哲学な日々 の商品レビュー
特に以下の一文が刺さった。 共に喜べる人になりたい。 === ほめるものはほめられるものよりも優位に立つ。だからほめられたいと思う気持ちは、自分より優位のものを求めることにつながる。 子供は大人たちを出し抜き、追い越していかなければならないのに、ほめられようとして上目づかい...
特に以下の一文が刺さった。 共に喜べる人になりたい。 === ほめるものはほめられるものよりも優位に立つ。だからほめられたいと思う気持ちは、自分より優位のものを求めることにつながる。 子供は大人たちを出し抜き、追い越していかなければならないのに、ほめられようとして上目づかいになり、ほめてくれる人に自ら進んで隷属しようとする。 ほめて育てようとする人たちは、おそらく無自覚のうちに、そうして子供を支配しようとしている。 では、どうすればいいのか。ほめるのではなく、共に喜ぶこと。何かがうまくできたなら、一緒に喜んで、子供が感じている喜びを増幅する。そうして、その子が自分の内側から感じる喜びを引き出してあげるのだ。
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心に響くフレーズ ① 褒めて育てるという方針は、基本的に間違っている。褒められて育った子は、褒められるために頑張ることしかできない。では、どうすればいいのか。それは、褒めるのではなく、共に喜ぶことだ。 ② 接続詞を明確に使うこと。それが、論理的に書くために決定的に重要となる。...
心に響くフレーズ ① 褒めて育てるという方針は、基本的に間違っている。褒められて育った子は、褒められるために頑張ることしかできない。では、どうすればいいのか。それは、褒めるのではなく、共に喜ぶことだ。 ② 接続詞を明確に使うこと。それが、論理的に書くために決定的に重要となる。 ③ 解けそうもない難問をアポリアという。 ④ 教師も学生もなく、自由闊達に議論しあうこと、それが哲学の楽しさでもある。
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新聞に連載されていたエッセイと、雑誌などの媒体に掲載された少し長めのエッセイとで構成されていて、前半の新聞連載の部分はさらっと読める。哲学者が普段着で語ると帯に記されていたように、なんとも可愛らしいエッセイだった。読み進めるうちに、野矢先生がなぜ「大人のための国語ゼミ」を後に出版...
新聞に連載されていたエッセイと、雑誌などの媒体に掲載された少し長めのエッセイとで構成されていて、前半の新聞連載の部分はさらっと読める。哲学者が普段着で語ると帯に記されていたように、なんとも可愛らしいエッセイだった。読み進めるうちに、野矢先生がなぜ「大人のための国語ゼミ」を後に出版したのかがよく分かるエッセイも登場する。 後半の方が読み応えがあり、哲学者の本領発揮といった感じがして、わたしは好きだった。
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ウィトゲンシュタインの翻訳や著書で知られる野矢茂樹のエッセイ集。お堅いものではなく、哲学とは何?という人でも読めるような平易で力の抜けた、素であろう文体の小品集といったところ。いくつか重複してる内容はあるものの、全体を通してそっかー、そうだなー、と気追わず読める一冊。
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論理トレーニングの人の本ですが、これ同じ人なの?!?!って思うくらい、軽くてさらっと読める本です。野茂さん可愛い。実物もきっと可愛らしいおじさまなんだろうなぁ…。哲学哲学した話を期待して読むとちょっと違うかなとなるかもしれませんが、日本語も綺麗だし、嫌味もないし、さらっと読めるし...
論理トレーニングの人の本ですが、これ同じ人なの?!?!って思うくらい、軽くてさらっと読める本です。野茂さん可愛い。実物もきっと可愛らしいおじさまなんだろうなぁ…。哲学哲学した話を期待して読むとちょっと違うかなとなるかもしれませんが、日本語も綺麗だし、嫌味もないし、さらっと読めるし、娯楽本として良い本だと思います。
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ふらーっと寄ったビレバンで出逢ってしまった一冊。 そんな運命的な出会いをした割には 読むのに時間がかかった。 つい寝落ちしてしまう。 哲学向いてないのか?笑 でも私自身は嫌いじゃないよ。 野矢茂樹さんの写真を最近見たけど、 この文体のようにとても優しそうで ちょっとお茶目で 日...
ふらーっと寄ったビレバンで出逢ってしまった一冊。 そんな運命的な出会いをした割には 読むのに時間がかかった。 つい寝落ちしてしまう。 哲学向いてないのか?笑 でも私自身は嫌いじゃないよ。 野矢茂樹さんの写真を最近見たけど、 この文体のようにとても優しそうで ちょっとお茶目で 日々の出来事に思案してしまいそうな人に見えた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
【9月11日読了】 野矢茂樹先生の、「論理トレーニング」は大学生の頃に読んでいた。本書は、連載されたコラムの記事を本にまとめたもの。ただ、コラムとはいえ奥が深い。「考える」とは何か、「伝える」とは… 哲学は、私たちが「当たり前」と思っている事から遠ざける。実は当たり前ではない。「色は存在するか」「なぜ私たちは犬を理解できるのか」「冷蔵庫にお茶が入っている」という文章が伝わる条件は、などと、一トピックごとに色々と考えさせられる内容であった。 個人的に、野矢先生の二人の「師匠」の話が印象に残った。一人は大森荘蔵先生で、いわゆる研究者としての師匠である。野矢先生いわく、大森先生は人間としての師匠ではないというが、本書の記述の中に大森先生が相当多く出てくるので、強い影響は受けている。「犬ではないものを区別できることが、犬を理解していることだ」というのは大森先生の見解だそう。 もう一人は末木剛博先生。もともと理系で入学した野矢先生が、「座禅サークル」で縁をもったのが哲学者の末木先生だ。野矢先生が大学生の頃に「自分は何もできない」と悩んでいた頃、末木先生が「生きているだけ、もうけものと思わなくっちゃあ」と答えたというエピソードが印象に残った。仏教でいう観の転回か。 哲学のこともだが、野矢先生のこれまで歩んできた人生のことも書かれていて、自分を重ね合わせながら読んだ。
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私は文字を「読む」というよりは「見る」感覚なのだが、この本は久しぶりに「読む」本でした。 言葉のひとつひとつが脳細胞を刺激してきて非常に考えさせれると同時にわくわくしてくる。 好きな本です。
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考えることは面白い。 現代に溢れている情報は、人々の考える時間を奪っている。 情報に溺れないように気をつけたい。
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なんだかあまりにもやさしい文章なので、手加減されてるなって悔しい気持ちになる。で、わたしだってもっとムズカシイことを考えられるよって、さびついてた脳みそが動きはじめる。 ほら、野矢さんの思うつぼだ。
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