「私」をつくる 近代小説の試み の商品レビュー
めちゃくちゃ面白い。 ただストーリーやプロットを楽しむだけでなく、小説を深く読むために重要な視点が数多く示唆されている。
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琉球大学附属図書館OPAC http://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB19984245
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近代小説の始まりには様々な文体が併存しており「言文一致」を目指して二葉亭四迷が試行錯誤し、文末表現や、一人称視点と三人称視点による地の文での工夫。そして坪内逍遥が謳った「写実」から田山花袋の「平面描写」岩野泡鳴の「一元描写」、太宰の饒舌な語りの文体に志賀の「心境小説」。泉鏡花の描...
近代小説の始まりには様々な文体が併存しており「言文一致」を目指して二葉亭四迷が試行錯誤し、文末表現や、一人称視点と三人称視点による地の文での工夫。そして坪内逍遥が謳った「写実」から田山花袋の「平面描写」岩野泡鳴の「一元描写」、太宰の饒舌な語りの文体に志賀の「心境小説」。泉鏡花の描く怪異の世界。自然主義文学のなかに描かれる「私」と「私小説」とは何か。大正期の文壇における、自己を素材として小説にすることからの「リングネーム作り」……とまぁ、この一冊の新書の内容の濃いこと。 今までさほど意識せず、一人称視点の作品や三人称視点の作品を読んでましたが、そこには「私」という作者でも作中の登場人物でもないモノがいるということ。そして、それがもたらす効果について、今まで無意識に(感覚的に)読み取っていたことが明文化されてて、とにかく面白い。小説の「地の文」に込められた工夫の変遷を辿りながらサラッと近代文学史みたいにもなってますし。 近代文学の作品では作家自身をネタに書かれているものが多くて、本書の中で触れていた「これは小説ではなくてエッセイなのではないか?」という点は私も感じていたので、これを読んでちょっとスッキリしました。
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小説に出てくる「私」は、ナレーターでもあり解説者でもあり主人公でもある。 深く考えたことなかったから、「ああそうやったんか!」と思った。 小説の新しい見方を知った。 "話すように書く"という試みから、「私」の見せ方の研究が始まったなんて知らんかった。 小説好き...
小説に出てくる「私」は、ナレーターでもあり解説者でもあり主人公でもある。 深く考えたことなかったから、「ああそうやったんか!」と思った。 小説の新しい見方を知った。 "話すように書く"という試みから、「私」の見せ方の研究が始まったなんて知らんかった。 小説好きな人に勧めたい本。
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久々に面白い本だったので、2度読んでしまった。言文一致体の主語が明確になるという作用、生まれ出でた「私」という作中の存在をどのように乗り越え、利用してきたかを、代表的な小説家の置かれた時代、思考に寄り添いながら考察していく。今のフラットな文学の状況に対して、自己の文学のアイデンテ...
久々に面白い本だったので、2度読んでしまった。言文一致体の主語が明確になるという作用、生まれ出でた「私」という作中の存在をどのように乗り越え、利用してきたかを、代表的な小説家の置かれた時代、思考に寄り添いながら考察していく。今のフラットな文学の状況に対して、自己の文学のアイデンティティを求め、試行錯誤を続ける様に懐かしさを感じた。
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太宰治の文章は著者自身を思わせる一人称だが、エピソードはだいぶ盛っている。一方、夏目漱石は猫などのキャラクターが主人公だが、著者の経験に基づくことが書かれている。小説における「私」へのアプローチが様々な文学派を生んだ。 柴田元幸さんのイベントで朗読された19世紀の英国作家トマス...
太宰治の文章は著者自身を思わせる一人称だが、エピソードはだいぶ盛っている。一方、夏目漱石は猫などのキャラクターが主人公だが、著者の経験に基づくことが書かれている。小説における「私」へのアプローチが様々な文学派を生んだ。 柴田元幸さんのイベントで朗読された19世紀の英国作家トマス・ハーディの短編では、地の文で主人公が寝ている間に服や馬を盗まれて成りすまされるという描写はあるけど、それの詳細を知らないはずの主人公が騎兵にその事情を話していて、現代の小説ではこういう書き方はしないと柴田さんが言ってた。 小説における「リアル」は読者に「リアリティ」として感じさせられれば「事実」である必要はなく、逆に「語り方」で「騙る」ことが求められる。日記のような完全な独り語りでは了解事項は省かれるから、他人である読者には充分に伝わらないし、日記ですら読むかもしれない誰かを意識して虚構が混じる。
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小説を教える際、「私」の存在をどう教えるか・・・ 実はめっちゃ難しいので、いつも逃げます。 というか、私自身がよくわかっていない部分が多いのです。 自分がわかっていないことを人に教えるのは不可能。 まだまだ勉強しないといけませんね。 漱石先生の偉大さがわかりました。 漱石先生が...
小説を教える際、「私」の存在をどう教えるか・・・ 実はめっちゃ難しいので、いつも逃げます。 というか、私自身がよくわかっていない部分が多いのです。 自分がわかっていないことを人に教えるのは不可能。 まだまだ勉強しないといけませんね。 漱石先生の偉大さがわかりました。 漱石先生がいたから、今の私たちの日本語があるのです。 やっぱりこの人、天才なんだな。 今更だけど、改めて実感。
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近代文学における語り手の視点が作品にどのような効果を与えているか、というような内容。大学で似たようなことも勉強していたのでついつい手にとってしまったが、気軽に読書という感じではないですね。行きつ戻りつ考えながら読むから、それなりに時間がかかってしまった。あと何回か読み返すことにな...
近代文学における語り手の視点が作品にどのような効果を与えているか、というような内容。大学で似たようなことも勉強していたのでついつい手にとってしまったが、気軽に読書という感じではないですね。行きつ戻りつ考えながら読むから、それなりに時間がかかってしまった。あと何回か読み返すことになりそうです。
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太宰治の私生活が荒んでいたことがやたら有名なことについて著者はこのように語る。 おそらくその際に(ブランド化の際に)重要なのは、これらが現実の作者とは別に、作品を創るために意図的に演じられ、創り出された「作者」像であった、という事実であろう。例えば第1章に述べたように、太宰治に関...
太宰治の私生活が荒んでいたことがやたら有名なことについて著者はこのように語る。 おそらくその際に(ブランド化の際に)重要なのは、これらが現実の作者とは別に、作品を創るために意図的に演じられ、創り出された「作者」像であった、という事実であろう。例えば第1章に述べたように、太宰治に関していえば、自殺未遂を繰り返し、薬物中毒に苦しみながらも自身の弱さから目をそむけず、既成のあらゆる権威に戦いを挑み続けた無頼派作家、というイメージは、実は小説を書くために、あるいは小説を受け取るために、作り手と受け手とがともに作り上げた伝承世界でもあったのだった。作者はこうしたシグナルを巧みに小説に埋め込むことによって「太宰神話」を発信し、それを背景に新たな作品を書き継いでいくことが可能になるわけである。p167 つまり我々は太宰の術中にはまっているのである。小説の描写から作家を想像し、それに太宰の姿を重ねる。その時太宰の「無頼派」というイメージが強調され、そのイメージが神話となる。この本を読んだ後にゲス極がMステで「ロマンスがありあまる」歌ってるのを見て「プロだな」と思った。
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明治以降の小説を何気なく読んでいましたが、「私」を通してみると、作家はそれなりに工夫していたことがわかります。
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