禁断のスカルペル の商品レビュー
タイトルの「スカルペル」とは医療用のメスのことで、「禁断の」と頭につくのは、病気腎移植を巡る医療小説だからです。 日経新聞連載小説だったので読んでみました。 序盤は主人公の女医の院内不倫から始まり、離婚、失職・・・と泥沼化していくばかりで、ホントにこれが医療小説?と疑うほど...
タイトルの「スカルペル」とは医療用のメスのことで、「禁断の」と頭につくのは、病気腎移植を巡る医療小説だからです。 日経新聞連載小説だったので読んでみました。 序盤は主人公の女医の院内不倫から始まり、離婚、失職・・・と泥沼化していくばかりで、ホントにこれが医療小説?と疑うほどでした(苦笑)。 が、主人公が東北の病院に赴任してからは病気腎移植の是非が論じられ、丁寧な解説のお蔭で私にも分かりやすく、いろいろと考えさせられとてもよかったです。 しかし終盤、腎移植の調査員が偶然元不倫相手、移植を阻む派閥の長が実父(主人公は私生児)、患者は主人公の娘(幼児の時に離婚したので母を覚えていない)、とありえない設定に違和感ありあり。 更に東日本大震災まで絡めてある。それ、主題に必要だった?と突っ込みたくなりました。そして最後は家族の愛の物語みたいに締められてて、結局著者は何が書きたかったのかがよくわかりませんでした。 ただ、物語の中に出てくる患者の中で、娘から腎移植をしてもらい生き延びた父親が、その後東日本大震災でその娘を亡くしてしまうという辛い経験をします。 その父親の生死観が胸に刺さり、思わずその部分を写メしてました。 物語全体としては☆2の評価ですが、このセリフのために☆を一つプラスしました。 長いけど、最後にそれを書き留めておきます。。 私は一人で生きているつもりになっていたし、何事にもまず自分というものがある、と思い込んでいた。 でもね、そうじゃなかった。今度の震災でよくわかったんです。私はね、私一人じゃなく、例えば死んだ娘や、家族や、知り合いや、仲間や、その他の者たちとの記憶を共有していて、その記憶がなかったら、私は私じゃないんだ。そういう時間を取り除いたら、私ってものが消えてしまう。 私が生きるというのは、そういう他のモノとの繋がりで生きているんであって、一人で生きているんじゃない。死んだ者についていえば、私は震災を生き残った者として、死んだ純子や他の多くの者たちの記憶を整理して、 自分の心の中 にあの者たちが住まう場所をつくらなきゃいけない。そういう意味で、私というのは彼らの記憶そのものなんですよ。 だから純子は私が思い出すかぎり、私と一緒にいるんです。あの子がくれた腎臓は、それを思いだすためのよすがなのです。 偉そうなことを言うようだが、私たちの人生に意味があるかどうかなんて、実はわからないんだ。生命に意味があるかどうかも、わからない。じっさい、人間は生きて、死ぬのを繰り返すだけなのかもしれない。 だけど、ふと周りを見渡せば、私たちが死んだら、悲しむ者が確実にいるんです。私にとっては純子がそうだった。純子は私を死なせたくないばかりに、自分の腎臓をくれた。そして今、その思いが私を生かしている。 純子が死んでよくわかったんです。 私の死を必死に食い止めようとする者たちを、悲しませないためにも、私は生きなきゃならない。罪とか負債だとか言っていられない。私はあの者たちのお蔭で生きる意味を知った。あの者たちのためにも生きなきゃならないんです。
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病気腎移植(“病気”という単語が後ろ向きなので「修復腎移植」とも呼ばれるそうな)を扱った問題作。読み応えたっぷりでした。ただし、果たして3・11を絡める必要があったのか、疑問ではあります。ちなみに、「スカルペル」とはメスのことだそうです。
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2016.2.1.読了禁忌とされるある腎臓移植の是非を問うた作品。自業自得ともいうべきプライベートな失態から居心地がよかった東京の病院を辞め、東北の伊達湊市の陸前会伊達湊病院に職を得た泌尿器科医師柿沼東子。失意の中に得た新しい職場であった上に上司である陸奥鉄郎医師は外見も風変わり...
