おひとりさまの最期 の商品レビュー
新年最初の一冊がこれってどんなものかとは思いつつ、年末から読みかけていたもので。 「おひとりさま」シリーズもこれで打ち止めらしい。テーマはずばり死の迎え方。「誰でも最後はおひとりさま」。言われてみればまったくそうで、さあ、自分はどこでどんなふうに死んでいくことになるんだろうか。...
新年最初の一冊がこれってどんなものかとは思いつつ、年末から読みかけていたもので。 「おひとりさま」シリーズもこれで打ち止めらしい。テーマはずばり死の迎え方。「誰でも最後はおひとりさま」。言われてみればまったくそうで、さあ、自分はどこでどんなふうに死んでいくことになるんだろうか。上野先生は、自分の希望する「おひとりさまのまま在宅死」することが、今の、そしてこれからの日本で可能だろうかと、多方面にわたって調査し、考えていく。気軽に手に取れる装丁と筆致だが、「ケアの社会学」とあわせ、社会学者としての集大成と言っていい気合いの入った著作だ。(大作「ケアの社会学」は少しずつ読み進めているのだが、手に取ってから足かけ三年、まだ読了に至らない…。) たくさんの医療・介護関係者や施設・病院の事例が紹介されており、さまざまな終末期の迎え方が描かれている。「ケアの社会学」でも書かれているが、介護保険導入によって高齢者介護の現場は大きく変わり、今現在も変動のただ中にあるようだ。幅広く丁寧な調査から、今の時点で何ができて何が困難なのか、大体わかったように思う。医療や介護については、都会か田舎かにかかわらず、住んでいる地域によって、受けられるサービスにかなり違いがあることに嘆息する。 上野先生の舌鋒は、当然いつものごとく鋭い。「孤独死」を撲滅すべき「悪」のように言い立てることへの異議や、見知らぬボランティアに「見守られて」死んでいくことなど誰もが望んでいるわけではないなどと書かれているあたり、実にその通りだなあと思う。「傾聴ボランティアもいりません」とあり、ほんと、なんで自分のことなど何も知らない人に向かって人生など語らにゃならん。ま、そういうのがしたい人はしたらいいけど、私は頼むから放っておいてほしいのよ。死ぬまでのことや死んでからのことにまつわるアレコレは、死んでいく当人ではなく、家族や周囲の人間の思惑で進むことばかりだなあとあらためて思う。 うーん…と考え込んでしまう指摘も随所に。医療従事者には真面目で責任感の強い方がたくさんいて、患者から問いかけられる難問にも何とかして応えようとするが、宗教的領域に関することは専門家に任せた方がいいということ。尊厳死については、「生きるに値しない生」があるという考え方にたやすく滑り落ちていくという点で賛成しかねるということ。この二点については宿題をもらった気分だ。特に後者は、合理主義者の上野先生のこと、尊厳死には賛成なのではと思っていたので意外であった。何事もバッサバッサと斬っていくようで、その実「慈愛」としか言いようのない人間味のあるところが、上野千鶴子のすごさだと感じた。 政府の進める在宅介護は、福祉にカネを使いたくない意図が露骨だが、上野先生は「政府の思惑はどうあれ、在宅介護自体は良いことなので利用しやすいかたちにしていけばいい」としている。私はここについては、反射的感情的に「勘弁してほしいなあ」と思ってしまう。今の情勢からして、いい方向に進むとはとても思えない。先生が繰り返し指摘されているように、「お世話する性」である女性の負担がより大きくなるのは火を見るより明らかではなかろうか。家族ではなく、いざというときに支えてくれる友人知人がたくさんいる「人持ち」の方の例がいくつかあげられているけれど、誰もがそういうキャラクターになれるわけでもない。私などどうなることやら、とため息が出る。 ただ、上野先生がおっしゃるとおり、どう死んだかで人生の値打ちが左右されるわけではないのは確かだ。死ぬのはたった一回限り。大事なことは他にもある。
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