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ハザール事典 女性版 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2025/08/07

『ハザール事典』は、セルビアの作家ミロラド・パヴィチが実験小説です。最大の特徴は、男性版と女性版という2つの異なるバージョンが存在することで、その違いはわずか17行です。 この小説は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの視点から構成される赤・緑・黄の3冊の辞書として物語が展...

『ハザール事典』は、セルビアの作家ミロラド・パヴィチが実験小説です。最大の特徴は、男性版と女性版という2つの異なるバージョンが存在することで、その違いはわずか17行です。 この小説は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3つの視点から構成される赤・緑・黄の3冊の辞書として物語が展開され、読者は項目を自由に選んで読み進めることができます。この非線形的な構造により、読者一人ひとりが異なる読書体験を持つことになります。 パヴィチの描く世界では、登場人物たちが他人の夢の中に侵入し、夢の中で出会い、時には夢の中で殺し合います。ある人物は、眠っている間に他者の夢を収集し、それを辞書として編纂しようとします。別の人物は、自分の体に文字が浮かび上がり、その文字が物語を紡ぎ出していきます。 特に印象的なのは、プリンセス・アテーという人物です。彼女は鏡に映る自分の姿と入れ替わることができ、鏡の向こう側の世界で別の人生を生きています。朝目覚めるたびに、どちらが本当の自分なのか分からなくなっていく彼女の物語は、アイデンティティの境界を曖昧にしていきます。 また、ある項目では、死者たちが生者の記憶の中でのみ存在し続け、忘れられることで二度目の死を迎えるという概念が語られます。17世紀の学者と20世紀の研究者が、時空を超えて同じ夢の中で論争を繰り広げる場面もあります。彼らは互いの時代について知っているはずがないのに、なぜか相手の運命を予言し合うのです。 パヴィチの文章は、読者の五感に直接訴えかけます。ある人物は「塩の味がする涙」を流し、別の人物の皮膚には「古い羊皮紙の匂い」が染み付いています。風は「死者たちのささやき」を運び、月光は「凍りついた時間の破片」のように描写されます。 悪魔的な存在として描かれる人物の一人は、相手の影を食べることで、その人の過去を知ることができます。彼が影を咀嚼する場面では、「記憶の味は苦く、後悔は酸っぱい」という感覚的な表現で、抽象的な概念が具体的な味覚として表現されています。 物語の中心となるのは、7-10世紀に実在したハザール王国の宗教改宗論争「ハザール論争」です。しかしパヴィチの手にかかると、この歴史的出来事は、天使と悪魔が人間の魂を賭けてチェスを指すような、形而上学的な戦いへと変貌します。論争に参加した宗教者たちは、単なる神学者ではなく、言葉で現実を書き換える力を持つ魔術師として描かれています。 女性版における17行の違いは、物語全体の解釈に微妙な、しかし決定的な影響を与えます。この違いは単なる商業的な仕掛けではなく、物語の多層性と解釈の多様性を象徴的に示すものです。性別によって異なる版を用意することで、パヴィチは読書という行為そのものに対する問いかけを投げかけています。 項目から項目へと飛び移りながら読み進める過程で、読者は探偵のように手がかりを集め、パズルのピースを組み合わせていきます。ある項目で死んだはずの人物が、別の項目では何事もなかったかのように登場し、さらに別の項目では、その死が全く異なる状況で語り直されます。この迷宮的な構造は、知識の不完全性と真実の相対性というテーマを見事に体現しています。 パヴィチの文体は詩的でありながら学術的、幻想的でありながら精緻です。彼は伝統的な物語の概念を解体し、読者に能動的な参加を要求します。この作品は単に読まれるものではなく、探索され、解読され、再構築されるべきテキストとして存在しています。 インターネット時代のハイパーテキストを先取りしたような構造を持つこの作品は、情報の断片化と非線形的な知識の獲得という現代的なテーマとも共鳴します。また、異なる宗教・文化の視点から同一の出来事を描くという手法は、今日の多文化主義的な世界観にも通じるものがあります。

Posted byブクログ

2025/04/17

どこから読み始めても、どこで読み終えても、何語に翻訳されても成立する本作。先に読了した「男性版」に引き続き。 「男性版」と本書との違いはほんの一部、それも全然決定的なものではなく視点が僅かに異なるだけ。いわゆる男らしさ・女らしさなどはどちらの作中にも無い。事典形式なのに虚実の区...

どこから読み始めても、どこで読み終えても、何語に翻訳されても成立する本作。先に読了した「男性版」に引き続き。 「男性版」と本書との違いはほんの一部、それも全然決定的なものではなく視点が僅かに異なるだけ。いわゆる男らしさ・女らしさなどはどちらの作中にも無い。事典形式なのに虚実の区別や各項目の統一性はごちゃごちゃ、食傷ぎみになるほど衒学的で、読み進めるうちに方向感覚すら惑わされるような気分になる本作——性差すら相対的で可変的だということ?

Posted byブクログ

2021/12/09

再読。一気読みするとミステリーとしての構造がはっきりと見え、初読時よりエンタメ小説らしく思えた。読み終えてからも各項目の読み直すのがまた楽しい。 前回はあまりに東欧について無知だったが、マイリンクの『ゴーレム』やストーカー『ドラキュラ』の想像力が生まれてくる風土を頭に入れて読み返...

再読。一気読みするとミステリーとしての構造がはっきりと見え、初読時よりエンタメ小説らしく思えた。読み終えてからも各項目の読み直すのがまた楽しい。 前回はあまりに東欧について無知だったが、マイリンクの『ゴーレム』やストーカー『ドラキュラ』の想像力が生まれてくる風土を頭に入れて読み返せば、惜しげも無く詰め込まれた奇譚の豊かさにクラクラする。アテーと鏡の話、人生の一日を閉じ込めた卵の話、天使と契約して聖画を描く悪魔の話、亀の甲羅に文字を彫ってやりとりする秘密の恋人たちの話など。特に妖婦エフロシニアに捧げたドラキュラオマージュの長詩は美しい。 また一気読みしてキリスト教(ギリシャ正教)、イスラーム、ユダヤ教、それぞれの資料の読み味の違いがよくわかった。キリスト教資料は幻想味が強く、物語として面白いものが多いが客観性に欠ける。イスラームの資料は神秘主義的な言い回しをするが、最後まで読んでからまた戻るとヒントの多い章。ユダヤ教の資料はカバラ主義的であると同時に歴史記述意識が高く、比較的客観的な目線で書かれていると思う。 史実ではハザールの王室はユダヤ教に改宗したとみなされている。本書では改宗の謎は謎のままだが、国が消滅し他者が見る夢のなかを転々として生きるハザール人は、セルビア人のパヴィチの手で、同じようにアイデンティティをめぐる争いに巻き込まれた人びとの抽象的なアイコンになったのではないかと思う。 辞典形式、広く言えばカタログ形式の小説は今じゃそう珍しくないけれど、やっぱり完成度でこの作品を凌ぐものには巡り会えそうにない。

Posted byブクログ

2016/02/15

これまでの読書体験とは一味違う新鮮な感動が味わえる。いくつものストーリーが複雑に絡み合っているので多方面から全体像を探る必要がある。これから読み返すたびに新たな発見がありそうで楽しみ。

Posted byブクログ

2016/01/25

2015.12.26市立図書館 しおりが赤、黄、緑と三本もついているのは伊達じゃない。限られた貸出期間で読める本ではなかった。また借りよう。

Posted byブクログ