2016.2.1.読了禁忌とされるある腎臓移植の是非を問うた作品。自業自得ともいうべきプライベートな失態から居心地がよかった東京の病院を辞め、東北の伊達湊市の陸前会伊達湊病院に職を得た泌尿器科医師柿沼東子。失意の中に得た新しい職場であった上に上司である陸奥鉄郎医師は外見も風変わり、性格も相当エキセントリックで馴染めなかったのだが、周囲は陸奥医師に多大な信頼を得ている。しかし、陸奥医師の卓越した腎臓移植の手技、患者を思う高い志を知るにつけ、深い信頼を寄せていく。いま、ここにいる移植を必要としている患者さんにどう向き合うか…という根元的なテーマを鑑み、困難に立ち向かいながら最高の医療を禁忌を破っても施そうとする陸奥と協力していく東子の姿を描く。 禁忌とされれある腎臓移植の是非を問う大テーマは非常に興味深く、また、詳しく描かれる多分厚生省との対決も大変面白かったのだが、いかんせん、主人公東子の最初の失態があまりに愚かで人間性に共感できないのがとてもざんねんだった。本人もなんども後悔にくれ、涙しているのだから受け入れたらいいのだけれど、どうしても嫌だと思った感覚が抜けなかった。これが、男女逆の立場だったらそんなに抵抗はないと思うので、自分の感覚の古さに驚くばかり。後半に従い、人間関係に安易なご都合主義が散見し、残念だった。この作品は日本経済新聞に連載されており、私も途中から読んでいた部分もあるのだが、最初の設定を知らなかったのでもっと共感を覚えながら読んでいた。医師もあやまちをする普通の人間、そんな意図だったのかなと思ったが、では、それがもう少し生きた展開にした方がよかった。後半の東子のプライベートな行動の中にあまり人間としての成長が見られず苦笑いしてしまった。人間ドラマと医療ドラマは別にしたほうがいいのでは?と思った。医療小説としては☆5つ人間ドラマとしては☆1つという感想だった。東子に敵対する木村が、愚かな医師でありながら小気味よく思えてしまった。
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不倫により家族を失った女性医師が、逃れるように勤め始めた東北の病院で、医師として成長していく。 医学のかなり専門的な内容が出てくるものの比較的読みやすい。 ただ、前半のちょっと病的な女性が、こんなに変わるのか?というほどまともになるのかがちょっと不思議。
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「私はね、私一人じゃなく、たとえば死んだ娘や、家族や、知り合いや、仲間や、その他の者たちとの記憶を共有していて、その記憶がなかったら、私は私じゃないんだ。そういう時間を取り除いたら、私ってものが消えてしまう。私が生きるというのは、そういう他の者との繋がりで生きているんであって、一人で生きているんじゃない。」 東京での不倫騒動の末に離婚し子供を引き離されてしまった主人公――東子(はるこ)。 彼女が流れ着くのは東北の「伊達湊市」(文中の記述上からは石巻市辺りか)。 彼女がそこでめぐり合ったのは、中央の学会からは一歩距離を置き、地方都市で腎移植に特化し腕を磨き、高度な腎移植を成し遂げている医師グループであった。 彼らは学会ではタブーとされている病気腎移植で目覚しい成果をあげるが、やがて生まれる厚生労働省、学会との軋轢。 そうした経緯で官憲が入り、厚生労働省が圧力を賭けてきて、学界をも巻き込んで、東子らのグループを潰しにかかってくる。 その闘いにも勝利の兆しか見えてきたときに、あの3.11が襲い来る。 やがて病気腎移植を否定してきた学会の重鎮から「患者を病気腎移植で助けて欲しい」という連絡が入る。 何故に人は病気の腎臓を移植してまで生きねばならないのか・・・。3.11で一瞬にして懐かしい人々の命が奪われる過酷な体験の発露を経て、その意味が明かされる。
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病気腎臓移植の話は大変興味深かった。 病気腎臓移植成功者の話が作者が言いたかったことかしらと思った。 でも、ちょっと恋愛事情がドロドロしていて、主人公の恋愛観は好きになれない。
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