は、長谷川さんが手紙に書いたことを信じれば不幸にも殺してしまったわけであり、そして場合によっては死刑判決にならないような事件だったのに、偶然やタイミングで死刑判決が出てしまったというように読めた。 では、検察側や裁判官が怠慢だったかというとそういうわけでもないように読める。彼らは彼らの職務を責任をもって果たしたように思える。それでも、本来、死刑になるべきでない人が死刑になった(ようにこの本を読んでいると思ってしまう)。でも個別のことだったり時代の空気間とか世間の関心度とかにもよってなので、死刑になるべき/なるべきでないとはどうにも決めようがない。言い換えれば、死刑という執行してしまえば取り返しのつかない極刑があることが問題だろうか。 土本さんは著者に「死刑というのは、命を奪うこと、つまり本来なら神様しかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。それは単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。それほど死刑というのは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」(p.16)と話していて、これはつまり、死刑になるということは反省などしなくてもいい。言い換えれば反省していない/反省しないと審判されたということではないだろうか。 だとすれば、逮捕当初から殺したことを認めていた。途中までは控訴もせず死刑を受け入れるつもりだった(小林さんが必死に生きるよう諭した)長谷川さんは、死刑になる人ではなかったように思える。 獄中からの手紙はどんどん浄化されていくかのようで、執行が決まり朝を迎えるまでに土本さん、小林さんに書かれた手紙は涙なくして読めなかった。埋もれてしまいそうな一件を著者は長谷川さんの生い立ちや兄弟のその後まで追っている。少々野次馬根性で読んでしまったけど、こうした周囲の状況を知ることでこの一件を、こういう生い立ちだからといった同情論でなく、多くを知ってなお長谷川さんの清らかさを信じることができる。この本によって長谷川さんは少しはうかばれたのではないかなとも思い、いや、長谷川さんはそんなことを超越していただろうと思い直す。 この本は、死刑があることの是非、死刑が絞首刑であることの是非、また刊行当時始まろうとしていた裁判員裁判の是非なども含んでいる。罪を犯しただけで敬遠されたり非可視化され、世論が死刑を求めるかのような空気になる時代。裁判員裁判も実際に行われているのだろうが、全然話題にならない。三権分立は成り立っているのかというような判決を聞くことも増えた気がする。敬遠しがちだけど、みんなで理解し考えないといけない課題が織り込まれている。

Posted byブクログ

2023/11/09

それはまだ「永山基準」と呼ばれる死刑基準が出来る前の ことだ。1966年に強盗殺人事件の容疑で逮捕されたのは 長谷川武、22歳。 ほとんど弁明もせずに、彼は一審での死刑判決を受け入れた。 しかし、母には受け入れがたい判決だった。母からの熱心な 懇願で、小林健治弁護士は二審の弁護...

それはまだ「永山基準」と呼ばれる死刑基準が出来る前の ことだ。1966年に強盗殺人事件の容疑で逮捕されたのは 長谷川武、22歳。 ほとんど弁明もせずに、彼は一審での死刑判決を受け入れた。 しかし、母には受け入れがたい判決だった。母からの熱心な 懇願で、小林健治弁護士は二審の弁護を引き受ける。 だが、一審の死刑判決が覆ることはなかった。1971年11月9日、 9時32分。28歳になった長谷川武は「従容として」刑場に消えた。 本書は、別件の取材で検事・土本武司の元を訪れていた著者に 獄中から届いた手紙を見せられたことから始まった、死刑制度を 問う作品だ。 それは、一審で死刑求刑を書いた土本へ、獄中の長谷川が 書き送った手紙だった。恨みつらみが書かれているのではない。 手紙には土本への感謝が綴られていた。 彼はどうしてこれを書いたのだろう。 既に長谷川本人はこの世にいない。世間を騒がせた重大事件では ない。悪い言い方だが、ありふれた強盗殺人事件だ。多くの 資料が残されている訳もない。 それでも著者は関係者を探し出し、長谷川の生い立ち、彼に影響 を与えたであろう母のルーツを探し当てる。そして、幼くして 養子に出された長谷川の弟さえ探し出した。 長谷川が手紙を送っていたのは土本だけではなかった。二審を 受け持った小林弁護士、事件直前まで勤務していた会社社長の 元へも手紙が送られて来ていた。 本書には長谷川が残した手紙全文が多く引用されている。そこ には自分の犯した罪を自覚し、罰を受け入れることで強盗殺人 事件の犯人とは思えないほどの心の穏やかさがあった。 人は、変われる。長谷川の手紙を読んでぼんやりと感じていた ことが確信に変わった。 勿論、古い事件だけに著者の取材でもはっきとは分からない 部分もあり、もやっとした気持ちになることもあったが根気よく 綿密に取材が行われたのが分かる良書だ。 死刑囚の待遇も、今よりは緩かったこともわかる。人間的に 接することで何かが変わることがあるのではないかな。 「悪い事をしたら罰を受ける、人を殺したら命で償うという のは分かりやすいロジックではあるけれど、死刑は法律が 認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。目の前で 動いている、生きている人間を殺すことなんですから。 死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」 死刑維持派と言われる土本の言葉だ。究極の選択をしなければ ならなかった検事の苦悩から、もう一度、日本の死刑制度を 見直してみてもいいのではないか。 死刑は、命ばかりか更生の可能性さえ奪ってしまうのだから。 骨太のノンフィクションはやっぱり読みごたえがある。

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2023/04/17

この記者の、取材対象への執念にはいつも驚かされる。 検事の葛藤がよくわかった。 昔の東京拘置所の寛容な対応や、教誨師の存在、立ち会った人たちによる処刑についての証言など興味深い。 私自身はどちらかというと廃止かな、くらいで死刑に対して強い意見を持っているわけではない。 ただ、本書...

この記者の、取材対象への執念にはいつも驚かされる。 検事の葛藤がよくわかった。 昔の東京拘置所の寛容な対応や、教誨師の存在、立ち会った人たちによる処刑についての証言など興味深い。 私自身はどちらかというと廃止かな、くらいで死刑に対して強い意見を持っているわけではない。 ただ、本書は、長谷川武が死刑判決を受けた後に更生している様子を見せていたことを受けて「あんなふうに変わってくれたのに死刑執行してよかったのか」と葛藤するということが描かれているが、私は、そもそも長谷川武があんなに澄み切った気持ちになれたのは死刑判決を受けたからなのではないか?と感じた。 生への諦念が生まれて初めて悟りを得たような心境になり、自分の罪と真摯に向き合えたのではないかなと。 たらればになってしまうし実際のところは分からないけど、難しいな。

Posted byブクログ

2022/06/26

苦しい、苦しく切ない死刑囚の話だ。 いつだって貧困やいじめはこのような悲しい事件を引き起こしてしまう。 28歳で執行された長谷川武死刑囚 貧しい生活の中で高級な腕時計をローンを組んで買っていた、贅沢すぎると怒られた時に自分はこの腕時計が欲しかったわけじゃない、いつも貧乏な生活で...

苦しい、苦しく切ない死刑囚の話だ。 いつだって貧困やいじめはこのような悲しい事件を引き起こしてしまう。 28歳で執行された長谷川武死刑囚 貧しい生活の中で高級な腕時計をローンを組んで買っていた、贅沢すぎると怒られた時に自分はこの腕時計が欲しかったわけじゃない、いつも貧乏な生活で我慢ばかりして引け目を負って生きてきたけど、この高価な品を持っているだけでなぜか心が安らいだ、安心できたと。 自分もみんなと同じ一人前の人間なんだと確認できたと。 ただ、ただ普通でいたいだけだったのにと思うと胸が締め付けられる。 最後の夜に食べたいと求めたラーメンとお寿司 寝ずに書いた手紙たち、28歳の彼の魂が切ない。 しかし、したことの罪は償わなければいけない現実に読んでいて苦しくなった。

Posted byブクログ

2021/08/05

社会の課題を見つめる新たな視点をもらえた。 取材力が凄まじい。 構成も素晴らしく、寝食を忘れて読んだ。

Posted byブクログ